こうして大人になるのか、ならないのか
こんなことをだらだら書いても仕方がないことは分かっているんだけど、ペーパーを連日やり続けて疲れているはずなのに寝付けないので気晴らしに。
今日友達とごはんを食っていて、夏の間の彼のジュネーブ生活について聞いた。ジョギングをしていたら気付かないうちにフランス国境をまたいでいて、帰り道に突然IDを要求された話とか。大家の76歳のおばあさんがさびしさのせいなのか午前3時に話しかけてくるっていう異常な事態とか。面白いポイントはたくさんあったんだけど、彼いわくジュネーブの生活はなかなか大変だったみたい。もちろんスイス特有の物価の異常な高さとかそういう面もあるんだけど、それより何よりクラスメートが去った後、もともと知っている人が誰もいない土地で仕事を1ヶ月間も続けたのが厳しかったと言っていた。僕からすればものすごくオープンで誰とでもうちとける彼だけど、たまたま運が悪くて良い出会いに恵まれなかったのだと。国際機関がたくさんあるって言っても、規模はたかが知れてる小さな街で、一人で特にやることもなくたまに人を見るためにスターバックスに行ったって笑いながら言っていた。久しぶりに本気でさびしくなったよと。
生まれ育ったところからそれなりに遠い土地に身を置きながらも、実際のところ僕はこの1年半の間、ほとんど寂しさを感じてこなかった気がする。少なくとも、東京とその近郊で一人暮らしをしていた大学学部時代の3年間よりは全然さびしくなかった。ポジティブに考えたら年をとったこととか、留学生活が忙しすぎたこととかもあるんだろうけど。たぶん何より、ずっとルームメイトがいたことが大きい。電話の声が耳に障ったり、台所を使う順番やら、僕のおなかの緊急時にトイレが使用中だとか、いろいろ問題はあったとはいえ、彼らと総じて気楽な関係を持てたこと、単純に彼らがそばにいたことはおそらくもともと微妙に繊細なところがある気がする自分の精神的な安定に大きく貢献していたんじゃないかと思う。帰国の際も実家に帰ったわけだし、旅行中の宿泊先もドミトリーだったし、思えば「一人の夜」みたいな状況は、おそらくボストンのホテル滞在を除けばほとんどなかったと言っても過言ではない。
そういうことがあって、僕はどちらかというと今年再度やることになるであろう一人暮らしのイメージをなかなかうまく描けないでいる。むしろ仕事のことを心配しろとか、バケーションのプランに専念しろっていう突っ込みも自分で入るんだけど、東京での一人暮らしってどうにもこうにも孤独なイメージがつきまとってしまう。これは、僕が精神的におそらく最も不安定だった3年間と一人暮らしの時期が重なっているせいで「東京一人暮らし」自体のイメージがある程度悲惨になっているせいなのかw、あるいは東京では誰もがそれなりに孤独と戦っているのか、そんなことは全然なくて社会人としてもう一度やってみたら全然楽しいものなのか分からないんだけど。
いずれにせよ、自分の国に、おそらく一番親しくて会いたいと思っている友人たちが住む土地に戻るというのに、なぜか生活における寂しさの心配を始めてしまっている自分の矛盾を吐露してみたかっただけです。自分って、人間ってほんとに不思議なものですねw。寂しさについてなんて、ほんとに1年くらい考えもしなかったから。
でもきっと、寂しさとか一人身の退屈さだとかそういうものとそれなりに向き合っていく中で、意識するとせざるとにかかわらず家庭を持つことの価値みたいなのって見え始めてくるのかなっていう気はします。それにもちろん好きな人ができることによっても。そこら辺の成り行き次第では、あるいはまた海外に逃げることの価値が見えるのかもw。そういう感じで、たぶん欠乏も自分を一歩動かす原動力になっていくのでしょう。そんなこんなで、なんだか半歩くらいアラサ―的発想に足を踏み入れてる気がする自分です。
いずれにせよ、できることなら素敵な未来を想像しよう。なんせ新しい年だしね。
Brian Wilson "Your Imagination"












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