大学院

ペーパー終了

たった今最後に残ったCui教授のTake Home Examを提出して、ついについに、僕の大学院生としての全日程が終了しました。この2週間くらい、ほぼ食堂と自分の部屋の往復だけだったし、とにかく熱いため息が出ますw。

やっぱり全体的に僕の大学院生活ってけっこうギリギリだったという感じがします。実は今から2時間後に寮をチェックアウトして、そのまま国内旅行に行く手はずになっているからです。これからシャワーを浴びて、パッキングを済ませてということを考えると、いろいろなことを咀嚼している時間はなさそうです。

旅行から帰ってきたらその足で日本に向かうので、ひとまず次のエントリーはおそらく実家から、卒業旅行第一弾
について書きたいと思います。心の片隅ででも、一瞬でも、がんばれよって思ってくれた方、ほんとにありがとうございました。気持ち良くなるくらいきつかったです!w

というわけで

やったーーーーーー!!!

そして行ってきます!!

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逆風の中のDragon

すでに1か月前になったボストンキャリアフォーラム。僕はとある団体との面接で中国経済の見通しについて聞かれた。僕の答えは、

「9%というGDP成長予測は例えば昨年の11%台後半に比べたら非常に低く見えますが、僕の教授は中国の潜在成長率はだいたい9.5%といっていますし、いまだ潜在的な上下変動の範囲内です。中国は財政政策を意欲的に行える基盤もありますし、個人的には楽観視しています。中国は世界経済を引っ張っていきます。」

そして僕より全然悲観的だった面接官に突っ込まれながらも、なんとかその場を乗り切って面接を通過したのは良いんだけど...

中国経済、確実に失速してます。

今月頭に発表された世界銀行によるQuarterly Updateでは、2009年の中国のGDP成長率が7.5%に下方修正された。わずか3か月前までは世銀は9.2%と予測しており、IMFが11月に8.5%に修正したものの、見通しがさらに悪化したことになる。

地下鉄やタクシーに乗れば今でも巨大な建設現場を次々と目撃する北京で生活している僕にはあまりリアリティはないのだけど、都市の雇用状況もかなり悪化しているみたい。もっとも話題になっているのは、広東のおもちゃや靴、服の工場が今年に入って次々に閉鎖していること。それに、建設も勢いを失ってきているらしい。

共産党エリートの一人でオープンに民主化を唱えていることで知られているらしいZhou Tianyongは現在公式には4%とされている都市の失業率について明らかに歪められていると発言、彼の試算によれば戸籍の関係で労働者としての登録がない出稼ぎ労働者の失業を計算すると現在すでに失業率は12%、来年には14%に達するとのこと。

Wall Street Journalにおいて最近中国におけるreverse migration(つまり都会で職を失った出稼ぎ労働者が田舎へ戻る動き)が大々的に取り上げられていたくらいだから、たぶん問題は相当程度深刻。各地で小さな暴動の動きもあるし、まさに今、共産党政権の正当性、リーダーシップが問われる時が来ている。

そもそも問題は世界的な需要の停滞によって、海外からの受注全体が減っていること。それなら当然、国内需要を喚起しようということになる。

実際のところ、中国政府は11月に、戦時の政府出費を除けば世界史上最高額といわれる財政出動のプランを早々に発表し、世界をあっといわせた。このあたりの対応の早さは、他の主要経済と比べて(先進国の中でとびぬけた財政赤字の日本に比べたら特に)財政赤字が圧倒的に少ないっていう基盤があるんだけど、やっぱり一党独裁制の強みでもあると思う。おそらくTime誌で初めてそう呼ばれてから、来年と再来年2年にわたる4兆元の膨大な財政出動は、中国のニューディールとしばしば呼ばれるようになった。

この財政出動は、中国、そして世界にとってかなり重要な意味を持っている。まず第一に、金融危機への取り組みという短期的な側面。雇用を確保し、中国の安定を保持するというのは基本だけど、実際のところ世界の主要経済は来年軒並み収縮すると言われている中、世界最大の人口を持ち、近年もっとも著しく成長している第三位の経済の需要が喚起されることは非常に大きい。実際来年の世界経済の成長の半分近くを中国の成長が占めると言われているくらいだから(さらに来年の中国の経済成長の半分近くを財政出動が担うと言われているから)、財政出動の成り行きが来年の世界経済の趨勢を相当程度決めることになるかもしれない。

だけど、もっと重要なのは中期的観点から、中国経済の構造調整に及ぼす影響。膨大な貿易黒字を持つ輸出経済となった中国は、外貨準備で米国や欧州をファイナンスしてることになる。つまり、国、地域単位の経常収支バランスで見れば、発展途上国である中国が米国を中心とした先進国にお金を貸していることになる。これが世界の経常収支不均衡って言われる問題で、一般的にあらゆる資本が不足している発展途上国においてこそ単位あたりの資本がより多くのアウトプットをもたらすという経済原理に真っ向から反している。これは世界の資本配置の観点から見て非効率であること、そして将来急激な逆流現象が起こるリスクが懸念されてきた。ここから、不正な人民元安を批判する声が上がってきたわけなんだけど、もし今回の財政出動によって相当程度国内需要を喚起することができれば、この不均衡の改善にも貢献することができる。中国国内の消費が伸びれば、中国はより多くのモノを輸入することができ、貿易収支均衡に近づくと思われるからだ。実際のところ、中国は世界経済減速の兆候が見られ始めた2007年半ばあたりから、すでに輸出への依存を低めているし、小売りの売上も高まっているので、よりバランスのとれた経済成長へと動いてきたところ。今回の財政出動は、この流れをプッシュできる可能性があるってこと。

Cfn756 The Economistのとっても包括的な記事によると、財政出動の詳細な中身については分からないけど、実際のところ多くは減税や所得補償などの消費の拡大よりインフラなどの投資に用いられそうだとのこと。不況対策の名目で多くの無駄な公共工事を行って失敗した90年代の日本と違って、中国ではいまだに交通インフラ等が単純に不足しているから、これも長期的に見て効果的なんだって。一方で、世銀はもっと積極的にエネルギー価格の調整や厚生、教育、社会保障の拡充など人々の将来に対する不安を直接的に減少させるrebalancingな用途にお金を使うべきだと提言しているけど。いろんなバランスを考えながら短期だけでなく中長期の効果を狙ってお金を配分するのってほんとに大変なんだろうな。

以上が、最近グループペーパーへの寄稿するために最近調べたことなんだけど、その過程で中国の輸出に関して面白いデータを見つけた。

Cautious optimism about condition of Chinese exports

世界の需要が減退してるから、輸出額が減るというのは中国だけでなく日本も含めた多くの輸出経済が打撃を受ける構図だけど、重要なのは”一体何が売れていないのか”っていうこと。記事によれば、最も輸出が減退しているのはおもちゃ製造をはじめとする軽工業品であり、これは世界的な需要減退だけでなく、労働者の賃金を含めたコスト増に基づくものだということ。一方で、機械や設備の輸出は力強さを保っており、逆風の中でもこれらがマーケットシェアを拡大していける競争力が十分にあるらしい。つまり、もともと競争力が失われつつあった軽工業が淘汰されていき、中国の産業全体がより高度な技術を要する重工業品にシフトしていく可能性が示唆されている。ドラゴンはきっちりバリューチェーンを昇ってきているみたいです。

というわけで、どうやら来年も世界経済における主役はどうやらこの国、中国。ほんといろいろ頑張らないとなぁ。ファイナルペーパーとか、中国語とか...。

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今年、最も僕を苛立たせた本

今日の午後はCui教授の授業にて、グループプレゼン。このプレゼンについては、かなりいろいろ思うところがあったので、それを書いておくことにする。プレゼンのテーマはCui教授いわく、近年の学術書の中で最も話題になったという経済史の本。

Farewell to Alms: A Brief Economic History of the World (Sthe Princeton Economica History of the Western World) Book Farewell to Alms: A Brief Economic History of the World (Sthe Princeton Economica History of the Western World)

著者:Gregory Clark
販売元:Princeton Univ Pr
Amazon.co.jpで詳細を確認する

この本は、超がつくほどcontrovertialな本でもある。論旨の一部をかいつまんで書くと、以下のようになる。(解釈に間違いがあればご指摘を。)

・産業革命は、人類史上で唯一、最も重要な出来事だった。産業革命が起こるまでの間、人々の生活水準は、短期的な上下を除いて、上向くことは全くなかった。なぜなら、産業革命以前において、財の生産における重要な位置を占めていた「土地」は有限であり固定されている以上、他の生産要素(ここでは労働力)を増やしても、リカルドのThe law of diminishing returnsに従って一人当たりのアウトプット(=所得)が減少していくからである。だから、戦争や独裁者の悪政、疫病の流行など、死人が出れば人口が減って一人当たりの所得が大きくなり、公衆衛生を整備したり、飢饉に備えて食料を貯蓄したりすると、死ぬ人が減るので人口が多くなり、ひとり当たりの土地が減り個人レベルでは貧しくなった。遅遅とした技術革新も人々の所得水準を変えはしなかった。技術の革新は出生率を高め、死亡率を低くするから、結果は人口の増加であり、人々の所得は長期的に見て、常になんとか生活可能な程度の水準に落ち着いた。この状態を「マルサスの罠」と呼ぶ。圧倒的なイノベーションによって人類を最終的にこの罠から解放したのが19世紀イギリスの産業革命である。(マルサスの罠)

・では、産業革命はいったいどうして起こったのか。これは、イギリスにおいて「マルサスの罠」が”効果的に”働いていたことに依る。イギリスでは1200年から1800年までの間、人口の増加がほとんど起こっていない。この間に起こったことは、豊かな階級がより多くの子供を産み、貧しい階級は経済的な理由で相対的に少ない子供しか持つことができず、豊かな階級出身のものが社会における比率を著しく増加させていったことによって生じた”中産階級文化の形成”である。上流階級の子孫は、比較的高い教育を受け、子供のころから経済的に成功するための様々な素養を育んでおり、それが現代的な生産活動に適した文化的土壌を育んだ。(豊かな階級の”優れた”遺伝子が社会に浸透したということも可能性として考えられる。)これがイギリスが産業革命に至った究極的な原因である。一方で、日本、中国が産業革命に至らなかった理由も同様に説明できる。中国は領土を拡大することによって一人当たりの土地を増やすことができたことからマルサスの罠に陥らずにすんだこと、日本においては農業の技術革新が進み、同じ量の土地でより多くの人に食べさせることが可能になり、さらに一般的な長寿が災いして社会における下層階級の淘汰と中産階級文化の浸透が遅れたためである。(”富者”生存)

ここまで書けば、この本が各分野からどれだけの批判の嵐を浴びたか想像できると思う。近年まれに見る激しい論争を巻き起こしたという意味では、すごい本だし一読の価値は間違いなくあります。そして同時にこの本は見事、「今年僕を最も苛立たせた本」に輝きました。

僕のグループはこの本のCh13、「なぜイギリスで産業革命が起きたのか?なぜ、日本、中国、インドではなかったのか?」のサマリーを担当したんだけど、もう最初から嫌でしょうがなかった。だって、世界の反対側の三つの国とイギリスを、豊かな階級の出生率とか、全体の識字率とか非常に限られた変数で比べて、「イギリスにおいては豊かな階級と貧しい階級の出生率の差が大きく、貧しい階級が淘汰されたことによって識字率も高くなったから、産業革命に結びついた」なんていう結論を導くプロセスが、そもそもナンセンスなような気がしたから。だって、当時のアジア各国とイギリスを比べたら、あらゆる面で違いすぎて、それこそ星の数くらい原因を挙げられる気がするし。それはひとまず置いておくとして、僕はこのチャプターのClarkの主張の批判サイドに回った。僕の論点は以下。

豊かな階級の子孫が多くなったことが、経済活動に適した”中産階級文化”の形成に結びついたメカニズムについて筆者は十分な説明を述べていない。文化形成のプロセスが非常に複雑なもので、シンプルに語ることが不可能だというのは、社会科学におけるコンセンサスだ。産業革命がそこで起きた以上、イギリス社会に何かしら経済的成功に結びつくような文化的特質があった可能性は否定できない。だけど、文化はあらゆる出来事によって影響され、形づくられる。例えば、ヴェーバーの”プロテスタンティズムの倫理”が示したように、宗教の影響は大きい。またあらゆる歴史上の出来事、あるいは気候などの自然要因によっても影響を受けるし、文化はそこに生じたあらゆる出来事の総体によって形成されるのだ。Clarkは”文化”を主張の中心に置きながら、ヴェーバーを含めた文化の変化についての豊富な文献にほとんど立ち入ることなく、上位階級の子孫の社会における拡散のプロセスのみを唯一強力な文化形成の要因だとする。出身階級だけが人々の価値観や行動を規定する、よって文化を形成するというのは、行き過ぎた”経済決定論”だ。

僕はフランシス・フクヤマ氏のこの本に対する批判、"The Eighteenth-Century Hockey Stick"を元ネタに、春学期のカストロ教授から教わった、Cultureという概念のsensitivityを考慮した上で上記のような批判を行ったんだけど、教授も含めたクラスの反応はイマイチ。直接反対はされなかったものの、僕の反論はそれほど決定的なものではないと思われたようだ。最終的には、「なぜそんなに熱くなって批判するの?」って、とあるクラスメートから冷やかに言われた。なぜなんだろう。

僕自身、上記のことを頭で語っているのか、ハートで語っているのか、すでに分からなくなった。

読んだ人はぜひ、感想を教えてください。

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男/女

奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋は悲しき
猿丸大夫 (百人一首)

和歌の世界では、鹿の哀しい声は「妻問いの声」とされているとのこと。平安時代の男性方は、秋に鹿の鳴く声に女性に対する思いや独り身のさびしさを重ねたのだとか。

この和歌によって僕は個人的な思いのたけを表そうとしているわけではきっとない。あるレクチャーを聞いて、ふとこの歌を思い出したのだ。

きのうはHarvard Kennedy Schoolの教授で、清華大学公共管理学院の客員教授でもあるTony Saich教授の講演に参加した。包括的で深い洞察が面白かったこの講義でもっとも気になったのは、中国社会の潜在的リスクとされる大きな問題の一つとして、「男女比の不均衡」を指摘していた点。これは実のところけっこうよく言われていることなんだけど、Harvardの先生が"wife sharing"とかそういう言葉を発すると、とたんにセンセーショナルに聞こえるのは僕の耳だけではないだろう。

「男が多すぎ!」男女比、世界1偏った国に―中国

現在、中国の男性は女性より3700万人多く、なかでも0歳から15歳までは男子の方が女子より1700万人多いことが判明。「1人っ子」なら男の子を生 みたいという夫婦は都会よりも農村部で多く、産婦人科で妊娠中の胎児の性別を診てもらい、女とわかったら人工中絶を受けるケースが後を絶たない。

上記が中国で実際に起こっている状況。じゃあなぜこの男女比のアンバランスが起きたのか。

政治的な要因として、80年代、90年代の一人っ子政策の厳格な実施が主要因として挙げられる。それに加えて重要なのが社会保障制度の不備。Saich教授は中国の社会保障制度について、自主独立を強調した毛沢東時代の遺産を受け継いでおり、さらに現在はコミューンではなく、家族単位での自主独立を促す疑似儒教の推進によって特徴づけられると言った。これはつまり、改革開放の過程で福祉制度が収縮する中で、家族全員で助け合って生活をしていくことが政治的に美化され、国家へ生活の援助を求めることが不徳であるとされたっていうこと。家族だけでなんとか生活を行っていくためには、そして子供が一人しかもてないなら、一般的により稼ぎの大きい仕事を得ることができ、嫁いでいくこともない男子をもうけた方が得。男性が女性より3700万人も多いっていう状況は、個人が既存の制度のもとで、経済的合理性に基づいた判断を積み重ねていった結果なのだ。

でも、明らかに不自然なこの状況は社会的不安を招く可能性がある。より具体的に、Saich教授はスワッピングなどの横行、地下風俗産業の拡大などモラル面での破たんと地下産業の発展による治安の悪化を挙げていた。

潜在的なリスクはそれに留まらない。MITのDuflo教授のこの記事はそれを考える上でとっても面白い。

Esther Duflo "Too many boys…"

記事によれば、アメリカ西部開拓時代の"frontier town" mentality(当然のごとく開拓の前線において女性は少なかった)が暴力へ向かう傾向があったように、同世代の女性を欠いた中国の一人っ子世代において犯罪件数の上昇が見て取れるという。ベトナムの退役軍人に対する長期調査で、攻撃性・暴力性を喚起する男性ホルモン・テストステロンの分泌が結婚すると下がり、離婚すると上がるという結果が出たっていうのも面白い。

実際、中国においては歴史的に一定の年齢以上で未婚の男性は蔑まれる文化があり、妻を得ることができない、(つまりおそらくはもともと社会的地位がそれほど高くない)男性たちに対する社会的プレッシャーが大きく、ならず者的な行動に向かわせる圧力が強いのではないかという懸念もある。ちなみに、4万人を動員し、中国近代史に残る大きな反乱となった1851年の捻軍起義(Nien Rebellion)は、当地における男女比のアンバランスが潜在的な要因だったっていうのは、春学期のKutcher教授の授業で学んだこと。

(この論文に詳細あり。A Surplus of Men, A Deficit of Peace: Security and Sex Ratios in Asia's Largest States  )

以前日経ビジネスで、結婚すると男性は一般的に仕事の効率が上がるとかいう記事があった気がするけど、それもまんざらじゃないのかもしれない。たぶん平安時代の鹿だってパートナーが見つからないときに鳴くだけじゃなくて、角とかぶつけたりしてたんじゃないかなw。

これについてはまたあとで詳しく書くけど、The Bottom BillionのPaul Collierは、最貧国に生きる人たちに最も必要なものは、未来は必ず良くなるという「希望」だと何度も強調している。 未来に対する絶望は人々を紛争に陥れてしまうのだと。ちょっと強引だけど、自分は生涯異性を手に入れることができないっていう絶望も、未来への不信を形作ることには違いない。想像するにもしきれない貧困より、男女のマッチングの問題で考えてみると社会の発展と破壊のメカニズムってよりリアルに感じられます。

実際のところ、個人的な安定への道は全く見えていないけどw。

それはきっと、たぶん、もうちょっと先の話ということで。

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語学の道

季節はめぐり、今週はすでに中国語の各講座の中間テスト。それに加えて水曜日は中国の都市化についてのプレゼン、今日はHu Angang教授の授業のグループワークの一環として、中国の労働市場の分裂についてのペーパーの提出、さらには同日午後にColumbia大から社会政策の権威であるWilliam H. Simon教授がCui教授の授業のゲストスピーカーとして来たりなんなりで、あわただしいことこの上ありませんでした。正直、この学期の授業を一つでもとりこぼしたら卒業時期が延びてしまう自分にとって、単位がつかない中国語の中間テストの勉強のために一点とか二点を多く取るために勉強する余裕はないわけで。

それでも一番プレッシャーと今後の実用性を今感じているのは中国語学習だったりする。特に中国に来てからよくmultilingualの人に出会っていて、彼らが使用可能言語を指折り数えているのと対面すると、やっぱり”国際人”になるための道はまだまだ長く険しいって思うと同時に、日本人だって、23歳で初めて海外に住んだ自分にだって、やってやれないことはないのではないかという気になる。ボストンでは、英語、フランス語、中国語を流ちょうに話す日本人にお会いしたし、中国語班には英語、中国語、韓国語をハイレベルに話す日本人の人もいる。当り前のように5ヶ国語くらいしゃべってくるヨーロッパ知識階級のようにはいかないかもしれないけど、それでも、母国語以外でコミュニケーションをとることの面白さを一度知ったなら、あとはどれだけ語学学習の時間がとれるかっていう問題だけでしかないように思う。僕のほとんど進歩していないかのように思われる中国語も、要は時間の問題だ。そうに違いない。

それに今日は英語圏に留学もしたことないのにほとんどパーフェクトな英語をしゃべる中国人学生とご飯を食べて非常にインスパイアされた。彼の専攻はフランス語で、そっちも完璧。なぜフランス語を専攻したの?って聞いたら、「英語は中学生のときから学校で7年も勉強して普通に使えるようになっていたから、大学では他の言語をやってみたかっただけ」との回答。北京で会ったロシア人たちもそういうノリで普通に英語をしゃべってた。ドイツとか北ヨーロッパ諸国の人たちもまさにそういう感じだろう。最近、いろんな国籍の人に日本に旅行した話を聞かされたけど、彼らの話で心に残ったのは日本って観光地としてかなり評判良いっていうことと同時に、教育水準が一般的に高いと言われている日本人が一切英語をしゃべれないことに驚いたという評価。既存の英語教育は、日本人全員にどれだけ無駄な力を投じさせているのだろうかとしみじみ感じます。

ということで、multilingualへの妄想を徹底的に膨らませた後は、こつこつと中国語の基礎単語を復習しつつ明日のテストに備えます。語学習得への道って、実際のところ自分が喋れている様をどれだけリアルに妄想できるかっていうところで決まるのではないかとつくづく思う最近です。晩安!

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就職活動の一コマ

先日、ボストンキャリアフォーラムに来る某金融機関にエントリーをしたんだけど、その際に以下のような感じの質問に答えなければいけなかった。

あなたが学生時代を通じて力を入れて取り組んだことを一つとりあげ、なぜそれに力を入れたのか、あなたの強みとして何が得られたのか説明してください。

この一つという部分が自分にとってはポイントだった。なにせ、僕はこれまでのエントリーシートではいろんなことにチャレンジしたことそれ自体を強調していたから。一つっていわれたら、そんなの間違いなく「勉強」になってしまう。だって他のことに比べてあまりに多くのエネルギーを投じたわけだし。でもそんな回答は欲しくないんだろうなーと思って、ちょっと考えた結果、僕の答えはこうなった。

僕がこの一年余り力を入れて継続したことは、ブログを書くことです。

!!!

一見、なんてインドアかつチンケな回答なんだろうと思ったけど、僕がこの留学生活を通じて継続して限られた自分の時間を使って、楽しんで、おそらく結果的に多くの学びに貢献したと思われるのが、このブログをつけることだったと確信しているからこそ浮かんだ答えでした。

僕が言いたいのは、このブログに書いてきた、たくさんのしようもないことや、ただのニュース記事の羅列とかそういう最終的に表示されたコンテンツが役に立ったということじゃなくて、ひとまず、面白いと思ったことを自分の言葉に、フォーマットに置き換えよう、そしてちょっとでも誰かに読んでもらい、ほんとに希望的だけど少しでも面白いと思ってもらえる可能性があるなら、それを公開してみようっていうその姿勢が、自分の反省とか考えとかモチベーションを更新していく上で重要だったのではないかということ。以前からちらほら書いてきたアウトプット論的なものにもろに関係してくる話だけど。

HBSを卒業した某有名ブロガーの方が以前、留学生活の感動を記録しよう、伝えようみたいなことを言っていたのだけど、僕が言いたいのは彼の言葉でカバーされていることなのかもしれない。一見、思ったことのただの反すうのようにも思えるし、単なるひけらかしのようにも見えるブログを書くっていう行為。だけど、ブログを書くプロセスはやっぱり学びってものの本質に触れている気がしてならない。

たくさんの情報を単純に入れていくことが学びならば、僕らはなぜ高い金払って学校に通うのか。僕らが学校で、図書館で、結局21世紀になっても席を並べ続ける理由は、より多くのinteraction、コミュニケーションこそが、自分の中で情報を結合させ、情報を長くとどめ、最終的にideaを形作るのに最適な方法だと皮膚感覚的に知っているからじゃないだろうか。そして僕らがideaを形作ることに向かう理由、それも、やっぱり自分以外の受け手の存在を前提としている。たぶん世界に自分以外に誰一人いなかったとしたら、僕はミステリー小説とか娯楽書以外読まないんじゃないかって気がする。もしそんな世界で歴史や政治や哲学書を読むとしたら、いや、ミステリー小説を読むことでさえ、自分を動かすのは他のだれかの居場所を探したいとか、いなくなった理由を探したいとか、なんで他の人じゃなくて自分だけがいるのか考えたいとか、そういう理由だと思うな。つまり結局、学びっていう一見とても個人的な行為は、自分以外の人の存在をやっぱり前提としているし、他者の介在によってこそ達成されるものであるっていうこと。

話がだいぶ膨張してきましたが。ブログというのは、僕にとって、僕が学びに向かっていく上で暗黙の前提としている他の人、自分の考えの受け手、リアクションの発信者という感謝すべき存在をより強く認識させてくれるものなんだと思った、それだけのことです。そして自分で書くことはやっぱり他の人のブログを読む動機にもなるし、そういうすべての過程が僕に絶えずインスピレーションを与えてくれるのだと思っています。インスピレーションって言葉自体も、外的な発生源を前提としているけど。ということでブログを書いている人は今後も更新よろしくお願いしますw。

実際僕はエントリーシートにはもうちょっとまともなことを手短に書いたし、きちんと設問の内容にも答えました。就職活動にこれだけめんどくさい話の全ては持ち込めません。時間的にも、能力的にも。

でも最近よく思うのは、僕が採用側だったら、ミクシーとかブログを読むことほど効率的に人物像を把握する手段はない気がするってこと。その人の経験、興味、いろんなプロセスのこなし方とか、ユーモアのセンスとかw、単純にさらりと読んでみるだけでかなり浮き彫りな気がする。
万が一、採用関係者がこのブログを発見してしまい、僕と結びつかせてしまった場合、結果がどうなるかは定かではありませんがw。。。

ということで、未だ返事のない数社からの連絡を待っている僕の、就職活動のとある一コマでした。

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スポーツの秋

3週間ほど前、僕は清華大学公共管理学院のサッカークラブに入部した。そして、今日は初の公式戦。相手は航空科学学部。僕はシラキュースにいたときは週2、3回ジムに通ったり、ワシントンにいたときには同じくらいの頻度で7kmくらいの距離をランニングしていたので、体力にはそこそこ自信があったはずなのだが、おそらく10年ぶりに芝生の上で、ユニフォームを着て、レガースまでして、フィールドへの入場とか円陣まで組んでプレイした約40分。ほんと動けなすぎてびっくりしました。

まずもって、僕は右ウイングのポジションだったんだけど、経験がないし動き方が全然わからない。そこから監督の指示で後半になってボランチにポジションを変えたんだけど、その時点ですでに積極的にボールをチェックしにいくだけの体力が残っておらず、脚がしびれて交代。サッカーってウェイトトレーニングとかジョギングとはやっぱり違う筋肉を使うものなんですね。

それでも、試合を終えて、芝生に寝そべって秋の青空を見上げたとき、ほんとに気持ちよかった。僕のチームは中国人の学生が半分くらい、あとは欧米を中心に外国人もかなりいる。英語でしゃべるグループと中国語でしゃべるグループがあって、細かい意思疎通はなかなか難しい。でも、負けたけど、とってもいい試合をしてみんなの心がすごく近づいた感じにとっても感動した。チームスポーツってすばらしい。

サッカーとか世界的にプレイされてるスポーツって、ある意味言語に近いような気がする。以前、旅行者関連のブログで、英語もろくにしゃべれないけど、サッカーボールだけ片手に世界中を旅している日本人少年の話を読んだ。世界的に共通化された定式、人類みな共通のボール遊びの喜び、そういう要素を考えると、文化とか心の壁を越えるために最も効率的な方法ってサッカーみたいなスポーツをすることなのかもしれない。言葉でコミュニケーションをとろうとするよりずっと自然に心が近付く。

来週からは、毎週1回の練習と公式戦が続く。授業や就職活動などのことを考えると、どこまで参加できるのかは未知数なんだけど、やっぱり身体を動かして、汗をかいて、きっちり勉強づかれと身体のつかれのバランスをとっていきたい。

あと少しで25歳になる僕ですが、なんだかこうやって普通の幸せにどんどん気づいていく年ごろなのかなーって思う。最近、なんだかんだで自分の生活にずっとすがすがしさを感じている。それはサッカーのせいだけじゃなくて、いろんな国の人と前よりずっとスムーズにコミュニケーションができて、刺激をもらえて、毎日いろんな出会いがあって、そういう人との交流全体に満足できているところが大きい。あと3か月でこの生活が本当に終わるのだろうかって考えると、本当に残念、残念すぎる。でも、終わらせないためにこそ、就職活動ってやつを本気でがんばらなくちゃいけないみたいです。

ということで、最後に素敵な秋に聞きたい一曲。

Badly Drawn Boy "Magic in the air"

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”自由”を求めて

ようやく明日は金曜日。たとえ平日にやりきれなかった課題や就職活動関連の作業に大部分は費やされると分かっていても、週末が近付いてきたことがとってもうれしい。先の秋学期、春学期と違って、平日は毎日授業があるし、朝8時から午後5時までぎっしり詰まっている日もある。忙しいけど、でも少数の授業の準備をするためにずっと自己管理を強いられる生活と比べて楽な部分もあるのかもしれない。何より週末がうれしいっていう普通の感覚が研ぎ澄まされること自体がうれしい。あー、来年はほんとに働きたい。

それはそうと、友人のこころにいばらくんの最近の記事「自由主義に触れて」を読んで、ちょっと思ったことがあったのでそれについて。例によって僕の知識の丈にそぐわない大きすぎるテーマだし、乱文になってしまったことをあらかじめお詫びしておきます。

最近、"Governance and Development"のCui教授の授業のアサインメントとして、この超有名らしい論文を読んだ。

Amartya Sen
"Development: Which Way Now?"
The Economic Journal, Vol. 93, No. 372. (Dec., 1983), pp. 745-762.
JSTOR:PDF download

記事が出されたのは1983年。フリードマンらによる新古典派経済学の復興が、Reaganomicsによってさらに勢いを得た時代といえるかもしれない。論文の中でセン自身が指摘しているように、アジアの虎と呼ばれる台湾、香港、シンガポール、韓国の4地域の台頭が開放によって貿易と対外直接投資という市場の力を徹底的に活用するものであったことから、”開発経済学”という分野にも新古典派が影響力を強めた時期であった。世界銀行・IMFが資金援助・貸与の際のコンディショナリティーを使って、途上国の政府機関を次々に民営化させていく、いわゆるstructural adjustment(構造調整)を強力に推し進めていったのがこの頃からだという事実も、新古典派の大きな影響が見て取れる。つまり、途上国には先進国とは別の理論的枠組みを当てはめることが適切であるという前提から、古典派経済学とは距離をおいて戦後少しずつ理論を積み重ねていった開発経済学という若い学問が息絶える寸前まで追いつめられた時期であった。

”ケインズ革命”の熱がさめやらないケンブリッジで経済学を学び、1960年代には母国インドの計画経済プランの策定にも携わったセンは、開発経済学の黎明に最も大きな貢献をした学者の一人、Albert Hirschmanとも親交が深かった。つまり、新古典派の隆盛と、それと共に高まる開発経済学批判を背景に、ケインジアンの影響下にあるセンが、自身の開発経済学批判と同時に救済を行う形で送り出したのが当論文。ここでセンが語った"entitlement approach"は、後の開発経済学に対する最大の貢献であり、論文の発表から25年が過ぎた今でも輝きを失っていないという。

当論文の中にもいくつかの論旨があるのだけど、そのうちの一つで最も重要なのが、「”経済成長”は”経済発展”とは別のものである」という点。センは開発経済学の限界は、”経済成長”のための手段の選択にあるのではなく、”経済成長”がそれとは別の目的にたどりつくための一つの方法にすぎないことを十分に認識していなかった点にあると主張した。

この別の目的が何かってところがミソなんだけど。たとえば、センは健やかに長生きすること≒平均寿命の長さを例に出す。1980年の時点で、一人当たり平均所得の目安である一人当たりGDPが2,050であるブラジルの平均寿命は63歳。一方、当時まだ最貧国と位置づけられており、一人当たりGDPが290の中国の平均寿命は64歳。一人当たりGDPは数分の一しかない中国人の方がなぜかブラジル人より少しだけ長生きしている。(センは他の国の例も出しているのでもっと説得力があります。)
それなら、平均寿命と”経済成長”はそれほど高い相関関係を持っていないということになる。また別の例を出せば、発展途上国から大きな死の原因になっているマラリアを駆逐することは、平均所得の伸びによって直接的に達成されることじゃない。つまり、”いくつかの重要な目的”を達成する手段としては、「経済成長」はそれほど効果的ではないということになる。

ここで以前当ブログでも書いたことのある、有名な指摘がなされる。伝統的な開発経済学の最大の弱点は、国内生産や、総所得、あるいは特定の財の総供給に焦点を当て、人々の"entitlement"や、そのentitlementが生み出す"capability"に注意を払わなかったことであると。つまり、GDPを代表とする指数に対するフェティシズムに近い執着が、開発経済学が本来追い求めるべきものから目をそむけさせていたとも言える。

entitlementっていうのは日本語訳するのがとても難しい。強引に意訳してみると、

権利と、個人が遭遇する機会のすべてを用いて、個人が特定の社会において行使することができる財の総体

ぐらいになるのかな。

このentitlementが増すことは、人々の”capability”を増すことにつながる。capabilityっていう言葉は”能力”と共に、「可能性、将来性」を意味する。つまり、開発経済学のテーマは、そしておそらく「発展」の意味するところは、最終的には「すべての人の人生における”可能性”の拡大」であるということになるのだ。

センは開発経済学のテーマをマルクスの言葉を引用してこう言う。

"replacing the domination of circumstances and chance over individuals by the domination of individuals over chance and circumstances"

センのアイデアを応用する論理的危険を承知した上で考える。
「あなたは豊かであるか」という問いがあまり意味をなさないのは、それが僕らの関心から実際問題としてかけ離れているからではないのか。”モノを買う力があること”は間違いなく重要だ。なんせ、おかねがなくて欲しいものが手に入らないってことは日常茶飯事だから。でも、結局それは重要な問題の一部でしかない。大事なのは、僕たちがどれだけ偶然と環境という猛威に立ち向かえているのか、あるいは個人として現在に、未来にどれだけの可能性を描けているのかっていうことではないだろうか。

ここで僕は”自由”という言葉にぶつかる。そして読まないまま実家の本棚にある、センの後年の著書、"Development as Freedom"を思い出す。80年代初期に伝統的な開発経済学を脅威にさらした新古典派。その代表的な研究者とみなされるミルトン・フリードマンが掲げたのが「自由主義」である。

彼にとっては「自由」こそがすべてであって、経済の発展は副次的なものであるなら、

個人が価値があると思えるものを追及することを認め、促進するのが自由主義であるのなら、

この全く思想的潮流やアプローチを異にする二人のノーベル賞受賞者にきわどい世界観の重複を見てしまうのは僕だけだろうか。

アメリカ型資本主義の終焉とか、中国型社会市場経済の隆盛とか、その行方に対する興味はつきない。だけど、もっと根本的な問題に立ちかえって、一般的な意味で、より良い社会の仕組みの総体を模索していくにあたって、僕たちは何を目標にすればよいのだろう。僕たちが自由であるのは、僕たちが個人として”可能性”を持てるのは一体どういう社会においてなのか。これ自体、なんて難解な問いなんだろう。僕たちがのろのろとこの問題を追いかけるより速く、僕たちの世界は回り、変わっていってしまうような気もする。

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Catch up!

中国語の授業がはじまり、いよいよ本格始動となった今週も終わり。はっきりしたのは、外国語学習において、4年間のブラ ンクというのは圧倒的に大きいということ。英語を学んできてそれは知っていたはずだけど語学って、スクラッチDJを志す若者が授業中も机の下でミキサー用 のチャンネルを弄び続けるみたいなノリで、ずっと触ってなきゃダメだ。大学まで行ったらなんだかんだ10年くらい学ぶことになる英語だって大人はみんな忘れてる。そうであるなら、わずか3年間、多かったときで週4時間程度の勉強しかしなかった中国語をこの4年で僕が忘れていないわけがない。ひとまず冷静に見て、中級のクラス内で一番 しゃべれない人という状況。さらに、大学院の授業と重なってしまったせいで語学の授業は週16時間しか受けられなさそうなので、1月までにそれなりにしゃべることができるようになるためには全然足らないのだろうという気がしている。

事実として老師からは一つ下のレベルのクラスをのぞいてみたらとやんわりお勧めされた。僕はもともと下から三番目のクラスにいるのにだ!そのお勧めのセリフすらもよく分らなくて隣の人に意味を教えてもらった。もちろんそれに対して焦りはあるのだけど、しゃべれないっていうある意味屈辱的な状況に対して冷静に腰を据えるだけの免疫ができている自分に気づいてびっくりしたところもある。大学院で一つ上の学年にいた友達が、シラキュースの大学院生活で得たものは何よりも精神的タフネスだって言っていた気がするけど、たぶん間違いない。何かが自分だけできない状況って恥ずかしいとも思うし、それが露になる可能性を考えると授業中に緊張もするけど、その環境が自分にとって良いと思えるのなら退出する必要は全くないし普通にしてればいいっていう少し図太い考え方が身についた気がする。そういう場面に限って空気を読まないすべを少しだけ覚えたというか。でも開き直っているわけでは決してなくて、スケジュールがタイトな中で優先順位の制約もあるけど、腰を据えてがんばろうっていう気でいます。

ところで、やっぱりキャッチアップできないレベルに世界情勢も変化してきている兆しがある。今週の崔之元教授の授業では、現在と過去の金融市場の動揺 とその対応から、"Socialism with Chinese characteristics(中国的特色をもった社会主義)"あるいはSocialist Market Economyとは一体何なのかっていうことについてちょっと白熱した議論があった。

そもそもSocialism with Chinese characteristicsという言葉は1970年代末以降、数々の自由化路線の改革を実行するためにもともと鄧小平によって使われた言葉である。中国は社会主義を放棄することはないけど、それを中国独自のものにする=社会主義市場経済を目指すというレトリック。これによって、鄧小平は共産党の一党体制の正当性を減ずることなく、改革を実行することができた。現在ももちろん中国は社会主義を奉じている。しかし実際には彼らがどんどん資本主義市場経済に近付いてきたことは間違いないので、現在Socialism with Chinese characteristicsという言葉は資本主義市場経済化していく中国を揶揄するために西側の研究者や中国人の間で用いられているそうだ。中国的特色というのは、この場合資本主義のことを指している。

ただし、"Capitalism with Chinese characteristics"っていう見方をすれば中国的特色というのは実際に存在している。その特色というのは、現在株式市場で公開され取引できるようになった中国企業の株は、各々の企業の全株式の一部に過ぎず、中国政府がそれぞれの企業の株を相当程度保有していること、つまり中国の場合、資本主義国と比べて国家が経済においてより大きなシェアを占めていること。

その事実は、米国を現在襲っている金融危機とその対応を考える上で示唆に富んでいる。なぜかといえば、議員や新聞や経済学者によってさんざん議論されているこの危機への対応は、民間企業(金融機関)への"公的資金注入"による救済が中心であり、国が企業の資産を購入するということは、程度の問題こそあれ"国有化"であるから。つまり、金融危機に対応するために米国がとっている路線は、国家が経済においてより大きなシェアを占めている中国のSocial Market Economyモデルに近付くことに他ならない。Financial TimesのMartin Wolfなんかは、最近のコラムでファニーメイとフレディマックの国有化を"nationalisation with US characteristics"と揶揄している。もっと過激なのが、同じくFinancial Timesブログの以下の記事。

Willem Buiter, "The end of American capitalism as we knew it"
http://blogs.ft.com/maverecon/2008/09/the-end-of-american-capitalism-as-we-knew-it/

AIGが救済される理由、それは影響を考慮したら倒産するにはあまりにも巨大すぎるから。なんせ世界最大の保険会社である。でも、未来に同じようなずさんなリスク管理をして破たんする金融機関が出るのはほっといたらほぼ間違いない。良いときにはたっぷり私的な利益を稼いで、悪いときには税金によって救済される。つまり、良い時に余剰利益を得ている人たちと、倒産のリスクを負っている人が別々になっているっていう問題がここで発生している。それならなぜ最初から彼らをそんな活動に従事させるのか?預金委託機関は全部国有化すべきじゃないのか?って記事では述べられている。それも、自由市場とGlobalizationを奉じ、世界の金融関係者に支持されているFinancial Timesのブログに。

進行中の"Financial Armageddon"が本当に米国型資本主義が一つの理想型とされた世界の終わり、一つのパラダイムの終わりを意味するのかはわからない。でも、大統領選挙を約1か月後に控えてオバマ支持率が再度上昇していることを考慮したら、金融危機と政権交代がいっしょくたになって米国の"これまでの在り方"に終止符が打たれる可能性は高くなっているんじゃないかと思う。

一方世界経済、そして米国政治の一連の流れに比べたら、日本の麻生総理の就任はとっても小さなイベントにすぎないんだろう。でも、おそらく幸運なことに、総選挙を控えた今、日本は今後の方向性を決定する分岐点に立っている。少なくとも、日本の政治家は目下の政権死守あるいは奪取のためだけに、近視眼的な利害調整に徹していていいわけがない。総選挙では10年、20年先のことくらいを考えて、一貫性のある政策を競ってほしいです。

なんだかどこかの社説みたいな締め方だね、これw。

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最後の秋学期

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最初の一週間を終えて、とる授業が決定。最後となる今学期の授業は以下の三つです。

Economic Development in China

中国政府へのアドバイザーにして、中国で最も影響力のある学者の一人とされる胡鞍鋼教授による授業。彼は当然のごとく清華大学の看板教授の一人でもあるらしいのだが、英語力に少し疑問あり。それでも、何よりも”経済の発展”なるものに興味を持ってきて、さらには中国という社会の変化に興味を持ってきた自分にはまさにドンピシャな内容。彼は中国政府の政策に、環境の悪化や政府の腐敗によるコストを差し引いたGreen GDPやClean GDPを導入させた張本人であり、彼の考えから党上層部の思考トレンドも垣間見ることができそう。最近はなぜか近代史に興味を持ち本まで出しているらしい。授業は、社会変動や経済発展による社会的コスト、あるいは経済発展がもたらす国際関係におけるパワーバランスの変化といったイシューまですそ野が広がりそうな予感。

Governance and Development

シカゴ大でPhDをとり、MITで教鞭をとっていたという崔之元教授による授業。シカゴ大といえばコンサバティブな経済学で知られているし、経歴から西側のエコノミスト的なPrivatizationや市場重視の思考なのかと思ったけど、Wikipediaによれば中国では新左派と呼ばれる社会主義擁護派の論客であるらしい。その点、経済的不平等の是正や環境問題の解決を重要なテーマとしつつも、市場化重視といわれる上記・胡鞍鋼教授とのコントラストが面白い。初回の授業ではジャレド・ダイヤモンドのピュリッツァー賞受賞作で僕のお気に入りの本のひとつである"Guns, Germs and Steel (銃、病原菌、鉄)"の映像版をいきなり見せてきた。ある程度趣味が合いそうだし、教授がなにより親しみやすい雰囲気を持っているのがすごく好印象。今期もっとも楽しみな授業。

Enviroment and Development in China

清華大でエンジニアリングを学んだあと、シラキュース大マクスウェルスクールで公共政策のPhDをとったという面白い経歴を持つDai Yixin教授による授業。この授業は清華大学のものではなく、シラキュース大学北京校のものという扱いになっているが、彼女自身は、清華大学公共管理学院の助教授かつ、公共管理学院MIDプログラムのメインアドバイザーでもある。彼女は2005年までシラキュースにいたらしく、当然雪や恐ろしい寒さの話には花が咲くし、若くてきれいでとても親しみやすい。授業はおそらく今期とるものの中でもっとも整然としていてまとまりがあるし、近隣へのsite visitも盛り込んでいてとても野心的。あと、聴講生として出席している中国人の学生たちの英語力の高さには驚かされた。この授業は環境問題を政策的観点から見ることを主眼としており、経済発展と環境保護というジレンマをどのように超克するかを考えるのがテーマ。

この三つに加えて、週20時間の中国語の授業があります。大学院の授業は先週からはじまっていたんだけど、語学は明日から。北京入り後はほんとにたっぷり遊んでしまった気がするけど、今週から本格的に開始といった感じなので気合いを入れてがんばります。

いよいよ、勉強の秋です。

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僕はなぜ北京へ行くのか

ブログのレイアウトを変えてみた。ほんとに違う人のブログみたいになってしまったけど、かなり気に入っていたNYCのブライアントパークの背景は、もう僕のブログにはふさわしくないのではないか、ひとまず変えてしまえ!ということになりましたので、今後もどうぞよろしくお願いします。9月に入り、北京に行く日もかなり近付いてきたので、自分の気分を盛り上げるためにもサブタイトルに「北京編」を加えました。

最近、久しぶりに再会した友人と話していると、「そもそも北京に行って何するの?」、「それはアメリカの大学院生にとっては普通のことなの?」とか聞かれます。そこで、僕自身と、僕が所属しているプログラムの再紹介もかねて、北京への再留学の経緯についてちょっと書きます。

僕はアメリカのNY州にあるSyracuse大学の一部であるMaxwell Schoolの、MA in International Relations(MAIR)というプログラムに所属しています。Maxwell Schoolは、大学院生のみが所属する社会科学系のスクールです。日本ではあまり知られていませんが、MaxwellはアメリカにおけるPublic Administration(MPA)の領域のパイオニアであり、信頼性が高いと言われているUS Newsの大学院ランキングにおいてもPublic Affairsで近年連続して全米1位にランクされています。僕が所属するMAIRは、MPAと並んでMaxwell Schoolにおけるもう一つの看板プログラムです。今のところForeign Policy Magazineにおいて全米9位or10位という微妙な立ち位置ですがw。でも、僕にとっては第一希望のプログラムでした。

Maxwellの国際関係のプログラムには、いくつかの大きな特徴があります。まず、プログラムはもっとも一般的な2年間ではなく16か月であること(そのおかげもあって費用が安い)、そして世界中にある提携校で1学期間授業を履修すること、また海外でインターンシップを行うことが非常に積極的に奨励されていることです。

後者はグローバルプログラムと呼ばれており、たとえば東アジアに興味があれば、早稲田大学(東京)、国際大学(新潟)、延世大学(Seoul)、清華大学(Beijing)などの提携校の大学院で、1学期間授業を受けることが奨励されています。インターン先については自分で見つけること、将来のキャリアを視野に入れてそれにふさわしい内容の仕事を行うことが原則ですが、世界中どこで行っても証明を提出することによって単位認定されることになっています。いつ世界のどこへ行って何をするかは、入学直後からアドバイザーと相談を重ねて、自分でプログラムをデザインしていきます。

だからMaxwellMAIRにおいては、16か月間ずっとシラキュースに留まる生徒はほとんどいないと思われます。”International Relationsという領域を学ぶ以上、もっとも重要なのは興味のある地域に実際に身をおいて実体験を得ること”、という考え方のもとに学生の国際経験を積み上げることがプログラムの重要な柱になっているからです。

Johns HopkinsGeorgetownTuftsColumbia, Princetonなど他のトップ校においても提携校に留学することは可能だと思いますが、もともとあらゆる意味でリソースが豊富なこれらの学校においては、入学後に他の国へ再留学するインセンティブも限られているのではないかと想像しています。MaxwellはNY州の田舎に所在する大学院なので、Johns HopkinsGeorgetownの学生ようにワシントンの議会やシンクタンクのコンファレンスに参加することもできなければ、TuftsのようにHarvardやMITとの連携もないし、ColumbiaPrincetonのようにノーベル賞クラスの研究者もいません。でも、だからこそ、MaxwellMAIRにおいては国外の提携校への“再留学”にチャレンジするだけのインセンティブが与えられているのだと思いますし、なんだか逆説的だけど、それがいかにもInternational Relationsらしいプログラムを形成しているのではないかと思っています。

僕は入学以前から中国と、東京でボランティアとして1年間、間接的に関わったアフリカという二つの地域に興味を裂かれてきました。実際、この夏は南アフリカで個人商店のコンサルティングを行うプログラムに参加し、インターンをしようと考えていたのですが、諸事情あって受け入れてもらえなかったので、他の人たちに大きく遅れて春先にインターン探しを再開。結局、大統領選を間近に控えたこの時期にアメリカの政治的首都で働くことも得難い機会なのではと考え、ワシントンDCにあるビジネス団体でインターンをしました。

この秋の北京再留学については、僕がMaxwell入学当初から希望していたことでした。中国は今世界で最もダイナミックな経済であり、21世紀のSuperpowerと目されており、さらにはとても複雑な関係を持つ日本の隣国です。僕は高校3年のころから中国語の授業を履修し、高校の修学旅行では実際に北京を訪れました。北京大学附属中との交流をメインとしたその旅行は、これまでの数々の旅行の中でも最も刺激的で楽しかったもののひとつとして記憶されています。その後、大学でもすばらしい教授に恵まれつつ中国語の勉強を続け、授業が終わったら普通に勉強をやめて、数日前に勉強を再開して今に至りますw。以前、北京を訪れたのは2001年。アメリカがアフガニスタン侵攻を始めた直後だったことを記憶しています。あれから7年の間にどれだけの変化が起こったのか、自分の目で見られることがとても楽しみです。

北京では、清華大学に籍を置き、公共管理学院などで大学院レベルの授業(使用言語は英語)を履修しつつ、並行して中国語の授業を受講することになっています。そして2009年1月半ば、秋学期の終了とともに、アメリカには戻らずにそのまま卒業となります。全く違う環境での、最後の学期。めいいっぱい楽しみたいです。

でも、ひとまずあと1週間と少し、日本を謳歌しますw。

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中国人との邂逅⑥

西洋人と共に中国人がやってきはじめたのは開国直後の1860年前後。そこから19世紀の終わりまでのわずか40年ほどで、日本に住む人々にとって文字通り世界の中心であり文化大国であった中国は、野蛮人たちの国と揶揄されるほどになった。春学期のペーパーの内容をピックアップして書いてきたこの話も今回で最後です。補足的にいくつかのことをまとめておきます。

19世紀後半、中国人たちが貿易について果たした役割も大きかった。中国人貿易商(華商)は日本の絹や水産物の輸出において、1920年ころまで圧倒的な力をふるった。彼らの力の源泉は、アジアの各地に張り巡らされた同郷人のネットワーク。長きにわたる鎖国によって、対外貿易の経験が圧倒的に乏しかった日本人の貿易商は、海外の市場動向を予測することができないという致命的な欠点を抱えており、中国資本との競争に敗れて次々と消えていった。今でも"華僑のお金の稼ぎ方"みたいなビジネス啓もう書を見かけることがあると思うけど、中国人の商人としての側面に対する恐れと尊敬は明治時代に形成されたものだと思われる。

裏をかえせば、彼らは"世界"に突然さらされた日本にとって、そこで戦っていくすべを教えた張本人たちだった。同時に華商は日本人に代わって、日本の特産物を売ることができる市場を切り拓いた先兵たちだった。この意味において、彼らは日本が世界経済へ統合される過程における触媒として機能していた。ちなみに、この時代の激しい競争を生き延びたいくつかの日本の貿易商がのちのいわゆる総合商社となっている。

このペーパーで僕が取り上げたかったことの一つ目は、西洋化という言葉で単純化されがちな明治期の日本の発展、つまり西洋からの技術や文化の受け入れ、そして鎖国していた日本が世界に経済を開いていく過程において、日本にやってきた中国人たちが触媒のように作用したという点。上記のことに加えて、以前書いた西洋建築や洋裁の技術移転もこれにあたる。

もう一つは、この時期にやってきた中国人が日本人の中国観を間接的に形成し、また同時にゆがめられた中国観の受け手となった側面。一部の貧しい中国人や、アヘンの密輸に関わった人たちは、確かに新聞の報道などを通じて、日本人の中国に対する意識の変容に関わった。一方で特に留学生たちは、日清戦争後に日本人が中国に対して抱いた優越感が差し向けられる対象となった。

実際のところ、他の国に対する"認識"や"態度"というものが変容した場合、その原因を特定するのは容易じゃない。例えば、アヘン中毒の一部の中国人がどの程度、中国の"象徴"として日本人の意識に影響したのかは分らない。

日本にやってきた中国人たちとは全く関係がないところで、日本人の中国観を変容させるようなことが起こったことも事実。そのうちでもっとも重要なのは、1870年代から実施された教育改革だった。

以前も書いたように、江戸時代まで教育といえばほとんどイコール儒学だった。明治維新のリーダーたちも儒学教育を受けたエリートたちだし、「明治」も「維新」も「王政復古」も中国の古典から借用された。だけど、近代化の必要性を強く感じたリーダーたちは、賢明にも1870年代以降、国の発展に資する人材を育成するため、西洋の実学に重きをおいて教育課程の改革を推進した。

ここで見落としてはいけないことは、西洋の列強に脅威を感じる日本人にとって、儒学は西洋に相対する自らのアイデンティティのよりどころでもあったはずだということ。なぜなら、儒学はそれまで形成されていた"日本文化"なるものの重要な基盤であったはずだから。でも同時に、西洋の脅威にさらされた新しい時代に生き残るために、日本は西洋から実際に国に資するための学問を積極的に学び、儒学から自らを"解放していく"以外に道はなかった。

この教育改革の影響はとても複雑だけど、まず「何か古いもの」「役に立たないもの」となった儒学への認識、当時の若者の中国文化離れ、そして日本が教育改革をアイデンティティの危機という〝痛みをともないつつも"断行した一方で、西洋から積極的に学ぶことを恐れる儒教本国の中国に対する軽蔑の気持ちが増幅されたことくらいはあげられると思う。

今回19世紀に日本にやってきた中国人ということでリサーチをして、このテーマに関する資料が圧倒的に少ないということに気がついた。華商研究者である京大の籠谷教授は、日本の歴史家は、日本がアジアで最初の近代国家であるという自負心から、国家の形成にかかわる中心へ向かう運動に関心を奪われてきており、華商のような中心をもたないネットワークの役割について目を向けてこなかったのではないかという主旨の指摘をしている。歴史家ですらそうであるならば、多面的に歴史を見る必要もない一般の日本人は自らの"自負"を歴史にどう投影しているのか。この手の話をつきつめてもっと公的な場でしたら、すごく右の人に脅迫とかされちゃうかもしれないけど。

最後に、僕が最初に触れた中国人の"顔"について。19世紀に日本に来た中国人たちがどんな職業の人で、どんな役割を担ったのかについては情報があった。そして、彼らが一般的に「上昇志向が非常に強く非常に優秀な人々だった」という指摘も見つけた。だけど、彼らの声が聞こえるような資料は、もちろん自分が日本で歴史的資料にあたれなかったという制約もあるけど見つけることはできなかった。日本人が中国観を変容させるなかで彼らが何を思っていたのか。それはとても興味深い問題である。

これについて、在日中国人4世なる人のコメントを見つけた。おそらく祖先は明治時代に日本にやってきた人たちの一人だと思われる。彼は言う。

私の両親は「周りの日本人はあなたを通じて中国を感じ、理解する。したがってあなたは大使よりも重要な責任を負う事もある」と言っていた。

日清戦争以降、20世紀の前半を通しての日本による侵略などを通じて、日本と中国は現在にまで禍根を残すほどの激しい感情的対立を続けた。そんな中、日本に生きてきた中国人たちが感じてきた社会的プレッシャーはどれほどのものだったのか。彼の祖先はいつ、"大使よりも重要な責任"を意識しなければならなくなったのだろうか。

終わり。

PS.
春学期に書いたペーパーを参照しながら長いものを書くという試みを通じていくつかのことを発見。自分が書いたものを読みなおし、日本語に直しながら内容を取捨選択して書いてみると、新しい考えに行き着くことがあった。「こんなこと書いたんだっけ?」って気づくところも。それに、この作業が意外に大変だということも発見。あとやっぱり自分が中国を勉強したいっていう気持ちを再確認。

そういう良い部分と同時に、ここに書く内容を固定してしまうことのデメリットも感じた。日々の発見があっても、とりあえず続きを先に書かなきゃと思ってしまう部分で。ということで、今後は相変わらず日々気になったこととか、面白いと思ったことを断片的に投げていって、その断片がいつか結びつけばいいなっていうopen-endedなノリで書いていきたいと思います。むしろ、その日の気分だけ書くのもアリかもしれないですw。

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中国人との邂逅⑤

明治に入り、次第に中国人蔑視をはじめた日本人。それを最終的に堅固なものにしたのが1894-1895の日清戦争だった。前回の続き。

1891年、丁汝昌が指揮する清の北方艦隊が来日。多くの新聞が連日のようにこの艦隊のことを報じた。多くの新聞は近代的で巨大な戦艦や、英語を流暢に話す中国人将校を称賛した。中国の近代化という側面を見た日本人は、素直に感銘を受けていたようだ。つまり、この時点において中国への尊敬や畏怖は残っていたということが言えるのではないか。

しかし、「近代的な中国」というイメージも日清戦争で崩れ去ることになった。この戦争は、政府が朝鮮を中国による抑圧から解放するという大義名分のもとに実行し、新聞がそれを額面どおり報道するという形で"国民"の義侠心を揺さぶり広い支持を得た戦争である。新聞は日本軍が勝利をかさねていったプロセスを連日報じ、さらに多くの支持を集めていくことになった。横浜でも、自ら朝鮮半島に渡り戦線に加わろうとする義勇軍が自主的に組織されたり、それが神奈川県によって解散させられたあとも、帰還兵や遺族を扶助するための基金が自主的に創設されたということから、この戦争がいかに草の根レベルで多くの人を熱狂させたかがわかる。

つまり、日清戦争は、日本人に日本人としての絶対的な国民意識を浸透させた出来事としての側面も持っている。幕藩体制によって帰属意識が分化していた江戸時代を考えれば、日本人としての"国民意識"の確立は容易ではなかっただろうけど、近代最初の対外戦争、しかも勝利した相手は古来からより高度な文化と力を持ってきた中国。この事実は"日本国民"をより明瞭に形成した上に、彼らをどれだけ有頂天にさせたか分らない。この戦争以降、人々は日本をアジア最強の帝国とみなすようになった。一方で、中国側にとっては日清戦争の敗北は(アヘン戦争での敗北や、その他列強の実質的侵略を受けていたのにも関わらず)歴史上かつてないほどの屈辱と認識され、のちの100日改革や義和団事件などを経て清帝国の滅亡=数千年に及ぶ皇帝による統治を終結させる遠因となった。日清戦争後、横浜に住む無名の若者はこう述べたという。

「中国は古い制度に固執する蛮族の国だ。」

戦争後、中国から日本にやってくる人々の構成に変化が訪れた。おそらく歴史上はじめて中国が日本に学ぶため公式に留学生を派遣し始めたのだ。1902年の時点で502人の中国人留学生が訪れていたが、その数は1905年までのわずか3年の間に8,620人となった。

ここでちょっと脇道にそれると、当時進んで受け入れ先となる教育機関が限られていた中で、最も精力的に中国人留学生を受け入れていた学校のひとつが、僕とこれを読んでくれていると思われる一部の友人たちの母校である東京専門学校(1902年より早稲田大学)である。中国共産党創設者の一人李大釗(政治学部留学)をはじめ、近代中国の重要人物を多数受け入れてきた早稲田大学と中国とのきずなは深い。とても複雑なところでは、現代中国史で最も重要な出来事と言われる五四運動(個人的にも中国の歴史上もっとも自由な革命運動だったと思うし、中国共産党結党の直接的原因)の引き金を引いた対華21カ条要求を提出したのが大隈重信内閣だったという点もあるけど。いずれにせよ、中華人民共和国のリーダーたち、周恩来、江沢民、胡 錦濤...が来日時に早稲田大学で講演をする背景には19世紀末から深めた早稲田大学とのきずながあるそうです。北京大出身のクラスメートも、僕に気を使いつつも、中国では早稲田は最も有名な大学と言っていたし、早大付属校の一校が中国に修学旅行をする伝統があるのもこういう背景があるんじゃないでしょうか。ちなみに、このペーパーを執筆中に胡 錦濤が早稲田と横浜を訪れたのがとても励みになりました。

話を戻すと、清国に留学生派遣という政策変化をもたらしたのは日清戦争の敗北によるすさまじいショックによって近代化のための改革を担う人材の必要性を認識したことだった。実際のところ、清国政府側は「蛮族を支配するための術は蛮族から学ぶべき」という姿勢だったらしい。一方、日本政府側は留学生を受け入れることによって親日的な中国人グループを形成することができ、それが後々に"有利に働く"のではないかと考えていたらしい。日本政府は日清戦争後の時点で、中国にさらに影響力を拡大すること、あるいは侵略することを構想していたと思われるから、お互いをののしりながらも中国人留学生の日本派遣についての両者のメリットは一致していた。

清国からの留学生は、日本で頻繁に差別にあったことが指摘されている。おもな侮辱の対象となったのは、中国風の服と辮髪だった。実際のところ、辮髪は江戸時代の時点ですでに日本人の間で嘲笑の対象となっていたらしい。しかし、江戸時代の時点では、"辮髪"は満州族(日本人からすれば漢民族でない北方の蛮族)による中華帝国の統治の象徴であったことから、満州族への侮辱であり、中国文化そのものに対するものではなかった。江戸時代の尊王攘夷思想は、"日本こそが正当な中華文化の伝承者である"という認識が起源であるらしい。とにかく、辮髪は日清戦争後に日本人の間で中国の「文化的後進性」の象徴としての意味を著しく増した。このあたりの話は複雑だけど、いずれにせよ日本人学生たちが、戦争勝利を経て、清ではなく中国それ自体に優越感を感じ始めていたことは間違いないだろう。

戦争後もう一つ大きな出来事があった。それが1899年の内地雑居令である。実のところ、それまでの間、日本に在留する外国人の中で、中国人だけが彼らの住む場所を自由に決めることができなかった。これは実際のところ地域によってまちまちで神戸などの場合には、指定居住区以外に住んでいた中国人も多かったという指摘もあるけど、いずれにせよ決められた区画以外の地域に中国人が住むことは禁止されていた。政府内では、「中国人にだけこのような扱いをすることは信義にもとる」というまっとうな意見もあり、1870年代から法律の改正が議題に上っていた。しかし、政府内では中国人の内地拡大を恐れる声の方が大きかった。その背景には明治時代を通して日本が全く歯が立たなかった強力な中国資本の存在、安い労働力、そしてアヘン流通への危惧があった。しかし、日本に住む中国人たちの嘆願を受けて、政府は内地雑居令を公布し中国人は自ら住む場所を選ぶことが可能になった。

しかし、重要なことにこの法律には中国人が指定居住区以外に移住するときには政府の認可を得なければならないこと、またブルーカラー労働者の移住は原則的に認められないという付帯条項があった。この法律は、嘆願を出した在日中国商人(華商)たちには有利に働いたけど、同時に、事実上は中国人の非熟練労働者移民受け入れの停止という形で作用した。この法律の施行のあと、日本に来ることができる中国人は、商人、技術者、学生、そして旅客だけとなった。

僕も少しびっくりしたけど、この法律は現在も有効らしい。これによって、日本の中国人社会は、アメリカとも、東南アジアの中国人社会とも異なるものになった。もっとも顕著なのは彼らが就いてきた職業で、日本にやってきた中国人は貿易、サービス業、エンジニアリング、そして研究職に従事する割合が圧倒的に高かった。このような特異な中国人コミュニティを形成したのが、内地雑居法(その付帯条項)だったらしい。

次回を最後にします。

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中国人との邂逅④

日本三大チャイナタウンといえば、横浜、神戸、長崎。らしい。

春学期のリサーチでは、その中でも横浜に来た中国人と港湾都市としての横浜の発展についてとりあげた。前回からの続きです。このあたりからようやく本題に入ります。

徳川幕府は、日米修好通商条約において"神奈川"を開港することを約束したけど、江戸に近く人口が多い"神奈川"を開港するのは避けたかったので、代わりに神奈川の近くのただの寒村であった横浜を開くことにした。幕府はそのために横浜に開港場を作り、外国人が早速そこに集まり始めたことによって既成事実を作ることに成功。今では日本最大の貿易・国際都市である横浜だけど、古くから港町として発展してきた神戸、長崎とは違い、この街は幕末の政治的思惑のおかげでゼロから急成長した新しい街だった。

開港後、この街に来たほぼすべての西洋人が中国人を伴ってやってきた。その理由は、第一に日本人と取引を行うのに漢字を用いる筆談が有効だったこと。第二に、古くから日本と交易していたために、中国人は日本の特産品についてよく知っていたためである。つまり、当時日本を訪れ始めた西洋人は通訳・貿易品のコンサルタントとしての中国人に商売上の多くの手続きを依存しなければならなかった。事実、横浜に拠点を構えた欧米の商館において実質的に力を持っていたのは、多くの場合買弁(欧米の特定の商館に仕える中国人商人)であったと言われる。明治の日本の近代化をけん引した絹の取引も、イギリス商人との間に阿忠義という中国人が仲介したものが最初と言われている。

もちろん、欧米商館に使える中国人以外にもいろんな職種の人が来た。中には有名な知識人もおり、とある侍が書いた"横浜日記"には横浜に住む中国人、趙宗敏を訪れることを彼が非常に楽しみにしていた様子が描かれている。江戸に住む多くの侍にとって、横浜は文化サロンのようなものになり、清国からやってきた紳士たちと交流することが娯楽になっていたのではないかと指摘する研究もある。中には大工もいた。日本に西洋建築を伝えたのは、実のところ西洋人ではなく中国人であるらしい。彼らは香港などですでに西洋建築の技術を習得し、西洋人に代わって洋館を建てた。その技術が日本人に伝えられていったのである。洋裁も日本人に伝えたのは中国人だそうで、当時の新聞広告には広東出身の中国人による仕立て屋の広告が並んだ。横浜で刷られた最初の英字新聞も、中国人によって製版された。

近代日本最初の貿易だけでなく、こんな風に西洋から流れ込んできた多くの技術の移転にも、中国人が触媒として関わり重要な役目を果たしたことは見落としてはならないと思う。

横浜は日本中の商人だけでなく、観光客もひきつけ急激に成長していった。横浜を訪れる人たちはそれまで味わったことのない異国の情緒に引かれてやってきた。そこで、多くの人が商館で働く中国人と接する機会を得ることになった。当時の人々の考えを反映しているといわれる、横浜絵とよばれる庶民のための絵巻物には清国の文化的豊かさを讃美する一文や、中国人の能力の高さを称賛するものがよく見られる。

だけど皮肉なことに、日本人は世界の現実なるものを徐々に内面化していくことになる。現実に、1862年に出版された横浜開港見聞録という当時の横浜の旅行ガイドのようなものに載った中国人は一人も残さず"西洋人の使用人"だった。日本にとって、それまでの歴史上常に英知の源泉であり、彼らの知る世界で最も豊かな知識人の国のはずだった中国のイメージがこの頃から徐々に崩れていく。

1877年、当時の横浜で最も普及していた"横浜毎日新聞"に、"東アジア人"と西洋人の関係についての記事が掲載された。記事は「なぜ西洋人が日本人を蔑む一方で、日本人は中国人を蔑むのか?」と問うた。上記の状況は1877年の時点で一般的なものだったという。このころまでに、中国人のことを夷狄(野蛮人)と呼ぶ日本人が多く現れた。(皮肉なことに"夷狄"は中国が古代より日本を含む周囲の国の人々を軽蔑的に指すために用いてきた言葉で、日本が中国から輸入した言葉である。)記事は、東アジアの西洋化の必要性を訴え、西洋人がこれ以上東アジア人を"奴隷"として見なすことがないよう、状況を変えるために団結しなければならないと主張した。多くの人が清国と中国人を尊敬していた幕末からここまでの変化が訪れたのには原因がある。

第一に、横浜にやってきた中国人の数が急増したこと。1864年に100人あまりだった横浜の中国人の数は、1879年には2,245人にまで増えていた。特に重要なのは1860年代後半以降、職を持たない中国人が大量に流入したことである。(これは、西欧列強が盛んに中国人ブルーカラーを北米、南米に送り込んだいわゆるクーリー貿易の一部だと思われる。)当時の横浜は全国から日本人労働者が流入し、日本人貧民街が形成され始めていた。その近辺に数人の無職の中国人が小屋を立てて住み始めた。この事実が日本人にとって大きな衝撃だったという。彼らも、自分たちと変わらない"貧しいアジア人"であることを印象づけたから。

第二に、1870年代半ばから、中国人のアヘンの密輸が日本人の注目を集め始めたこと。以前書いたように、日本人はアヘン戦争直後から書物を通じてアヘン中毒の恐ろしさを知り、日本への流入に非常に過敏になっていた。横浜毎日新聞は1879年に中国人社会でアヘンの使用が蔓延していることを警告する記事を載せている。このアヘン問題は、中国人の治外法権の問題と絡まって日本人をさらに苛立たせた。1871年の日清修好条規以降、日本と中国はお互いにそれぞれの国における国民の治外法権を認めており、もし日本の警察が中国人のアヘン使用を見つけたところでそれを検挙し日本の法律で裁くことができなかったからである。この条約は西洋と結んだものと違い、お互いの国の平等な権利を保障した条約だったにも関わらず、中国人のアヘン問題への世間の認識を過度に悪化させる結果となった。なぜなら、中国人が治外法権を盾にして、アヘンの使用に溺れているかのような強烈にネガティブな印象を与えたから。

また、新聞は同時に、中国人の賭博について多くを取り上げた。賭場には多くの日本人が参加していたにもかかわらず、その事実はほとんどの場合問題にならなかった。さらには、賭場が開かれたのは多くの場合欧米の商館であり、西洋人がわいろを受け取って中国人に場所を提供していたのが明らかだったのにもかかわらずそれも問題にされることはなかった。実のところ、当時の犯罪数は西洋人の方が多かったのにもかかわらず、どういうわけか中国人による犯罪ほど注目を集めなかった。(ちなみに人口は中国人の方が西洋人より多かった。)

こんな風にして、明治維新前後から急激に悪化した日本人の中国人観、あるいは中国観は、さまざまな要素にゆがめられるかたちで形成されていった。特に考えなければならないのは、当時の日本人が、中国人を西洋人との比較の中で蔑視し始めたこと。幕末まで日本人にとって中国は世界で最も豊かな文明をもった国であり、西洋人に相対した東洋人としてのアイデンティティのよりどころでもあり、それがある意味において裏切られることになってしまったという点は重要だと思う。また、中国人のアヘン中毒問題自体も、莫大な利益を上げるアヘン輸出を続けるために戦争まで行ったイギリスをはじめとする西欧列強によって引き起こされたっていう事実も見落としてはいけないと思う。ペーパーのチェックをしてもらったヘンリーから、アメリカでもこの時期同様に、中国人のアヘン吸引が社会問題化し、中国人移民への差別意識が強まったのだと聞いた。でも、それならば彼らが好きでアヘン中毒になったとでも言うのか。それを武力を背景に売りつけたのは誰だ?日本人にアヘンに対する恐怖を徹底的に植え付けたのは誰だ?

ちなみに今回の話の多くの内容は、以下の本に依存しております。とても面白くて、かつ読みやすい本です。開港当時の横浜と、中国人移民第一世代に興味がある方はぜひ。

開国日本と横浜中華街 (あじあブックス) Book 開国日本と横浜中華街 (あじあブックス)

著者:西川 武臣,伊藤 泉美
販売元:大修館書店
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中国人との邂逅③

1853年7月8日。
ペリーを乗せた黒船の来航が日本の歴史におけるターニング・ポイントだったことを疑う人はいないだろう。

「太平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船)、 たった四杯で夜も眠れず。」

中学の歴史で学んだように、黒船の来航による日本人の動転ぶりはものすごいものだったみたい。江戸湾岸地域には戒厳令が出され、緊張の高まりの中で家を放って逃げ出す人まで現れたとのこと。このリアクションの背景には、"偉大な清国"をいとも簡単に葬った"アヘン"、"西欧人"に対する恐怖が少なからずあったと思われる。しかし条約の締結のために2度目にペリーが訪れたとき、多くの人が興味しんしんで小舟をこぎだしてまで黒船見物に訪れたらしい。このあたりが日本人の面白いところだと思います。

ところでそのペリー艦隊に一人の中国人が乗船していたことはあまり知られていない。アメリカとの関係のはじまりである日米和親条約の交渉は英語、日本語のいずれも用いられずに進められた。アメリカ側が口語としてオランダ語を、書き言葉として中国語を使って交渉することを指定したためらしい。江戸時代、武士の教育といえばほとんどの場合儒学、つまり中国古典学だったため、多くの武士が漢詩を読み書きすることができた。後期から蘭学を学ぶ人も現れたけど、アメリカは日本のこの状況を知っており、オランダ語、中国語を交渉の公式言語としたのだ。このときにペリーの腹心であるウィリアムズ(広東に駐在していた)が中国語に自信がなかったために助手として連れてきたのが羅森だった。羅森はペリー艦隊の乗組員の中で日本人に最も親しまれた人とされている。艦隊が函館や下田などの各港を訪れたとき、儒学を勉強しつつも、本当の中国人と自分たちの考え方について語る機会のなかった武士や役人はこぞって彼のもとを訪れ、漢詩の交換をしたり、儒教の教え手について討論をした。ある役人は羅森にこう言った。

「あなたのような清国の知識人がなぜアメリカの言葉を話す?あなたがしていることは自分の身を落とす行為にすぎない。」

条約の交渉においても、少なくともアメリカ人側はオランダ語でのあいまいなやりとりより中国語での筆談の方が信用できると考えていたらしい。しかし、中国語は日米和親条約の締結直前に公式文書から姿を消した。蘭学者・森山栄之助が幕府内で勢力を高めたためらしい。

日米和親条約に基づき、ハリスが外交と貿易について幕府と協議するために下田に着いたのは1856年の8月だった。このときにハリスは5人の中国人を下働きとして連れてきた。彼らは香港出身で、ハリスの高給に引かれて乗船した人たちであった。彼らは明治時代に西洋人が連れてきた多くの中国人奉公人のさきがけ的存在だった。しかし重要なことに、1856年11月、二人の中国人が下田でアヘンの塊を盗み出す事件が発生。この問題はただちに日米の外交問題に発展したが、ハリスがアヘンを返却することを約束したことによってすぐに火消しされた。しかし、この事件を知った当時の多くの人たちは、中国人がアヘンに蝕まれているという印象を強く受けたという。

ちなみにハリスは、西欧が東アジア各国と数多く結んだ不平等条約の一つと呼ばれる日米修好通商条約の締結に成功したけど、締結しなかった場合日本が中国と同様にアヘン中毒に苦しむ可能性を匂わせたらしい。

いずれにせよ、こうして神奈川、函館、新潟、長崎、兵庫が条約港として暫時開かれることが約束され、日本は200年以上保持した鎖国を終えた。そしてその直後から、西洋人に交じってより多くの中国人が訪れることになった。

ということでまた次回。

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中国人との邂逅②

春学期にリサーチをした「19世紀に日本に来た中国人」についての話の続きです。というかはじまりです。

歴史の話がつまらないという方へ。そんなことないです。僕の中で開港と維新から始まった「明治」という時代は現代の日本の基盤を形成して世界における位置づけもそれなりに定めた時期だったと思うし、同時に日本が現代まで引きずってるさまざまな問題もこの時代に起源を持っているものが多いと思っています。ちなみにそもそも”維新”という言葉や、維新の別名である”王政復古”という言葉は中国の古典からとられたものです。日本における近代は、西洋人との出会いに始まり、西洋化を進めていった過程として語られるけど、日本と西洋の接触の間には多くの場合、”中国”が介在していたことは知っておくべきなんじゃないかと思います。

現代の日本人の”中国観”も実は明治時代初期までにかなりの部分が形成されて、あまり変化してこなかったのではないかというのが僕の仮説です。だからこそ、分量的にも多いけど、日本と中国の関係について少しでも興味があるひとはぜひ読んでみてください。興味がない人、そんなのすでに知っているっていう人はすいません。

江戸時代、日本は鎖国を行っていて限られた国と長崎でのみ交易を行っていた。長崎においては中国人商人は朝鮮人とともに”唐人屋敷”と呼ばれる2000人ほどが収容できる区画に逗留することが義務付けられており、その区画への出入りは幕府によって厳しく制限されていた。ここに入ることができた一般人は基本的には唐人行と呼ばれる遊女だけだったと言われる。つまり、貿易に携わる一部の役人と一部の遊女を除いて日本人が中国人と接する機会はこの時代ほとんどなかったということになる。僕が「中国人との邂逅」としているのは、日本人が千年以上もの昔から長きにわたって多くを学んできた中国人たちと”再会”したのが幕末の開港の時期だったからである。

ちなみにそれ以前、中国人は日本に流入しており、9世紀ごろに一時移民のピークを迎えたという。今週のEconomist誌に、アイヌ人とはいわゆる”縄文人”であり、本州以南の人たちは朝鮮半島から渡ってきた人たちの血を引く”弥生人”という話があったけど、そもそも昔から人類というのは現代人が思っている以上に移動し交配を繰り返してきた。つまり、中国、朝鮮半島から渡ってきた人の血は今の日本に生きるすべての人に混じっていると思われるし、人種的に”日本人”などという括りは存在しないこと、顔立ちが非常に近いことからも分かるように中国、朝鮮半島、日本の人たちはれっきとした同じ人種であることもいちおう付しておきます。

幕末。多くの日本人が中国人を含めた外国人を一瞥する機会もなく、幕府の高官でさえ西欧列強の動きや力を正確に把握していた人はほとんどいなかった時代。1806年に書かれた防海策という有名な書にはこんな記述がある。以下、引用はすべて僕の現代語訳。

大清国は強大で(日本に)いつでも手が届く位置にある。より賢い皇帝が現れ進出を謀った場合、我が国の被る被害はロシアの攻撃を受けるよりよっぽどひどいものになるだろう。我が国はすべての力を使って清国と同盟関係を築き、貿易を行うべきである。

水戸の斉昭公は1839年にこう述べている。

清国の力は偉大だ。だから西洋の蛮族どもはうかつに手を出せないだろう。琉球と朝鮮は弱く、とるにたらない。つまりロシアはまず日本を制圧し、それから清国への侵略を考えるはずだ。なんと恐ろしい話か。

斉昭公がそう述べた同1839年、阿片戦争が勃発。清は惨敗。このニュースはオランダや清商人を伝わって幕府に流れたけど、清の役人が記録したアヘン戦争記をはじめとする清で発禁となった書物が貿易を通じて日本に流れ、それを嶺田楓江が入手。嶺田はそれらの本をもとに「海外新話」を書きあげた。そして、正確な数は分からないが写本によって多くの一般人もそれを読む機会を得たらしい。

物語として仕立て上げられたこの本は、細部において事実に忠実だったわけじゃないけど、その分娯楽的に楽しめるように趣向がこらされており、役人を含めた多くの人に重宝され、多くの中国人を中毒に陥れたアヘンの恐ろしさ、そして西欧人の恐ろしさを知らしめることになったと言われている。この書物が幕末の外交政策、つまりペリー来航時の幕府の対応に大きく影響を与えることになった。

まだ中国人と再会もしていませんが、明日また続きを書きます。

⑥とか⑦まで続いちゃいそう・・・。

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中国人との邂逅①

たけぴんぐーなーくんのブログを読んで、「これは日記じゃないんだからきっちり書かなきゃ」と思いなおしました。彼のサッカー観戦記はすごいです。マニアックなのに流麗です。特に欧州サッカー好きな方はリンクからぜひどうぞw。

ところで思い返せば春学期。Modern Chinaという現代中国史の授業では、アメリカ人によって書かれた中国史の教科書を使って、かなりの親中的だと思われるけどアメリカ人の教授の授業を受けた。以前も書いた通り、この授業のNorman Kutcher教授はほんとにテンション高くて大好きだったのだが、もう一つこの授業が好きだった決定的な理由がある。それは、「個」としての中国人を見ようとすること、彼らのアイデンティティを模索することを控え目なテーマとしていたこと。これは僕の感覚にとてもしっくりくるテーマだった。

中国と言えば人口13億。1949年の中華人民共和国創設以来、共産党と表裏一体の巨大な国家が国民の生活レベルまで触手を伸ばしてきたし、人民服と赤い国旗の鮮烈なイメージがつきまとう。そういう国の人々に対して、僕たち外国人はどのようなイメージを持っているのか。旅行したことのある人は、バイタリティがあるとか、やかましいとかいろんなイメージはあると思うけど、結局僕らは中国人スターなんかもほとんど知らないし、ポップソングも知らない。出てくるのは良くて毛沢東とかその他国家元首の顔くらい。とにかく、そんな中国人のイメージは、確かに以前ここいばも指摘していたように中国という「国家」そのもののイメージになるかもしれない。あるいは程度の問題こそあれ、国家に抑圧あるいはコントロールされている”Facelessな群衆”のイメージなんじゃないかと思う。

だからこそ、一人一人の人生=顔を見ようとすることを現代中国史を学ぶ上でのテーマにするっていうのは特別な意味があるように思えた。授業でアサインされた中国の近代小説は、結局小説だから事実を描いているわけじゃないけど、大事なのは作者のレンズや思いそれ自体で、そういう歴史の学び方は、こと中国という国を見る上ではとても有効なように思ったのだ。

その授業のリサーチ・ペーパーは、「1860年代」と「中国」に関するテーマを選んで書けというものだった。僕はこの授業のペーパーは天安門事件について書こうと勝手に計画していたのでどうしようかと思ったけど、とりあえずいろいろ考えた末、1868年=明治維新ということで、日本の開港とともにやってきた中国人たちについて書くことにした。教授も僕のテーマについてはなぜかウキウキだった。

ということで、僕が歴史資料に直接あたったわけではないので二次情報満載ですが、次回から19世紀の日本と中国人について復習もかねて書こうと思います。

前置きが異様に長くなったので今日は寝ます。

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また一つスタート地点

現代アフリカと開発経済学―市場経済の荒波のなかで Book 現代アフリカと開発経済学―市場経済の荒波のなかで

著者:峯 陽一
販売元:日本評論社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

以前このブログに書いた「母から母へ」の翻訳者でもある南アフリカ研究者、経済学者の峯先生による本。国際開発研究の第4回大来賞受賞作品。ひとことで感想を言えば、名著。筆者があとがきでも書いているように、アフリカや経済学に関心がある人だけじゃなくて、他の地域に関心がある人、政治学、社会学、国際関係学、humanityに興味がある人もぜひ読むべき一冊だと思う。

僕はほんの3カ月前まで、この夏は南アフリカにいるつもりマンマンだった。大学院に入学する前、一年と少しアフリカ関係のボランティアに関わらせていただき、いろいろ学ばせていただいたけど、その中でもとても印象的だったのが峯先生にも講演をしていただいた連続セミナーの体験。以来、自分の生まれた地域であり、多少なりともバックグラウンドがありまさに世界経済の中で急激に存在感を増している東アジアと、大学卒業するまで経験として全く接点のなかったアフリカの間で、自分はいったいどちらを専攻すべきなのかを考え続け、大学院入学時点で南アフリカと中国両方に行くプランを決め、とりあえずの妥協点を見出した自分。しかし、結局ひょんなことから南アフリカ行きを断念させられ、現在ワシントンでインターンしながら現代中国の授業をとり、コンサバティブにも完全な東アジア専攻となっている自分です。国際関係学という領域を大学院から専攻したことにも表れているように、僕はもともといろんな領域にどんどん手を出す傾向があり中途半端な、あるいは社会的には有害ですらあるのかもしれないジェネラリストになっちゃうのではないかという怖れと、同時に何かの領域でスペシャリストになるためにも未だに自分の知識のスコープは狭すぎるのではないかという認識もありますが。いずれにせよ、この本を読んでやっぱりアフリカも、開発の経済学・政治学も最高に魅力的だと思わされました。

この本に感銘を受けた一つの要素として、語られていることが春学期の授業のひとつCulture in World Affairsで自分自身が得た問題意識を、アフリカ地域研究、開発経済学の視点から高次元で包括していることが挙げられると思う。この本を読めば、以前このブログでも紹介したCulture Mattersの(特にアフリカについての)議論がどれだけ狭量かということが浮き彫りです。

ちなみにCulture Mattersで提示されているパラダイムはアフリカにおける経済の停滞を、直線的な人類の発展=経済や西欧的民主主義の発展という世界観の中で「低開発」に位置づけ、主に先進国/援助者としての視点からこれまでの経済発展の失敗を「アフリカ文化の耐久性」に求めようとするもの。この考え方自体から学べるものもないわけではないと思うけど、この考え方を採用して議論している寄稿者の大部分は、文化に対して従属的な個人を仮定して個人の主体性を無視したり、アフリカ大陸がアフリカ文化を持っていることを前提として内部の多様性を無視したり、あるいは、例えば「貯蓄を美徳とする価値観」の欠如が資本蓄積が起こらない原因みたいな感じでジェネリックな価値観と経済発展を単線的に結びつけたりとか、とにかくいろいろな落とし穴に陥りがち。それが僕が授業のファイナルペーパーで書いたCulture Mattersに対する批判だったんだけど、そういった僕の問題意識を完全に包括して、社会科学として本当に豊かな議論をしている本だというのが読了後の素直な感想です。

ベイツの都市偏重の開発政策の批判とか、ハーシュマンの「退出・告発」モデルとかも含めて目からウロコだった点は多々あるんですが、とりあえずその中でもアマルティア・センと関連させた飢饉についての議論について。たぶん開発経済学を学んでいる人にとっては基本的なレベルの議論なんだろうけど、世界の食糧危機がメディアで盛んに叫ばれている今日とても重要なトピックだと思うし、非常に面白かったので少し引用、メモしておきます。

飢饉について

・(エチオピアのウォロ州で、農業生産が激減したのにも関わらず生産物が他の地域に流出したことを受けて)特定の地域で食糧不足が起きれば、周囲の地域から食糧が流れ込む。少なくとも道義的には、そうなるべきである。だが、非常事態において公的な介入が弱く、生の形で市場メカニズムが機能してしまうとき、そんな食糧の流れが期待できるとは限らない。貨幣がなければ欠乏は重要に転化せず、需要がなければ供給は発生しないからである...市場における需要は、生物学的な必要度や心理的な要求を反映するのではなく、交換エンタイトルメントにもとづく選択を反映するにすぎない。交換すべきものをもたない者は、多くのものを重要できず、その財に対する必要度があまり緊急でない者との競争に敗北する。

・後進的な農業技術のせいで、食糧生産の増加率は人口増加率に追いつけない。だから飢饉が発生する―これが一般の「常識」である。だが、センはそうは考えなかった。農業問題は確かに重要だが、収穫が減少したから飢饉が発生するというのは、あまりにも素朴な単線的因果論である。気候の変調を真の悲劇に転化するのは、あくまで人間の所業にほかならない。政策の改善と公共の参加があれば、悲劇を防ぐことは可能である。

・英語において飢饉が「大量死に至る飢餓」という意味をもつようになった決定的な転機は、デワールによれば、19世紀にトマス・ロバート・マルサスが引き起こした人口論争にほかならない...マルサスにとって飢饉とは、個々の人間には手が届かない自然的な法則に導かれて、社会に襲いかかってくる現象である。こうして、人口学者、医者、農業統計者による飢饉の「計量化」の時代が始まった。しかし、食糧不足によって劇的な人口減が引き起こされる黙示録的災害としての飢饉は、現実の事例によって確認されたものではなく、あくまでマルサスの頭のなかで生み出されたものである。

スーダン・ダルフールでの飢饉について

・デワールによれば、飢餓の延長線上に飢饉を位置づける点で、センはマルサスの呪縛から逃れることができていない...飢えた者は自分の手持ちの食料を食べつくし、売れる資産は売り尽くし、すべての所得を穀物の購買に充当したうえで、それでも穀物が不足したときに飢餓に陥ると考えられている...しかし(、ダルフールの住民たちは、未来のために現在を犠牲にする選択肢を選んでいた―あえて言えば、この人々は現在の飢えを主体的に選んでいたのである。(具体的には、たとえば干ばつによって家畜の一部を失いはじめた牧畜民は、貯蓄があっても自分たちの食糧は買わず、家畜のための飼料や水を購入したり、家畜番を雇うなど、むしろ家畜を生かしておくために貨幣を支出しようとした。また収穫の崩壊に直面した農耕民は、野生の植物を食べたり、貨幣所得を求めて絶望的な出稼ぎに出たりしたが、出身村落の土地は決して売り払おうとしなかった。)

・飢饉が人々の極度の困窮(destitution)を強いたことは、確実である。だが、この困窮はダルフールの住民にとって、死に到る飢餓の脅威というよりも、生活様式の崩壊の危機として認識されていた...それでも10万人の犠牲者が出たのは事実である...デワールによれば餓死ではない。犠牲者の大部分は病死したのである。ダルフールでは、貧者も富者も、死亡率にはほとんど差異はなかった。ただし、医療施設や井戸が整っていた村落では死者は少なく、逆の村落では大量の死者が出た...ダルフールの飢饉においては、大量死の直接の原因は、食糧不足ではなく、水の制約と人間の移動がもたらした疾病の大流行だったのである。

・(デワールの)目標そのものはセンと変わらない。外部から飢饉に介入しようとする「善意の人々」は、現実のなかから自分のなかの飢饉に適合する要素だけを選択的に切り取って、政策を立案する傾向がある。すなわち、「緊急事態」の名のもとで、外部のものが飢饉の性質と被災者のニーズを一方的に定義し、望まれてもいない「援助」を大規模に投入するのである...(ダルフールの飢饉では)、国際援助機関は現地の行政機構を無視して、独自に食糧の分配網を築こうとする傾向があった...食糧援助そのものが悪いというわけではない。だが、食糧援助の方法とタイミングは決して最善のものではなかったし、後からやってきた外部の救援機関は、食糧の分配よりも保健衛生にかかわる分野を優先させるべきであった。

・江戸時代、18世紀の「天明の飢饉」においても、アフリカの飢饉とよく似た事態が発生していたようである。すなわち江戸時代の飢饉においては、凶作の発生の後、一揆などの暴力的な社会的紛争が続き、階層制度が揺らぎ、それから深刻な病気が流行し、やがて悲劇は終息に向かうというパターンが認められるという。

・センとドレーズは、事後的な医療救援よりも、飢饉の初期段階での食糧エンタイトルメントの防衛の方がいっそう有効だと説く...さらにセンとドレーズは、飢饉防止活動を評価するにあたり、西側のマスコミや社会科学者は、先進国の救援機関の貢献を過剰に賞賛し、現地の政府機関の活動を無視する傾向があると指摘する。

・センによれば、(アフリカと対照的に)独立後のインドで飢饉が発生していないことについて、その最大の理由は、複数政党制が機能してきたことと独立したマスコミが大きな力を有してきたことに求められる。インドの特定の地域で、飢饉の前兆があれば、マスコミは大きく報じ、中央政府と州政府に警鐘を鳴らす。それでも政府が飢饉の進行を放置すれば、政権党は新聞にたたかれ、議会では野党に厳しく批判されることになるだろう。

もっと議論は深まっていくんですが、あまり引用しすぎると著作権に抵触するのかもしれないので、この辺でとりあえずやめておきます(すでにだいぶ引用しましたが、問題にならないことを祈ります)。セン氏は中国の大躍進政策時の史上最大の飢饉(推定3000万人が死亡)についても書いているらしいけど、最後なんかはもろにそれとの関連ですね。

セン氏の問題意識そのものにも個人的にこれまでなんとなく考えてきたことととても共感するところがある。僕は経済学専攻ではありませんが、その問題意識は、「経済学は、ひとりひとりの顔をもつ人間を救うことができなければならない」という点。セン氏は、「開発経済学の最大の弱点は、集計的なデータに対するフェティシズムから逃れられなかったところにある」と述べているそう。

ちょっと強引な議論かもしれないけど、僕はそもそも一人一人の日本人はほんとに「豊か」なのかっていう疑問を持っている。経済規模でいえば、世界2位。一人あたりGDPも、90年代の不況で苦しむ間にアメリカとのギャップは広がったとは言え、世界的に見れば非常に高水準。だけど、こうしたマクロ経済的な指標はある意味で生活している個人個人が感じる「豊かさ」とはほとんど関係がないのではないかと。ここで矛盾するようだけどあえて数字を出すなら、東京では6畳ワンルームの貧相な部屋に毎月7万円とか払わないと住めなくて、多くの人が満員電車で1時間とか2時間かけて勤務先と家を毎日往復してる。東京では公園とか、広場とか、街の外観とかそういう公共財のようなものはアメリカやヨーロッパの都市と比べて圧倒的に貧相だ。まず、そもそも日本って欧米の水準で考えたら物質的にすら豊かではないんじゃないかっていう部分。さらに日本は年間に30000人が自殺してる社会で、引きこもりやニートの問題は、ヨーロッパでもニュースで放送されているらしく彼らですら深刻さを知ってる。国際的な残業時間の比較に表れている以上に多くのサラリーマンがストレスフルな仕事の仕方をしているのではないかという印象を受ける。社会における一人一人の充実感やストレスを正当に表している数字なんてないし、そういう感覚的な尺度で見れば、多くの日本人は欧米の人たちに比べて非常に貧しい生活を送っているような気がしてならない。もちろん、韓国や台湾の新大統領がそうであるように政策を策定する上で、GDPなどのマクロ経済指標の向上を掲げることが悪いんじゃない。でも、一人一人の生活をいろんな側面で豊かにする、一人一人がもっといい顔してる社会を作ることが本当の目標であるべきだ。

脱線しましたが、もう一度話を峯氏の本に戻すと、この本は開発経済学の観点から見れば入門レベルの平易な言葉と概念を用いて書かれているいるらしいんだけど、同時に地域研究や政治、経済を勉強するものにとっていつでも戻ってくるべき重要な視点が展開されている本でもあると思う。僕は秋に中国で経済発展についての授業を取るつもりなんだけど、その前にアマルティア・センなどは必読ですな。

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アウトプット

インターンシップははじまったのだけれど、内容はとてもマッタリ。明らかに以前より自分の気持ちが安らいでいるのが分かる。

アウトプットし続けるのって、そういう心理状態の中ではとても難しいことに気づいた。自分の中で消化しきれない圧倒的な量のインプットと今、現状に対する何らかの焦りとか、そういうものが授業で取り扱ったことについても、それ以外の部分で感じたことについてもここに書こうという衝動を自分にもたらして、アウトプットに駆り立てていたのではないかと。

どんな心理状態でも、自分の生活や、感じたことを描写したり、解釈することはできる。だけど、世の中で今起こっていること、かつて起こったこと、未来に起こりそうなこと、あるいは誰かのそれらに対する見方について自分なりの考えを述べることはとってもパワーを要する作業だ。以前からアメリカの大学院に留学している方々のブログを読んで、自分の知識の薄さとか、専門性のなさとか、それらを包括してプロフェッショナリズムが欠如しているような自覚は持ってきたけど、最近はもっと範囲を広げて専門的知識を持つ人のブログを読むようになって、さらに自分がなんだか幼稚で恥ずかしいことを書いているのではないかと思う時がある。あるいは、自分がここに書く何かによってどこかで誰かを傷つけることになったりはしないかともふと思うこともあるし、インターネットっていう仮想世界のはじっこで自分を見てほしいと言っているだけのように思うことも。

もちろん、書きたいときに書けばいいわけだし、上に書いたほど僕が自分が書くということに悲観的になっているわけじゃないんだけど、自分が何かを書くのをやめる理由なんて予想以上にごろごろと転がっていることに気づいたというわけです。もちろん、自分の場合とは逆に日々の生活が忙しくなりすぎて書いてる場合じゃないっていうことの方が多いとも思うんだけど、どちらにせよアウトプットっていうのはとっても困難な作業だってこと。どんなに稚拙な文章だって、それを考えて書いて誰かに読んでもらうことにはやっぱり産みの苦しみとそれなりの恥ずかしさとか後ろめたさが伴う。

そういう風に考えたら、そしてそれでもなぜ自分がアウトプットしたいのか、すべきなのか考えたら、答えはたぶん僕が考え続けたいからだということにとりあえず行きついた。もちろん文章を書かないことが悪いことだと思うわけじゃないけど、少なくとも自分にとって、ものを考えることっていうのは、文章として外に打ち出して、全体を眺めて、どうしても気に入らない何かを排除して、順番を並べ替えてみて、ポシャになって、2日後にまた書いて、翌朝書いたことを後悔して、気分が良いときに何度か眺めてみて、それで決して安心できる内容でなくても、また何か書きたいっていう気持ちになる、ちょっと大げさになったけどそういうプロセスそれ自体だ。

最近、ケニア出身のとんでもなくおしゃべりなルームメイトが言ってたこと。

「自分にとって学ぶことは常に誰かとシェアすることだ。だから何だって言ってしまえばいい。自分が間違ってることを指摘されたら、それについて考えて直せばいいし、そうじゃなきゃどうやって変えることができるんだ。オープンになる以外にどうやって学んだらいいのか俺は知らないね。」

単純なことだけど、でも人にとって学ぶということも、オープンであることも無限に存在する人生の送り方の一つの選択肢でしかない。同時にそれを選んでもオープンであり続けることは予想以上に難しかったりする。でもやっぱりそうありたい。

何がいいたいのか分からなくなってきたけど。とりあえず自分は今、自分の考えを明らかにする人を以前にもまして尊敬するし、ここに書きたくなることをもっと見つけていきたいってことだと思う。少し穏やかな生活の中でこそアグレッシブにね。

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グリーン、グリーン

Syracuse_2

本日で、3日間のcapstone seminarが終わった。国際関係プログラムでは、1年目のこのセミナーを最後にほとんどすべての学生がシラキュースを離れ、今後は本当に世界中にバラバラに散らばっての2年目となる。多くの生徒は明日シラキュースを発つ。僕はいよいよ明後日、ワシントンへ引っ越し。ワシントンで過ごすのはわずか3か月だけど、インターンをしつつ、ワシントンの分校でこれまでと趣向が違う実務家による授業ひとつをとることになっている。その三か月が終わったらまた移動。

capstone seminarは以前も書いた通り地球温暖化外交。今年12月にポーランドのPoznanで行われるAWG-LCAのシミュレーションを行った。AWG-LCAは、ポスト京都議定書の枠組みについて定期的に議論しているワーキンググループなんだけど、Poznanはいろいろな要素が絡まって近年でもっとも困難な交渉の一つとも言われているものらしい。AWG-LCAで扱われる5つの領域の中でも、僕たちは時間の関係でShared visionの作成だけを取りあつかうことに。すべての生徒が各国の代表団か、UNFCCCのsecretariatに扮し、2日間で共同声明にたどりつかなくてはならない。僕は、恐れ多いけれど日本の首相の役割をこなしました。このタイミングは、米国の新大統領が決まって就任直前ということで米国からは現大統領と新大統領(インフォーマルな声明発表、交渉のみ)が参加するという構成。ちなみに、わが校が想定した新大統領は民主党のオバマ氏でした。

wrap-up meetingも含めて計3日間というこの授業は、時間が時間だけに相当ドタバタしたまま終わった感じ。みんな1日とか2日で地球温暖化についての背景知識を整理して、自分がセキュアしなくちゃいけない利益、共同声明に盛り込みたいポイントを頭に入れて臨んでいるんだけど、さすがに知識が浅くて議論が地についてるのか疑問なところもちらほら。たとえば、GHG(グリーンハウスガス)を削減するパーセンテージの議論になると、そもそもper capitaベース、GDP成長率ベースなど、国の状況、利益を反映する形でさまざまな単位が存在するし、一体何を自分の国のボトムラインにすればいいのか全く分からないまま議論を進めてしまったという声が上がったり。二日目は議論が紛糾して、議事進行役が各国の議論を数分間止めて自分たちで議論をはじめてしまったことについても後で不満の声が上がっていた。

参加した生徒の数の関係で、今回は約50カ国くらいのシミュレーションだったんだけど、それでも予想通り、最終的にとりまとめられた共同声明は解釈の余地をかなり残したいわゆる玉虫色に。議論にまざる一人のプレイヤーとしてこの手の非常に込み入った交渉に参加してみると、そうならざるを得ないことが非常によく分かる。たぶん現実にはインフォーマルな交渉が幾重にも同時進行していくはずだから現実の結果に近くなったとは思えないけど、玉虫色ってのはある意味民主主義そのものの色なんじゃないかって肌で感じた。

プログラムの目玉の一つとしてやるにはタイミングとか準備の足りなさとかがあって微妙なところかもしれないけど、入学以来久しぶりに全員強制参加でみんなの顔を見られるっていうのはなかなか悪くなかった。

夜は親しい友達を集めた最後のパーティや引っ越しの準備、ちょっとスペシャルなお店へ行ってみたりととっても忙しかったのだが、おそらく教授たちも忙しくしていたのだろう、すでに春学期のすべての成績が発表に。生徒も生徒だけど、アメリカの教授ってほんとにハードワーキングだ。結果は、なんともこのブログの傾向をはっきりと反映させたものでした。アウトプットのなせる業か。いろいろ思ったことを書いて、蓄積させていくっていうのはやっぱりとても大事だね。

昨年の夏からすごしてきたこの部屋で寝るのもあと二日だと思うと、意外なほどさみしい気分になっている。これまで息つく間もなく続いてきたドタバタを考えたら、そんな気持になることは一切ないだろうと思っていたけど、まったくそんなことはなかった。

今日大きめの旅行カバンやスーツ用のシャツを数枚買いにモールに行って、ひさしぶりにシラキュースの街を眺めた。真っ白な冬とは打って変わって、どこに行っても緑。ほんとに何もない、刺激が少ない街だけど緑が燃え上がってきている今、友達の言葉を借りるなら、この街はすごくLovelyだ。

「特別に嫌いな場所っていうのは、あとでまた訪れたくなるものでしょ。待ってるよ。」

というのは博士に進学することを決めた友達の言葉。いやいや、そんな気になるとは思えないけど。少なくとも今予想できる範囲では。

でも今夜は、風が奇跡的に自分をリラックスさせて、自分の部屋の壁にすらなぜか感謝の気持ちを覚える。少しベッドに転がって目を閉じること、それが本当にリラックスしてできたのが本当にひさしぶりだったことに気がついて驚いた。

ということで今日は一曲。今の気分を最高に表わしているような気がするベースラインとメロディで。

Nice & Smooth "Cake & Eat it too"

http://new.music.yahoo.com/videos/NiceSmooth/Cake-&-Eat-It-Too--

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春学期終了

さっきModern Chinaのファイナルペーパーを提出して、春学期は終了!25から30枚といわれたのに結果的に38枚になり、教授につっこまれないためにも素直に感謝の気持ちを表明したメールとともに提出。月曜から水曜までは地球温暖化外交をテーマとしたnegotiationのセミナーが三日あるけど、はっきり言って誰も気にしている様子はない。とりあえず行ってディスカッションに参加すれば良いだけだ。よし!

でも実際終わってみたら何をやっていのか分からず、十回くらい机をふいたりしていた。卒業でもないのにここまでテンパれることを考えると、来年1月に北京で最後のペーパーを提出する際にとんでもない行動に出そうで今からとても楽しみだ。

床に参考文献をどっさり広げてペーパーを書いていたんだけど、引っ越しもしなきゃいけないしとりあえずすべてゴミ置き場行きに。あれだけ印刷して、あれだけマーカー引いたのに。授業でもらったプリントもほとんどゴミ置き場行きになりそう。でも、みんな同じことをやっている。とりあえず、授業で考えたことや得た知識は今後自分の考え方を深めていく方向できちんと活用しなければ地球に申し訳ない。そう思わせるくらい大量のゴミです。

さて、飯食うまで何したらいいのか本気でわかんないな。

とりあえず地味にネットの波にでも乗ってみます。

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余興

最後に残ったModern Chinaのプロジェクトペーパーは、合計31枚に達したところでようやく結論を残すだけに至った。あと一歩のところで一度小休止をはさむのは記憶している限りでは高校時代からのくせで、もしかしたらあまりよくないのかもしれないとも思うけど、ここで気分転換させていただきます。

今日はマクスウェルの国際関係プログラムの一年間おつかれさま的なレセプションにレポートの合間を縫って1時間ほど参加した。

レセプションでは、生徒の投票でもっとも素晴らしい授業を行った教授に対して表彰が行われた。正直一度も見たことのない教授だった。これまで取ってきた授業にかなり満足している自分としては、国際関係プログラムで受講可能なもので最高とされる授業はどのようなものだったのだろうと単純に興味をそそられた。

そして最優秀成績者への表彰。2年間で、GPA4.0。僕にはすでに不可能だ。

そしてオフィススタッフの目から見てプログラムに貢献した生徒への表彰。これは、主に大きなグループでリーダーシップをとっていた人たちに送られた。異存はないけど僕の友人は、プログラムのスタッフは有名な組織の活動しか把握していないと批判。実際、僕が所属する東アジアグループなんてマイナー中のマイナーである。

そして続々と余興的な賞が生徒に贈られる。僕は国際関係のオフィスにそれほど多く顔を出していないので、オフィス職員が決める賞をもらうことはないだろうと完全にタカをくくっていたら、突然指名が!!!ありえない!

そしてもらったのは、「つられ笑い賞」。このつられ笑いがより詳細には何を意味するのかは分からないけど、プログラムの担当者から紹介されたときには、一言一言がなんとなく面白いみたいなことを言われた。あと、たぶん僕の笑い方とか笑いのツボがずれている点が面白いと思われているのではないかと勝手に推測。とりあえず全く予期していなかったので、てきとうに笑いながら受け取っておいたけど...まあ、正直光栄だよね。うん。というよりむしろ日本から来た若くて素敵な彼みたいな紹介のされ方がうれしかった気が。

これは、そろそろ年かな。

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泥にまみれろよ

バスケットボールの全国大会になぜか大根と包丁を持って観に来ていた魚住のセリフ。スラムダンクより。

魚住のセリフは、なぜかテンパっているときに思い出すことが多い。というか、テンぱっているときに井上雄彦作品を思い出すことが多いのかな。

今日は書き終えていたけど少し時間をとって推敲したかった中国史のテイクホームをひとつと、Evaluation of international program and projectのファイナルペーパーの最終版を提出。といっても、前回書いたファイナルとは別のもので中国史の30ページのプロジェクト・ペーパーはこれから5日で仕上げなくてはならないんですが。

それでも、ひとつひとつの授業にテストやレポートの提出によって最後のをお別れを告げることで、シラキュース生活の終りが近づいていることを実感している。

実際、授業を10個とか履修するのが普通だった僕の学部生時代と違い、4つしかとっていない今、ひとつひとつの授業の比重はとても重いし、ワークロードも比較にならない。だけどその分それぞれの授業にとっても愛着がある。最後の授業で教授のレクチャーが終わるとき、生徒から自然と拍手がわきあがる。この瞬間に「やっぱこの授業で良かった」と実感するのだ。そして、レポートを提出するときにも。

少しずつだけど、重圧から解放されてる気がする。

最近、すでにテストなどをすべて終えた人たちが続出し、外はイベントや引っ越しでにぎわってきた。僕はこれからまたペーパーを書かなきゃいけないこと、そのあとに急いで引越しの作業をすることを考えたら全く余裕がない日程なので、夏が近付いて華やいできたこの街も堪能するひまはなさそうだ。

1年目の最後まで、完全にアサインメントに飲み込まれてしまった自分。余裕なんてこれまでほとんどなかったなぁ。考えに考えて書いたペーパーのぎこちなさを見れば、泥にまみれる以外の選択肢なんてなかったことも明らかだけど。

とりあえず感想発表もほどほどに、最後までやりとおしますか。

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あと一週間

春学期の授業も全部終わり、教場試験もなんだか手ごたえがあいまいなまま通り過ぎ、テイクホームの10ページのエッセイをひとつ書き終えて、残すところは、10ページのエッセイもう一つと、30ページのペーパー。そしてそれらを仕上げるのに僕に残された時間はあと一週間。ここ数日、かなり低いモチベーションでテイクホームのひとつ目にかなりの時間をさいてしまったので、気合を入れなおさないと非常にまずいペースです。

というのも、最近は体調が非常にまずくて、頭が突然いたくなるのを懸念して、自宅で勉強していたから。自宅っていうのは誘惑がいっぱいあって、Youtubeだって全く人の目を気にせず見れるし、いろいろくだらないことをインターネットで検索してしまうということも発見。たとえば、ちょっと前の月9ドラマ、プロポーズ大作戦について調べたりしてしまうわけです。あのドラマは自体はくだらなくはないけど。

こういう風に考えると、やっぱり人間、”モチベーション”のコントロールっていうのはなかなかできるものではないと感じる。

これは以前とあるジャーナリストの方が企業の組織運営の在り方について言っていたんだけど、組織はモチベーションでは動かない、インセンティブを働かせるシステムを作らなければ組織として中長期的に効率が上がることはないって。なんだかミクロ経済学101みたいな感じでとてもシンプルなことだけど、僕個人としても、これにはとても共感するところがある。たとえば、受験生がみんな予備校の自習室や図書館に行ってなるべくそこで勉強しようとするのも、外部から自然と刺激をもらえる、勉強にすっと向かえるような環境を自分で作りだしているということだし、今通っている大学院でもそう。もちろん、基本的にはどこにいても勉強できる自分でありたいと思うけど、環境を整えること、外部から何かを受け取り(これがインセンティブなんじゃないかな)、自分の中のモチベーションを喚起する、そういう循環を作ることこそが、何かを継続していくのにとても大事なんじゃないかって。自分の中で「勉強しろ。そのためにここにいるんじゃないか!」みたいなことを考え続けるより、ぱぱっとどこか勉強しやすいと思えるところに移動しちゃった方がいい。たぶん人間ってそういうもんなんだと思う。

ということで、なんとも内容が浅い気がしますがそろそろお昼を食べて学校に行きます。

春学期のほんとの終わりまであと1週間。そして残り40ページ。

毎週締め切りを常に意識している漫画家さんたちをほんとに尊敬します。

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佳境

5月後半以降の予定が全く見えないまま、春学期の授業もついに残り2週間。どんどん入ってくるエクストラな要素のせいで体勢も不十分なままだけど、最後猛ラッシュに突入します。

ここのところブログの更新が滞り気味だけど、これは決して話題がないからではなく、書きたいんだけど書くとなるとついエネルギーを注ぎすぎてしまう気がしたから。

あ、ちなみに昨日は気分的にいっぱいいっぱいになったので、スタジオジブリの耳をすませば(英題:Whisper of the Heartらしい)をYoutubeで通して見てしまった。

そしてはっきり言ってものすごく感動した。

たしかあの作品は僕が中学生くらいのときに見たはずだしその後も何度か見たはずなんだけど、ありきたりだけど今見ると登場人物の何気ないセリフの重さがはんぱじゃない。そして見終わったあと引きずってしまう圧倒的な余韻はあいかわらず。とにかく自分の人生の見方に対するインパクトとしては、ジブリ作品の中でも一番と呼んでいいのではないかとすら思ってしまう。

うーん。

とりあえず、きつくなるとジブリに逃避するくせを発見しつつあります。

でもそんなところも今のところ仕方がないので受け入れつつ、1年目のラストを走り切ります。カントリーロードが頭の中でずっとリピートしてるけどね・・・。

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M/A/O

いよいよクライマックス感が漂ってきた各授業。今日のModern Chinaの授業では、博士課程に在籍する数人の中国人学生を招いて、主に毛沢東(Mao)に対する彼らのイメージについてインタビューを行うという方式がとられた。

Maoが亡くなったのはわずか30年ちょっと前のことで、生徒の親たちはもろにMaoismのもとで育った世代。彼ら自身は、リアルタイムでMaoを知っているわけではないけど、彼らの話を通じてその影響力とMaoという存在が中国の人たちにとってどう捉えられ、それがどう変化してきたのかを考える機会を得た。

Maoという人は、中国のそして世界の近代史のなかでも、最もcontrovertialな人の一人であると思う。中華人民共和国を成立させたのが1949年。そして1976年で死亡するまでには、庶民の間ではほとんど神のような存在となっていた。マオが泳いだ川の汚水をおいしいと言って飲む若者、彼の泳ぎを報道した新聞は「世界記録の4倍の速さ」と形容し、人々はMaoの肖像の前で表敬のための踊りを踊ったらしい。とにかく革命を指導した英雄はプロパガンダと言論の弾圧を通じてさらに巨大化した。一方で、彼のリーダシップのもとで死んだ人の数は、ヒトラーをはじめとする近代の独裁者の比じゃない。

革命の成立という偉業を達成し、中国が経済的成長に足をかけた直後に導入された大躍進政策について。この政策はMaoがソビエト連邦を訪れた際にKhrushchevから聞いた工業化についての青写真に影響を受けたと言われている。「ソ連の工業生産は70年代にアメリカを追い抜くらしい、それなら中国は英国をまず追い抜く」というのがMaoの考えだった。

無産階級の団結と意志の力が科学技術や専門的知識を凌駕するという信念のもとに奨励されたのは、農村での鉄の生産。大躍進政策が発表された直後のわずかな期間のうちに、地方の畑の中に無数の小さな炉が立ち並び、女子供やお年寄りが畑仕事に従事する傍ら、働き盛りの男たちはその隣で製鉄を行った。実際多くの庶民が高いモチベーションで懸命に取り組み、所有していた台所用品まで投入して製鉄に勤しんだけど、作られたものは粗悪すぎて全く売り物にならない鉄くずの山だった。

そしてもっと悲惨だったのは農業。生産性を飛躍的に上昇させるために、個人の所有を廃止して50万人ほどの共同体単位で作物を生産しようとしたとのことだけど、人工的に分けられたそれだけ多くの人たちが効率的に協力し合ってすぐさま農作物の生産性が上がるわけがない。結果、多くの共同体がウソの報告をする状態に。これは僕にとってとても興味深いところだけど、怖れからなのか、それとも人々に共有されつつあった革命の夢を失いたくないというコミットメントからなのか、彼らは中央政府の目標を裏切らないためにウソをついたのだ。そして、共同体からの報告を信じ、それを喜んだリーダーたちは税を上げていく。そしてウソの報告によって過剰に重くなってしまった納税のために飢死する人たちが現れ出したころ襲った天災による不作。この過程で飢えて死んでしまった農民の数は20世紀の世界史上、最多といわれる3000万人。飢餓が起こっていることを知った後、Maoはフランス政府からの援助要請を拒み、「飢餓は起きていない」と断言したらしい。

インタビューを受けた中国人学生たちによると、中国の人々の間では大躍進政策下で引き起こされた大量の餓死は「天災」として認識されているのだそう。

彼らの理論は、Maoを絶対視しているとか逆に徹底的に非難するとかそういうわけでは全くなくて、彼も一人の人間であるという認識に立っているところが本当に興味深かった。もちろん中国人の学生の間でも見方はかなり変わってくるけど、最低限共有されていると思えたのは、

「Maoが戦略家として、戦争の指導者としてある種の天才だったことを疑う人はいないし、同時に彼が後の政策で失敗を犯していないと思う人も今はいないだろう。人間は誰だって失敗する。そして、中国というのはその広さと、圧倒的な人口を考えたら世界でもっともマネジメントを行うのが難しい国だ。例えばアメリカ人がそのときの中国でリーダーシップをとって、失敗しなかったとは思えない。Maoが行ったことの半分は間違いだったが、半分は正しかった。なにより、彼が人々を救おうとして、良心に基づいて政策を実行したということを見逃してはいけない。」」

という考え方。冷静な意見のようにも思えるけど、個人的には何か気になるところがあった。それは最近「中国の医療制度」についてプレゼンをした中国人の友達と全く同じことを言っている点。

中国では、1979年に鄧小平が改革を提案して以来2回ほど医療制度の大改革が実行された。もちろん医療制度というのは、国民に対して健康という最低限の保障を提供するものであり、まさに国家制度の基盤となるもの。そして同時にとても費用がかさむもの。

それをより効率的に実行するため、基本的には80年代以後の中国の国家方針と合致する形で、民間への開放、つまり自由化が行われた。その結果、病院は都市に集中し地方では医療サービスへアクセスできない人も現れた。病院ではわいろを要求されたり、必要以上の処方が行われることが多くなり、世間では改革によってもたらされたものとして悪い面の方が多いと認識されているとのこと。実際、WHOの中国の医療制度に対する評価は非常に低い。

その状況についてプレゼンを行った中国人の友人は医療制度改革について、

人間は誰だって失敗をする。特に世界で最も大きな人口を抱える国のマネジメントは容易じゃない。それでも中国の医療は改善してきていると思うし、自分たちは成功を達成するための途上にいる。なにより、政府は少しでも医療体制を良くしようという、良心に基づいて政策を実行している。」

と偶然にも全く同じ言葉を使って結論したのだ。

僕は、政治が良心に基づいて行われたかなんて、旧植民地諸国の独裁を別にしたらほとんど考えたことがなかった。良心に基づくってことはある意味で大前提で、方向性が人々の考え方に合致し、方法が優れているかどうかが試される世界だと思っていたから。そして、「人間は誰でも失敗をする」という表現を使って政治家が正当化されるなんて思いもしなかったのだ。

だいぶ話が飛んでしまったけど、一方で教授によって、その過剰性ゆえにMaoがスケープゴートとされがちな点も指摘された。50年代後半には、すでに神聖視されはじめていたMao。そこへ、反対勢力への弾圧を加えた結果、彼は正真正銘、孤高のリーダーになった。彼に21年間昼夜問わず仕えた医者の伝記によれば、4人目の妻でGang of fourと呼ばれた権力者グループの一人、江青とも、彼の子供たちとも、革命以前からのパートナーである周恩来や劉少奇とも、Maoが実際に顔を合わせることはめったになかったらしい。

政治に関することの多くが文章によって伝達され、彼は友人も家族も持たず、ガードマンとセックスのパートナーに囲まれる孤独な人となった。若いころから患っていた不眠症、ときおり陥った重度の鬱、そしてパラノイドの兆候が医師によって確認されたときに実行された大躍進政策。とにかくそんな中報告された農産物の生産高に関するウソの情報を早期に確認することは難しかっただろうし、その上報告を疑って自らの失敗を認めることも難しかっただろう。何より彼がイデオロギーやアイデアの部分だけじゃなくて、政策のimplementationの部分に関してどの程度の役割を果たしていたのかは分からない。

教授の言葉。

それぞれの国には人々が語りたくない歴史がある。中国の大躍進政策と文化大革命期はそれにあたる。ナチスドイツもそうだろう。ただ、そんなとき、人々は、「Mao」あるいは「ヒトラー」というシンボルを張り付けて、その時代をまさに一つのショーケースのようなものに押し込めようとする。彼らは独裁者であったかもしれないが、人々が語る歴史においては彼らがスケープゴートにされていることを見逃してはいけない。

ふーむ。本当にいい先生だ。

今回はあまり書かなかったけど、最近、文化大革命にとても興味を持っているのでまた改めて書きたいです。

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あと1か月

大学院の授業と並行して、最近は夏にやらなければいけないインターンシップ探しをしている。

僕の所属するプログラムではインターンシップをすることは卒業の必須条件。もちろんこの大学院留学が海外に住むこと自体初めてという自分にとって、外国で働くことがとても有益な経験になることは間違いないのだが、とにかくどんなに学業に打ち込んだとしても、インターンのポジションを確保しなければ卒業できないという状況にここ2週間ほどかなりのプレッシャーを感じていた。

でも、実際にワシントンDCでインターンのポジションを探しはじめてからは、このプロセスからもたくさんのことが学べることに素直に気づいた。さすがアメリカの政治的首都だけあって、そこには信じられない数の組織がある。多くの組織がキャピタルヒルの近くにオフィスを置き、アメリカという大国の政治に少しでも影響力を発揮し、より早く正確な情報を得ようとしているのだ。シリコンバレーをICT産業の代表的なクラスターとするならば、まさにDCは政治産業のクラスター。本当に途方もない数のシンクタンクやその他のNon-profit organization、ビジネス団体が実際にかかわって"政治"を作っているのだ。

そして、最近のとほうもない忙しさから頭の隅に追いやられていたけど、この夏、その政治産業は活況を迎える。11月に迫ったアメリカ大統領選のためだ。実は、僕にとってDCでのインターンシップは当初予定していたプランがだめになりそうになった上での代替案にすぎなかったのだが、ポジション探しをしているうちにこの夏、DCでインターンすることにもすごく惹かれはじめた。あーなんて軽薄かつポジティブな自分。

そうそう、これも数日前のことだけど、8月末から4か月間ほど、中国の北京で過ごすことが決まった。そこで高校から大学2年まで習ったのに、ほとんど錆びつきつつあった中国語をしっかり勉強しつつ、清華大学の公共管理学院で授業を履修する予定。北京に行くのは、ちょうどBeijing Olympicsのあとなので(最中は航空券とかその他旅行代がものすごく高いからだと思う)、中国のポスト・オリンピックの状況を見つつ、今後の中国、アジア、そして世界を見る目を少しでも養えたらいいな。

最近、実感がないながらも友達とよくあと一か月でシラキュース生活も終わりだということについて話す。ここに来てからの9か月は本当に早かったし、たぶん最後の一か月もあっと言う間だろうな。そして、すでに次のステージが目の前にちらつきはじめた。

とにかく、春学期最後の一か月。

授業に、インターンシップ探しにがんばります!

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探春

今日は朝起きたらものすごく風が強くてびっくりしたけど、気温の方は急上昇して18℃。雨が降ったり、突然さわやかに晴れ上がったり相変わらず全く落ち着きのないシラキュースの天候だけど、それでもとにかく暖かい。

薄着できるチャンスは決して逃さない一部の学生たちは、すでにTシャツやショートパンツやワンピースを着て登校。いつも分厚いコートにスウェットやスパッツみたいな姿を見慣れているせいか、そんな一部の人の衣がえに妙に新鮮さを覚える。

春ってなんて良い季節なんだ!

ところで、最近国際ニュースで話題になっているものと言えば、チベットの騒乱。ラジオでは連日のようにチベットの状況や各国の反応が放送されているけど、今日の中国史のクラスはまさにチベットについてでした。

この件についてのアメリカ人の反応については、以前友人が言っていた言葉が良い出発点になる。

「アメリカ人って、イスラエルとチベットが大好きなのよ。」

教授は、アメリカ人はチベットを東洋の神秘の象徴であるかのようにつねに美化してきたと言った。たしかに中国の情報統制については本当に問題だと思うけど、チベット騒乱について欧米の反応が中立であるかと言ったら、それについては怪しい気もする。

なんせこの時期に暴動が起こったということは、綿密な計画の上に実行されたものと考えて間違いから。

友人に冷ややかなリアクションをされながらも、親を狼狽させながらも、中国史研究者になることを選んだ教授。彼にとって、そして彼のレンズから見た中国にとって今年の夏に開催される北京オリンピックは本当に象徴的。それは、僕がここにもちょこちょこ書いてきたように、日本を含めた諸外国による搾取と戦争、貧しさにさいなまれてきた中国の「恥辱の100年」を終え、まさに彼らの時代が戻ってくることを高らかに宣言するような出来事だから。そのために、彼らにとって「国際社会に認められること」がどれだけの意味を持つかは想像できないし、アメリカのような大国が開会式をボイコットするようなことになればどれだけ彼らを傷つけるか分からないというのが教授の見方。

これまでわずか3か月間だけど勉強してきた近代中国史は、一言でいえば本当に暗い。1980年代からようやく豊かになり始めた国、そして世界が本当に彼らの成功を認め始めたこの時期にやってきた首都でのオリンピック。そんな大きな流れを考えたら、僕も中国政府に同情したくなる。

教授いわく、中国側からのチベットに対する見方は、積極的に富を分配して豊かにしてあげるからついてこいみたいなノリらしい。実際巨額の資金と技術を用いてチベット行きの鉄道を敷設したのはその象徴。

つまり、チベット地方は彼らにとっては一部であり、革命が訪れるべき土地。数日前に僕が書いた小説の中に出てくるような辺境の一つであり、"解放"すべき最後の土地のひとつ。ここで"解放"っていうものが何なのか、というのがまた自分の中で疑問になる。”龍の村”とチベット。彼らの態度を決定的に分けているのはいったいなんなんだろう。

そしてクラスのディスカッションが環境汚染に移ってしばらくしたとき、教授からとても心に残る警句が。

「ここ最近、環境問題やチベット問題など、中国における問題をとてもスキャンダラスに、ときにはそれを非常に楽しそうに話すアメリカ人が多い。もちろんこれまでアメリカ人は中国という国に対して、侮辱だけではなく尊敬のまなざしも向けてきた。考えてほしいのは、中国という国を見るとき、きみたちは中国という国を通して、その先にいったい自分たちの国をどのように映しているのかということ。環境問題だって?この国は彼らと同じように非難されるべき立場にいるじゃないか?」

日本人の世論は、中国という国をどのように見ているのだろう。彼らのスキャンダルを心の底では楽しんでいないだろうか?

そして彼らを通して日本を見ることで、一体何を見ているんだろう。

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Culture??

3週にわたって読んできた"Culture Matters"の議論も今日の授業で終了。とりあえず理解したと思えること、思ったことをメモ的に整理。

・特定のグループにおける違いを説明するのに、文化という指標を使うことは危険。それは、文化っていうものが人々のアイデンティティに直接結びついている、あるいはracismに直結するっていうpoliticalな理由だけじゃなくて、文化というものがいったい何を示しているのか自体があやふやであり、価値観だけじゃなくて制度や慣習もすべて文化に結びついているので、恣意的に文化と非文化の間に線引きをしなければならないし、それを分析のフレームワークに用いる以上明確な定義を要するから。

・かと言って、文化というものを単純なさまざまな活動の産物として、あるいは従属変数としてみることも問題。人間は文化の影響下にあると認識しているにも関わらず、文化によって人間の営みを説明するという試みをやめたら、社会学や文化人類学の存在意義って何なのってことになるし。

・僕たちは、常に国と文化を1:1で考えがちであり、その二項対立に疑いを持たないことがとても多い。例えば「日本文化」が日本における特定の出来事を説明するのにベストな変数だとは限らないし、そうでない場合が実際は多いのではないか。

・僕たちがuniversalであると想定しているものが、本当に「文化を越えているのか」疑わなくてはならない。たとえば、あるrational(合理的)な行為は、特定の価値体系の中においてのみ合理的とみなされる。(この文脈で、合理的選択理論の普遍性は否定される。)ある野蛮な行為は、特定の価値が存在するからこそ野蛮たり得る。prosperity(繁栄)って一体何を意味するんだろう?

・文化を考えることは、援助活動の正当性を考えることに直結する。他文化をリスペクトするなら、いけにえにされている人々を助けるのはいけないことなのか?病気の進行を食い止めることは?紛争に介入することは?男女平等を広めることは?個人的には、命が失われたあとに、誰も自分の死について価値を測ることはできないし、命を救うこと、人々の健康をむしばむ病気やそれを生み出す貧困について介入することは少なくとも正当化されうるのではないかと考える。

・アメリカの文化人類学者の学会は、国連での世界人権宣言の可決に反対したらしいけどそしてもちろん文化人類学者たちの間でもこれはcontrovertialな出来事だったんだろうけど、個人的にはその行為に一定の価値を認める。それが本当に世界に生きる人たちすべてに共有されている、あるいは共有すべき価値なのかを疑うことを忘れてはいけない気がする。

今日の授業は、教授のフラストレーションが爆発した形で終わった。

「この本の著者たちがすばらしい書き手であり、幾分かの真実を含んでおり、また、掲載されている論文の中には素晴らしいものがあることは認める。ただ、彼らの主張するWesternな合理性や上昇志向、ポジティブシンキングは、富が生まれる前から本当に存在したものなのか?そもそもそれはヨーロッパ人が生み出した価値なのか?それが最初からあったから、彼らが豊かになったのか?そもそもその逆だってことだってありえるし、誰がそんなの証明できる。論文の中には、単なるラベリングや優越意識の表れ以上の議論ができていないひどいものがたくさんある。そもそもこのアメリカという国から、それもハーバードの学会という威光を笠に着て文化という非常に難しい概念について思慮に欠けた議論をしているところに私は腹が立つ。」

ということを笑いながら話していた。一理あるのかもしれません。

僕のフラストレーションも多少爆発。

この本の中には

「アジア通貨危機は、法の支配を軽視してきたアジア人の”価値観”のせいで引き起こされたもの。”価値観”を変えないかぎりアジアの奇跡的な経済成長は終わる。」

とでも言いたげな論文が計3つ。

おそらく唯一のアジア人であることから、「きみはどう思う?」と授業中に突然指名された僕は、

「正直に言って、このセクションにおける三つの論文すべてが嫌いです。全く説得力に欠けています。」

と発言し、この論文がおもしろいと言っていた生徒の一部を狼狽させることに。そもそもアジア的価値って何を根拠にそれが共有されていると言えるのか(東南アジアから日本まで?)、アジア通貨危機の程度の違いをどうやって説明するのか(”アジア的価値”があると考えるならば、その中心に据えられるはずの中国はこの時期ほとんど無傷)、アジア的価値のせいで起きた通貨危機ならなぜ別の地域に飛び火したのか、短期的な経済現象をわざわざ価値観を持ち出して説明することに何の意味があるのか。

あまりに疑問点が多すぎてそう言うしかなかったのだ。

ある現象を文化によって説明することは社会科学の中でも最も難しく、罠に陥りやすい試みの一つであると思う。だからこそ、文化についてのさまざまなコンセプトを知ることによって、文化という概念にsensitiveであること、そして適切な言葉で語ることができるGood communicatorである必要があるんだろう。

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辺境と黄金期

中国史でアサインされた「Dragon's village」という小説を読んだ。著者は、上海の裕福な家庭で育ち、中華人民共和国(PRC)の設立以降は共産党員として改革に携わった人。もちろん小説だからフィクションなわけだけど、土地改革の実行の際に現場ではいったいどのようなことが起こっていたのか、その時代の中国における都市出身者の視点から見た中国の辺境はどのようなものだったのか、そういうのを考えるのにとても良かった。

中国でお年を召した人たちと話すのが大好き(特にご飯なんて食べさせてもらったら最高)、というアメリカ人の教授いわく、「PRCの設立直後から1950年代の前半は、その時代を体験した人たちにとっては、黄金時代として語られることが本当に多い」とのこと。アヘン戦争以後、他国との戦争や内戦も含めて何百万人も死ぬような戦争や飢饉を繰り返し、諸外国から搾取され続けた中国。そしてそれ以上の長い期間、おそらく千年以上の間、地主に搾取され続けてきた農民たち。中国共産党は、国民の大部分を占めるその農民たちを動員し、蒋介石率いる国民党の圧倒的な軍事的優位をわずか数年で覆し、まさに"革命"を成立させた。

実際、非常に合理的だったと言われている最初の五カ年計画の時期には、年率10%を超える経済成長を記録し、百年以上中国をむしばんできたアヘンの使用が一気に収縮したという。それだけ多くの人たちが興奮と歓喜に包まれていたこの時期、毛沢東は本当の英雄だったのだろうし、共産党による「解放」は歴史的な必然性をはらんでいるのではないかと思ってしまうほどドラマティックな側面がある。

この小説が描いているのは、まさにその革命の核と言える、土地改革のプロセスについて。上海で高等教育を終えたばかりの女学生が、裕福な家庭の子息との縁談を捨てて、共産党員として「龍の村」という名を持つへき地の村へ改革を実行しに行く。

男性や年長者の絶対的優位、地主への神聖視に近い怖れ、痩せた土地におおわれ身体を洗うのは人生で3回だけというへき地。その地に暮らす人々にとってあこがれの首都は南京でも北京でもなく長安。つまり千年以上前に終わった隋・唐時代の都。蒋介石の名すら知られていない。そのような土地で、まさに地域社会を根底から覆すような男女平等の価値教育や、非常にあやふやな基準に基づいた階級分類の作業、地主からの資産没収や分配、その土地の歴史上はじめて実行される選挙までの経過を描いている。

その中で際立つのが、地方の人たちと都市出身者である主人公たちの間にある大きな文化的ギャップ。僕がさんざんここで書いてきた文化の話にもつながるけど、この地方は同じ中国国内とは言えど、ほとんど別世界。未だに残っている纏足。縁談を決めた女性は、実際の結婚をする前に婚約者が死んでしまったとしても、婚約先の両親に一生仕えなければならない。女性が姦通した場合は、たとえレイプでも自殺することが奨励される。家では父と男の子供だけが一年のうちに数回だけ食べられる肉を与えられる。縁談は家長と親戚によってすべてとりまとめられる。毎年春に飢饉が訪れ、ひどいときには女性が売られたり、カニバリズムが起こる。そんな地域で、男性も女性も子供もみな均等に土地を得る権利があること、自らリーダーを決める権利があること、女性にも自由意思によって離婚をする権利があることを教えようとする主人公。社会への問題意識に突き動かされながらも、土地を没収される地方の地主よりも自分の家がはるかに裕福であること、その暮らしに戻る権利が担保されていること、改革推進の必要性を感じつつも捨てられない小説家の夢、土地改革の期間中は党員の間でタブーとなっていた恋愛や結婚へのあこがれによって彼女が葛藤する様がとても印象的だった。

革命や解放という名のもとでの横暴に彼女自身がとても自覚的。何十年も農作物の生産性を向上する努力を続け、ようやく小規模な地主となった夫婦の自殺。集団的興奮の中で、「生活に必要なものを残す」というあやふやなルールが機能不全に陥り、資産の没収や復讐に走る農民たち。地主に分類されなかった幸運を最大限に利用し、新たなリーダーとして台頭しようとする中産農民。そして、その地域で一生暮らすわけではない外部者として、農民たちの辛苦を利用し、上級党員から認められようとしている自分の存在。

そこから考えるのは、いったい「解放」って何なのかっていうこと。”先進的”な考えを持つ人たちが出現し、唱導し、混乱の中で死者が出て、それまで”努力”をしてきた人も「歴史の流れ」という名のもとに葬られる。価値観が転覆していく中で達成されるのは少数の犠牲による多数の長期的な幸福なのか、それとも社会変動っていうお祭り騒ぎがもたらす麻薬のような一時的な興奮なのか。そして、人々の意識の中に残る「黄金期」って何なのか。

1950年代後半、革命は急速に後退していく。「国の発展をもたらすのは、専門的知識でも技術でもなく、人々の精神である」という毛沢東の思想のもとに実行された大躍進政策について、教授は庶民が進んで加担した幻想だといった。

歴史って、本当にとらえどころのないものだなぁって最近思う。自分の歴史でさえ誰もsimplifyせずに語ることはできない以上、多くの人たち加担し過去に損なわれたものに対して誠実であることはできないのではないかって。

あと、実際的な部分では、やっぱり考えずにはいられない地方と都市の格差問題。教授いわく、中国の地方では今でも纏足した女性がいるのだそう。数千年という時間の中で生じた大きなギャップ、都市・沿岸部と内陸部の格差問題は日本におけるそれと同じ次元で語ることはできない規模のものなんだろうな。

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Nausicaa

ワイド版 風の谷のナウシカ7巻セット「トルメキア戦役バージョン」 Book ワイド版 風の谷のナウシカ7巻セット「トルメキア戦役バージョン」

著者:宮崎 駿
販売元:徳間書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

今日はEast Asia Groupの映画の日。そしてついにナウシカのリベンジ。急きょ再上演することになったため、お客さんを前のように集めることはできなかったけど、見に来てくれた人達からは終わった時に溜息が聞こえた。その後に、映画の名前を確認された。個人的にもものすごく楽しんで、音楽が非常によく、あと途中何度か自分が泣きそうになる場面があることに気づいた。見れば見るほど、この作品が映画デビューであるという宮崎駿という人が本当にすごいと思える。

ところで、日本人でも一体どれだけの人が原作の漫画を読んだのだろう。2時間前後の映画に仕上げるために、オリジナルストーリーのごく一部を抜き出し、修正してあれだけの作品に仕上げたことも本当にすばらしいと思うけど、映画を観た後で、もう一度この原作を読みたくなった。

自分なりの解釈をするのに5回くらい読むことを必要とした原作。駿氏が相当に暖めた上で表現した世界観だったのだろう。とにかく深遠なテーマが盛り込まれている。個人的にはこれまで読んだ漫画の中で最高と呼べるものかも。

毒を噴き出す森におおわれ、どんどん小さくなっていく「人が住める土地」。難民の出現と、宗教や文化の異なる人たちとの邂逅。土地を奪うための戦い。長い歴史の中で何度も出現した「救世主」。繰り返された失望...

とてもオタッキーな雰囲気が充満してきましたが、ブログを見られた方でナウシカの原作を読まれていない方、本気で一読をお勧めします。これを原文で読める僕たちは本当に幸せです。まじで。

さあいよいよ三月も終盤。そして春学期も大詰め。

明日もがんばって飛びますか!

http://www.youtube.com/watch?v=IT6rD-4TrEY

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Culture, again

Big Fiveと言われる投資銀行の一角、Bear Sternsの崩壊のニュース等々を受けて、「世界同時不況」の可能性を語る人が多くなってきたように思える今日この頃。秋の就職活動に対する不安を掻き立てられながらも、ここ二日はCulture in Wolrd Affairsのテストの意外な好結果に大満足したあと、Macroeconomicsの予想以上にふるわない結果に思わず苦笑いしたりしていました。これまでのこのブログの題材のチョイスにも現れているように、自分は経済よりも文化よりの思考回路なのかなぁとちょっとへこんだりもするけど・・・。経済活動だって文化プロセスだという考え方を自分の励ましにもしつつがんばろうと思う火曜日の夜です。

前回、「文化」と経済発展について書いたけど、誤解を招くような書き方だったような気もするのでちょっと補足を。

文化人類学という学問の社会に対する最大の貢献の一つは、文化というものを「相対化」したことにあると思われる。19世紀や20世紀初頭の知識人は、「Culture」と言う言葉を絵画やクラシックなどのハイ・アートだけを指すために用いたり、あるいは原始的な文化→高度に"発達した"文化みたいな形で、一つのスペクトルの上に置くような考え方をしていた。前者は、文化というものがすべての人に存在するものではない(文化をもたない人々がいる)ことを、後者は世界には劣った文化、優れた文化が存在することを暗示している。

20世紀半ば、この様な理解を打ち砕いたのが、Ruth Benedict, Margaret Meadと言ったよく知られている文化人類学者たち。彼女らが示したのは、ものすごく端的にいえば、多種多様な文化の間に存在するのは、ただ単純に観察可能な相違であり、優劣ではないということ。例えばBenedictは「菊と刀」に代表される日本研究でも有名だけど、彼女の研究は第2次大戦中に政府の委託で行われ、アメリカによる日本占領後の統治の方法について模索するためのものだったと言われている。天皇制の尊重に代表されるように、アメリカが占領下において、既存の体制や文化を尊重するような姿勢をとったのは彼女たちが「異なる文化においては、異なる民主主義の形が成立可能であること」、つまりCultural relativismの考え方によって、多文化へのrespectを喚起した影響が少なからずあると思われる。また、彼女たちの考え方は、その後のアフリカン・アメリカンたちによる公民権運動や、旧植民地諸国の独立運動にも影響を与えた重要な主張だったらしい。

ちなみに60年代前後、文化人類学者たちは一つの壁にぶつかる。つまり、文化の間の相違を研究することそれ自体が、単なる"the others"へのlabelingに陥っているのではないかという問題。そしてそもそも自分たちが「そこにあると認めている"文化"」とは何なのかという問題。そしてsymbolistやstructulistなどが出てくるわけだけど・・・ここからは特に複雑だし、僕の理解も怪しいので割愛。

つまり、文化人類学の立場として、前回書いた本の内容がとてもcontrovertialであるというのは、「経済発展に適した文化」というものの存在、つまりある見方において、文化の優劣の存在を暗示していること。極端な話、「Westernな文化はこんなに得をしている。マネをした方がいいんじゃないか?」みたいな主張だととられてもおかしくない。

ただ、ここでもう一度「文化」とは何かという問題にもどってみる。そもそも文化っていう言葉は、特定の伝統的な行いや慣習、宗教活動なども含めてとても広く共有された価値観や傾向を表す言葉。文化というものは全体として触れられるものじゃなくて、ただそこにあると考えられるもの、人々に不均一に共有されているもの。さらには個人によって経験されるものであり、個人と文化が1:1であるべきでもない(移民とか)。そして、決して一枚岩なものでも静的なものでもなくて、常に変わっていくはずのもののはず。

それならば、文化が消えうせることなんてあるのだろうか。一つの伝統的な行いが徐々に衰退していくことはあると思う。でも、人々がそれぞれ別の場所に生まれ異なる人生を生きていている限り、人々の間の相違はテクノロジーだとか、グローバリゼーションとか呼ばれるものによって決して消えることのない絶対的なもの。文化っていうのはそういう時間や空間を共有する人たちによって経験的に共有され続けるものであり、つまり、人が他の人との間に共有するものを見つけたり、差異を見つけたりする限り、そこに存在するはずのもの。人間にとって本質的なものだ。

だからつまり。Culture Mattersの編者やパネラーたちの主張は、

人々がそれによって死んでいくような貧困から抜け出すためには、人々の考え方を変えていく必要もあるのではないか、慣習や制度を根本から考えなおしてみるべきではないか

ということであり、それを「culture」の変化などと言う風に呼ぶ必要はもともとないのではないかということ。Huntingtonは文化人類学者たちのCultural relativismの考え方を認めた上で議論を進めているようだけど、それならば、なぜ"好戦的"にCultureという言葉を用いたのか。超有名な著書「The crush of civilization(文明の衝突)」にも示されているように、この手のセンセーショナルな言葉を用いて論争に持ち込むのが好きなのか。そうなのか。

話を戻すと、cultureといいうのはそもそも衝突可能なものでも破壊可能なものでもない、ただ経験され、共有され、移りゆくものであるっていうのが僕の認識です。だからこそ、人々が死と向かい合わせのような貧しさやそれによって蔓延する病気や暴力から抜け出すために考え方を変えてみようっていうのは別に当然の主張だと思うわけです。

そういう文化の一元化とか、破壊とかいう議論からとりあえず抜け出し、Culture Mattersの議論がなぜ重要なのかを考えてみたんだけど。

それはたぶん非常に貧しい国に住む人たちの考え方の変化を喚起するような、価値の変化を一つのoutcomeと考える新しい制度改革の可能性を提示している点なんだと今のところは思っています。ときに冷徹にも感じられる寄稿者たちの主張は、貧困という問題がいかに複雑で、深刻で、切実であるか、それをどにかして解決することを考えようっていうstruggleの証明だとも思うし。

長くなったけど、このような話題に興味がある方はぜひこちらを。本自体は短いながらも、紛争解決とからめた、文化に対する深い考察です。ちなみに上記の文化に対する記述は、僕なりのAvruchの解釈です。これもCulture in World Affairsの授業の指定本だったんだけどね・・・。

Culture & Conflict Resolution (Cross-Cultural Negotiation Books) Book Culture & Conflict Resolution (Cross-Cultural Negotiation Books)

著者:Kevin Avruch
販売元:United States Inst of Peace Pr
Amazon.co.jpで詳細を確認する

ということでマクロの勉強もがんばります。タイミング良く、授業は現在Solow model。経済の長期的発展理論です。

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文化と経済発展

Culture Matters: How Values Shape Human Progress Book Culture Matters: How Values Shape Human Progress

販売元:Basic Books
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この週末は、月曜日のCulture in World Affairsの授業のためにこの本の最初のパートを読んだ。これはHarvard Academy for International and Area Studiesの主導で主催されたシンポジウムに参加したパネラーたちによる論文集。編者にはLaurence HarrisonとSamuel Huntington、パネラーには戦略論の大家、Michael Porterをはじめ、世界で最も影響力のある学者とも言われるJeffrey Sachsや「歴史の終わり」のフランシス・フクヤマなど本当に大御所ぞろい。

ひさびさに時間的に余裕をもって読めたせいもあるかもしれないけど、内容は非常に刺激的。この本は少なくとも文化人類学者や経済学者の論争を誘う内容であることは間違いない。

そのテーマは、ざっくばらんに言えば

21世紀に差し掛かっているのに多くの国が貧困から抜け出せない。その原因は発展途上国特有の「文化」にあると考えられないだろうか。貧困から抜け出すためには彼らの「文化」が変わらなければならないのでは?

というもの。日本でも、グローバル化という言葉とともにアメリカナイゼーションとかマクドナルド化といった言葉がもてはやされたことを考えると、文化の変容を唱導するってことがどれだけ"誤解"をそして反発を誘うか分かったものではない。

たとえばこの本の中でタイの文化変容についての指摘があった。タイでは以前すべての若者が1年間仏教の寺院で瞑想を行うというしきたりがあったけど、急速な経済発展の中で”合理化”され、現在ではわずか数週間に縮まったという。

こういった事実に過剰反応を起こす知識人は大勢いるのだろう。そういう意味で、編者たちのwordingに好戦的なニュアンスが感じられることは否めないけど、とにかく文化というある意味政治的に敏感な問題に冷徹に踏み込んで議論をしようとする姿勢に関しては個人的には共感できます。

例えば、アルゼンチンの社会科学者Mariano Grondonaの視点は

経済発展のプロセスは、人々が一時的な消費や散財などへの欲求にまどわされずに、投資と競争、そしてイノベーションを際限なく好み続けることである。人々の価値体系において富の追求とは、常にinstrumentalであり、一時的なものにすぎない。経済発展のパラドックスは、富の欲求によって達成されないことである。その意味で、経済発展とは文化的プロセスであり、その達成には特定の価値体系を必要とする。

というもの。僕の意訳がひどいのは認めつつ、個人的には目からうろこ。

つまり、生活水準の向上には、労働の生産性を上げることが必要。その生産性を上げるには、得たお金をすべて消費せずに、生産性を伸ばすための投資に回さなければいけない。その意味で、経済発展を成し遂げるには少なくとも「倹約」に相当程度の価値がおかれなければならない。例えば、日本の発展においては倹約を美徳とする価値体系が非常に重要な役割を果たしたと言われている。(ちなみにポーター氏は、現在の不況において今度はその倹約的な姿勢が足かせになっていると指摘しているけど...。)

得たお金を散財してしまうような傾向以外にも、足かせになるような価値体系というのはたくさんある。たとえば、家族や親戚に対する過剰なひいきは汚職につながるし、個人の努力を正当化できないような価値体系も足かせになる。つまり個人ではなくムラや部族などの共同体全体の発展に重きがおかれている文化とか、宗教の影響で人の生き方は運命によって定められていると考えられているような文化、あるいは現在・過去志向的な文化では、個人の努力、新しいものの創造や競争を促すようなインセンティブは働かない。つまり歴史的に見れば、資本主義経済の発展というのは、ある種の”新しい”考え方をする人たちの登場によって担われたと考えられる。ここでもっと刺激的な言い方をするならば、貧困からの脱出には、「新しい考え方をする人々」を生み出すことが必要ということになる。

ちょっと脇道にそれるけど、今週のThe Economistの記事でもたまたま経済発展とrule of law (法の支配)の相関についての記事があった。

http://www.economist.com/displaystory.cfm?story_id=10849115

法の支配が経済活動においてとても大事なことだということは以前から認識されてきたことだが、最近とある経済学者が法の支配と経済発展の間に強い相関があることを提示したことによってさらに注目が集まった。法によってではなく、権力者の気まぐれによって特定の人が優遇されたり、突然さまざまな制度が破たんしてしまうような社会では、その不確実性が個人の活動意欲を阻害する。ただし、「文化」と同様、「法の支配」はまず定義の問題が重くのしかかってくるし、経済学的に計量するための数値化もままならないという話。ふーむ。

本の序文でHuntingtonは経済発展が人々の価値観の変化を促していく(つまり価値感の変化→経済発展だけではなく、経済発展→価値感の変化も起こる)ということも認めた上でシンポジウムを開催したようだけど、疑問なのは、いったい価値体系をどうやって変えるのか?っていうところ。

例えば、とある寄稿者は、アフリカにおいて初等教育で時間を遵守する姿勢を身につけさせることを強調していたし、それは重要な視点だと思う。だけど、教育の改革以外にはいったいどんな方法があるのか。人々の考え方を変えるには結局、政治や社会制度などを変えていくってことになるのでは?それも、どうやって?という質問が続くわけですが...まだまだ途中なので後半にその点についての議論があることを期待します。

この本でもたびたび登場するけど、こういった考え方のひとつの原点は、ヴェーバーによる古典「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」。あまりに著名すぎてこの本についてコメントするのは恐れ多いけど、メインの主張は資本主義は、禁欲的労働を美徳とし、呪術を排したプロテスタント(カルヴィニスト)たちによって生まれたというもの。

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫) Book プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

著者:マックス ヴェーバー
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

この手の議論には非常に興味を持ってしまうのは、僕が学部時代社会学を専攻したせいなのか。当時そこまで社会学というものが好きだった自覚はないのだけど、いつのまにか僕もある種の価値体系にしばられてきちゃったのかもしれない・・・。

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夜明け間近

現在木曜日の早朝2時半。前回書いた通り「勝負の際」におりますが、気分転換に日本語を書きたくなりました。日本語でのアウトプットの衝動は英語でインプットしすぎていると突然訪れるものです。

最近、自分の知識がいかに少ないかということを、読みたい、今後読まなきゃいけないと思う本の増加によって実感するという何とも嬉しいのか焦るのか分からない気持ちでいます。

Microeconomics, Organizational theory, Corporate Finance, Project Finance, Leadership, Social entrepreneurship, Something related to China, Something related to Africa, (and maybe bookkeeping)...

もちろん相変わらず寝ることは大好きだけど、寝ることもそれに遊ぶことも含めて毎日自分の時間をどうやって配分していけばいいんだろうみたいなことばかり考える。それと共に、「僕は今必要だと思える知識をいつ身に着け終わるつもりなのか?」みたいなことも考える。(知識を身につけることに終わりがないなんて分かっているけど。)

僕はついつい長期でものを考えがちである。「人生は勉強だ」みたいなノリが染みつきはじめているのかも。

この前パソコンのファイルを整理しようとしてみたら、興味を感じてダウンロードしたものの読んでいない論文でいっぱい。そして僕の本棚と段ボール箱は、「これは絶対に必要だ」という衝動に駆られてアマゾンに注文したものの、手を出せてない本でいっぱい。

とにかく、最近ようやく気付いたのは、今読みたいものは今読まなきゃダメだってこと。数カ月後だって3年後だってスケジュールはいつもきりきりまいに決まっている。そして日々のニーズに追われるうちに、僕の興味も薄れてしまうかもしれないし。

ということではじめた深夜就寝前の読書。第一弾は、楽に行こうと小説を読みました。

母から母へ Book 母から母へ

著者:シンディウェ マゴナ
販売元:現代企画室
Amazon.co.jpで詳細を確認する

ケープタウンの郊外のタウンシップで来る総選挙のために黒人のために働いていたアメリカ人の女子学生が殺害された。理由はただタウンシップに訪れたというだけ。現実に起こった事件を題材にしており、殺害にかかわった息子を持つ母から、子供を殺された母親へ向けて語られる小説。

「ところが、あなたの娘さんのような人びとには、生まれつきの恐怖感が欠けているんです。だからこういう人びとは、自分たちの善良さを信じ、自分たちが誰も傷つけていないことを知っており、それどころか、実際に人々を助けているわけです。だから、誰かが自分たちの方を傷つけようと望むなんて、考えてもみないわけです。」

「同じ時間に同じ場所で、こんなにたくさんの人が集まっているというだけで、不可解な悪が急に姿を現す。潜伏していた悪魔を開放する...群衆には心がない。動く頭。でもその頭の中では、すべての思考が中断している。」

このあたりの描写も含めて、とにかく久しぶりに読む現代小説にふさわしいすばらしい作品でした。他にも南アの小説を読んでみたい。

さてさて、空が明るくなる前にもうひと踏ん張りがんばります。春休みが、もう目の前にチラついてる・・・。

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春一番

昼間必至で勉強をしていると窓の外から強い風が吹く音が聞こえてきた。厚く積もっていたはずの雪は、水音を立てて溶けている。

夕方6:45分からのCulture in World Affairsのテストを受けるために、精神的にも肉体的にもかなり参った状態で家を出たら、風は強いのに、いつもよりものすごく優しく感じた。

気温が高い!

NY州北部にも春一番なんて現象があるんだろうか。それは不明だけど、風が完全に雪雲を散らして空は本当に濃いブルー。一日のうちに溶けた大量の雪が道に小さな川を作っていた。。何が言いたいのかというと心地よい空気と、ここ数カ月で最高に美しい夕暮れどきに、僕はとにかく感動したのだ。

夕暮れどきに感動できるなんて、どれだけつつましいのか、あるいはぜいたくなのか分からないけど。

一方今夜のテストが完全に自分のキャパシティを越えていることは受ける前から明らかだった。教授がくれたサンプル問題にすべて答えを準備していたけど、なんせ文章力が最高に問われる論述形式の教場試験。答えを暗記して臨めるものでもない。

「Raceとは何か?Ethnicityとの関連性は?Racial consciousnessとNationalismはどのようにかかわっているか?racismが衰退してきているという考えに賛成か反対か。理由を述べよ。」

これが1問で、このレベルの問い4つを2時間半でこなす。ましてや手書き。

とにかく必死でペンを走らせたけど、論理のつながりが損なわれているのが自分でも分かったし、言い回しは稚拙すぎ。とにかく歯がゆかった。教授は辛抱強く待ってくれたけど、見直すチャンスもないまま提出。

「あるところまでやったら、あきらめなきゃならないときもあるさ。それに、きみはここまで必死でやったじゃないか。楽しい春休みを!」

という教授の優しいコメントともに、春学期最初のMidtermは終了した。とにかく精進あるのみだね。

風は強いけど、相変わらず優しい。一方、僕のスケジュールは相変わらず非常に厳しい。3日後の木曜日にMacroeconomicsとModern Chinaのテスト2つを控えているのだ。

気温の高まりとともに春学期前半、ここが勝負の際みたいです。

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Power to me!

Bangkok1cityscape200560298001gaBangkok ®National Geographic

今日は東アジアグループにて僕がプレゼンを行う日でした。正直プレゼン自体には未だに苦手意識があるけど、とりあえず良い機会だと思ってボランティアしてみました。上手くなっているかどうかはなんとも言えないけど、とにかく訓練ですな、これは。

今日のテーマは、「自動車産業と地域発展」について。「アジアのデトロイト」と政府自らが標榜するタイの自動車産業の発展について取り上げました。秋学期に経済地理学の授業のTerm paperで書いたことをもとにして。

土台としたのはイギリスの経済地理学者CoeやDickenがとりあげているGlobal Production Networkの理論。彼らによれば、地域の発展の可能性は、世界の生産ネットワーク(多国籍企業、その子会社)と地域のasset(テクノロジー、組織)そして地域機構(政府機関、ビジネス団体)の3者がどのように関係しているかによって分析できる。つまり、この3者が相互補完、補強的に作用していることが大事ってことだね。

この理論はDukeの社会学者GereffiやMITの経済地理学者Sturgeonが研究しているGlobal Value Chainのモデルにとても近い。さらには、確実にマイケル・ポーター氏のValue Chain、クラスター理論の亜流ともとれる。理論の源流をたどるのはなかなか大変だけど、大きな背景としては、多くの産業で生産プロセスが切り刻まれ、世界中にちりばめられて来ていること、一方で、シリコンバレーに代表される特定の産業の生産やイノベーションのコア(つまりクラスター)が登場してきたことがあるはず。世界のどこで製品に価値が付加されているのか、広大な生産ネットワークにおける地域の役割はどのように決まるのかということにこれら一連の議論は共通して注目しているし、いかにもunder globalizationな理論という感じ。

話がだいぶ飛びましたが、とにかくが話したについて復習もかねて要約します。

97年の通貨危機以後、タイ政府が国内自動車産業の保護から、積極的外資受け入れと自動車の輸出促進に切り替えて以後、世界の自動車ブランドにとってタイがアジアの生産拠点となりつつある。2005年現在、自動車機械の生産ユニット数で世界14位。2010年までにはトップ10入りが見込まれている。

タイでは、規模の経済を確保するために多国籍企業間の共同出資の事例が多くみられる。また、トヨタ生産方式に象徴されるサプライチェーンと品質管理の高度化によって、自動車メーカーの要求する品質と地元サプライヤーのキャパシティの間にギャップがある。それによって要求を満たすことのできない地元企業がつぶれてしまっている。また、ある調査によれば多くの企業がより高度なプロセスをタイ人労働者に任せたいと感じているが技術者の不足がありこれを実行できず、技術移転にも非効率が生じている。

これに対してタイ政府は、インフラ投資や技術者育成にすでに力を注いでいるけど、現在以上に技術者教育に投資する必要性があるのではないか。また地元企業が生き残るためには、

・多国籍企業と地域企業間のコミュニケーションだけでなく、地元企業間の協力を促進させ生産や研究、人材育成において規模の経済を活かす

・Thai automotive Institutionなどの政府機関が持っている自動車市場についての多くの情報を活かし、地元企業にnicheへの取り組みを促進していく

ような政策が必要である。

最終的には、サブアセンブリーなどより付加価値のあるプロセスにタイの自動車産業全体をシフトさせていくことを目標にすべきである。

ということでした。

そもそも、ある地域に特定の産業や研究機関を集中させることのメリットは、彼らに情報のシェアや協力関係を促進させることにある。つまり、transaction costを減少させ、コミュニケーションが自然と生じていく、それによって地域の産業全体が自然とアップグレードされていくような環境を形成することが大事ってこと。

もともと社会学を専攻していた自分にとっては、多くのアクターが意識するとせざるとにかかわらず「協力」することによって価値が生まれるという考え方にはとても共感できるところがあります。だからこそ、興味があるのかも。

でも同時に今回のプレゼンの準備を通じて、自分の知識不足もだいぶ痛感。そもそも分析のフレイムワークを完全に活かせてないこと、論理のつながりが見えにくいことは浮き彫りでした。

そういった感想をふまえて、いろいろ読みたい本も出てきたけど、来週は春休み直前のためMidtermが3個という鬼の一週間。

神様、どうか僕に力を!

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マスターピース

Selected Stories of Lu Hsun (The Norton Library ; N848) Book Selected Stories of Lu Hsun (The Norton Library ; N848)

著者:Lu Hsun,Hsun Lu
販売元:W W Norton & Co Inc
Amazon.co.jpで詳細を確認する

中国史の授業も19世紀からいよいよ20世紀に突入してきた。アヘン戦争、太平天国の乱、日清戦争での敗北、1911年の革命、そして袁世凱の独裁。とにかくこの時期中国がいかに危機的状況にあったのかということを改めて実感している今日この頃。モンゴル人や満州人などに政権を奪われながらも、彼らの方に同化することを強いてきた強靭な「中国」とその文化が、根底から覆されるような事態に陥ったのがこの時期。

世界の中心に位置する国という認識は、明らかにより優れた科学技術を持つ欧米諸国との遭遇によって相対化されただけでなく、永らく属国とみなしてきた日本に完敗したことによって粉々に打ち砕かれた。

20世紀初頭、諸外国に対する憎悪を膨らませながらも、中国人の非難は自己に向かう。自分たちは何か根本的に間違った考え方をしているのではないか、と。

前置きがだいぶ長くなりましたが、そんな時期に登場した魯迅(Lu Hsun)による短編を読んでいます。欧米では、20世紀の中国における最高のwriterとして認識されているらしいけど、実際にそれに値するすばらしい短編の数々。特にA Madman's Diary(狂人日記)は圧倒的。

魯迅というと、中学校の国語の教科書に作品が載っていた気がするけど、こんなところで再会するとは思わなかった。そして予想以上に前衛的な書き手だったことに気づいて感動。

どうやら秋学期に北京に留学することが確定しそうなここ最近。今から少しずつこの国に近づいていかなければ。

そのためには小説っていうのはほんとに良い手段なのかもしれない。なにより読んでて楽しいからね!

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日本と"日本人"の僕

月曜日のCulture in World Affairsの授業のために、この3日間Oxford Readersシリーズの"Ethnicity"を読み続けている。この本は、テーマにかかわる膨大な論文を集めたものなので、さまざまな視点でEthnicityについて考えられるのは良いのだが、ここにそれについて体系的に書けるほど今のところ僕自身の視点は定まっていない。issue多すぎだし。

それでも、用語、概念としてのEthnicityではなく、自身のEthnic identityについて、そして僕が育ってきた国である日本について多くのことを考えされられている。

Ethnic groupが形成されるファクターとしては多くの論者によってさまざまなものが挙げられている。たとえば、言語、宗教、(想像上の)血縁、共有された神話(黄金期)など。

とある論文で、日本人が確固たるEthnic identityを形成したのは、神道や仏教、それにまつわる神話の共有などではなく、「領土の外敵からの保全」の精神にあると述べられていた。言いかえれば、モンゴル襲来時の「神風」伝説によく表れている精神だと思う。

実際この論文でも、日本が領土侵略を受けなかった世界史上非常に珍しい国と書かれている。アイヌの人たちがいる、在日韓国人がいると言いながらも、どこかで民族としての純潔さを信じている、そして自分の人生が「多民族≒外国人」と本質的に交差することなく、影響を受けることなく完結していくことをどこかで前提としているのが一般的な日本人なのかもしれないって思ったりする。これもステレオタイプ的なのかもしれないけど。

つまり、日本ってよく世界に先立って施策を練っていくという意味で、「高齢化社会の先進国」みたいな表現が使われるけど、ethnicityの認識に関しては世界一の後進国なのかもしれない。自分たちと異なるバックグラウンドを持つ人たち、特に政治的、経済的にmarginalizedされた人たちについて考える機会はないわけではないし、一般的なモラルが低いわけでもないと思うけど、歴史的にそういった問題を徹底的に議論してきた欧米諸国に比べて自分たちの実質的な利害がからむ状況でそれについて考えることに慣れていなさすぎるような。それが、外国人労働者の搾取問題や先進国の中で見ても非常に閉鎖的な移民政策に表れている気がする。

なんだか、憂国調になってしまったので、自分のことを。

たぶん、自分がこの手の話をとても身近に感じるのは、自分が他の国にいるから。そして日本人と言うlabelをときに必要を感じて貼り続けているからだと思う。何よりも、本質的な部分で言葉でのコミュニケーションがおぼつかないことは圧倒的なコンプレックスだ。

言葉について考えるとき、コリアンアメリカンのヘレンの話を思い出す。彼女はカリフォルニア生まれの移民二世。僕には全くのネイティブのように思えるけど、英語は今でもコンプレックスらしい。幼少のころ家で韓国語を使い、学校で英語を使っていたが、どうしても他の生徒たちのように英語を話せるようにならなくて、ずっと英語の学校に通っていたと言っていた。そんな彼女に「あなたのライティングはすばらしい」と励ましてもらったことはたぶん今後も忘れない。

そして、いつも陽気に話しかけてくるチャイニーズ・アメリカンのエイミーのとのやりとりも思い出す。前の学期、自分はしゃべることにぜんぜん自信がないと言ったら、

「そんなこと言ったって、あそこにいるイアンなんかは英語しか話せないわよ。あなたは英語も日本語もしゃべれるじゃない。ハーイ、イアン!あなたは英語しか話せないって話しているのよ!」

吉牛で働いている韓国人も、高田馬場の日本語学校に通う多くの外国人も立派なバイリンガル。しかもよりによって西欧の宣教師に「悪魔の仕業」とまで評された難解な言語、日本語を学んでいる優秀な人たちなのだ。

日本を彼らにとってもっと居心地の良い場所にできる余地は、制度的にも自分たちの意識の中にも必ずあるはず。

こっちに来なかったら、そんなことは本気で考えなかったかもな。

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明日は明日の風が

風の谷のナウシカ DVD 風の谷のナウシカ

販売元:ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント
発売日:2003/11/19
Amazon.co.jpで詳細を確認する

恐ろしくついていない一日について。

昨日は僕が所属する東アジアグループで今期から始めただいたい2週間に一回の映画の日。それ以上に、日本映画を流せる唯一のチャンス。

つまり僕がものすごく気合を入れてごり押しし、宣伝文を書き、ポスターも一人で配布した「風の谷のナウシカ」の上映日であった。

朝、久しぶりにサラダを食べて、朝からいいことしたなぁと思ってPCを開くと、ナウシカのDVDを注文して前日チェックまで済ませていた友人から、チャットメッセージが。

「どうやら昨日DVDなくした。本当にごめん。」

と。

ここから、僕の忙しい1日がスタート。彼は午前中授業だったので、前日一緒にDVDをチェックするときに一緒にいた他のメンバーに連絡し、持っていないかどうか聞く。

学校の図書館に行き、ナウシカがないかどうかたずねる。

ナウシカのDVDを個人的に所有しているとかつて言っていた韓国人の友人にTEL。

その他、学校の自習室周辺を探しまくる。

とにかく見つからない。

そこで上映も差し迫った午後5時。とりあえず近くのビデオ屋で代用を見つけるという苦肉の決断。

「今日はあきらめよう。でも個人的にはナウシカをどうしてもやりたいし、適当な日本映画で代用したくないからスケジュールを変更することにしてほしい。今日のところは今後上映することになっていた他のアジア映画をビデオ屋で見つけてきてほしい。」

ということにした。

その後、お客さんにふるまうためのクッキーやポップコーン、お茶、コーヒーなどの買い出しを雪の中一人で行い、代用のDVDを見つけに行った彼を待つ。

6:30の開演には、なかなか人が集まらなかった第一回と比べてけっこうな数の人が来てくれた。学校でのこの手のムービーシリーズは10人集まったら上出来、20人だったらすごいみたいだけど、すでに10人以上が来てくれていたのだ。実際、途中で来てくれた人を合わせたら20人も超えた。それも日本人ではない人たちが。

とりあえずDVDを借りに行った友人が戻ってくるまで、お客さんに事情を説明。

「日本のアニメが見たくてきたから、今日は帰るけどやるときは必ずくるよ。」

と言って帰ってしまった人もちらほらいたけど、多くの人が残ってくれることに。

そして友人が戻り、代用の映画の趣旨を説明するとみなさん期待していたものと全く違う映画にどうしてもご不満のご様子。(なにせ中国のアクションものか人権のドキュメンタリーかというチョイスだったから。)

「ネット上にあるものでもいいから流せば?自分たちはナウシカを観るために来ているんだから!」

という前列のお客さんたちの反応に押され(Maxwellの同級生たちである)ここで、全部で12セクションに分かれているYoutube使ってとりあえずナウシカを流すことにしてしまったのがいけなかった。詳細はさておき、カバーされていないパートがありストーリーが分からない、そして何よりも最後の4セクションの音が出ず、途中で上映を終わらせることになったのである・・・。Youtubeでも見たいと言っていたお客さんたちも最後まで持たなかったなぁ。

ということで、当グループの映画シリーズの起爆剤となるはずだった2回目の上映は完全な失敗に終わった。終わりにしなければいけなくなったとき、なんて言っていいか分からなかった。

こんな日もある、仕方ないっていう風に思うのは得意な方だ。でも、とにかく僕がある意味崇拝までしているこの作品(主にマンガの方だけど)をもともと観たことのない他の国の人たちにきっちりと見せてやれなかったことは、悔しいと言うより宮崎駿氏に申し訳なくてしかたがなかった。この辺が自分のオタク性なのかなって思ったりもするけど。

なんとかもう一度、挽回のチャンスを作ろう。とにかく新しいことをはじめたばかりの私たちは本当に多くのことを学ばなければならないのだ。

PS.この日記を書いた後も、どうしても後悔して仕方がないのでウェブでナウシカをぐぐっていたら原作のセリフを見つけた。引用させていただきます。

「私たちは 血を吐きつつ
 くり返し くり返し
 その朝をこえて 飛ぶ鳥だ!
 生きることは変わることだ。」

僕はやはりどうしようもなくこの作品が好きだ。

Flaming Lips "Fight Test"

http://www.youtube.com/watch?v=RKDZ6yubitM

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ワシントンDB

ワシントンDCから帰ってきた夜、帰りのバスを降りたあとで、友人の顔が青ざめていた。

「Pheeewww...明日だけでアサインされた400ページ読まなきゃいけないんだけど...Pheeewww...」

ちなみに彼は、僕みたいにワシントン市内の観光も行わず帰りのバスの集合時間寸前まで彼の希望の就職先であるWorld Bankで働く卒業生とレジュメの推敲を行っていたし、バスでも車酔いになりながら必死で本にマーカーしていたことを付記しておきたい。

この一言を聞いて、僕のクラスは一週間で500ページ読まされるような鬼のクラスがなくて良かったなぁと安心していたら、僕もふつうに今週の前半ボコボコになりました。リーディングのアサインの大変さはページ数だけでなく質と目的で決まるってことをきちんと認識しておかなくちゃ。僕はトーマス&ローラ邸でも深夜リーディングに勤しみ、バスでマーカーを引いて吐きそうになっていた人の一人ですが・・・。

ワシントンDCへ行ったその他の面々も学校で死んでいる姿がかいまみられた。

特に中国人の友人は水曜日の授業直後のグループミーティングで、話がとぎれたときにいきなり睡眠態勢に突入。彼いわく

「月曜日も今日もペーパーの提出逃したよ。教授に事情を説明しても受け入れてくれなかったし!くそー!」

そこで、僕らの結論は

「ワシントン旅行の支払いは、100ドルで済むはずがなかった。」

ということで落ち着きました。

僕らの喧騒に輪をかけたのが、日曜からシラキュースを襲った寒波。特に日曜日は吹雪になり、なんだか異常に寒いのでニュースをチェックしてみたらシラキュースは体感気温マイナス24℃でした。

さすがにこのレベルの寒波と3~4時間睡眠が何日も続くと、顔色がとても悪くなってきます。

ツケは今週末に一気に返済するとして、ひとまず嵐の1週間が終わった今夜は久しぶりにジムでも行って熟睡します。

そういえば!

本日こちらはバレンタインでした。とりあえずハッピー・バレンタイン!

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魅惑のアジア

授業がはじまって3週目も半ば。なんだか最近、眠いことが多くなってきた。周囲を見渡しても、中国史の教授を含めてダウンした人が数人。気持ちよくやっていけるくらいのペースを維持しているように思えても疲れというのは勝手にたまってくるものだね。treadmillでのジョグみたいに。

僕はEast Asia Studies Working Group(EASWG)という生徒主導の勉強会、サークルみたいなものに入ったのだが、今日は後期はじめてのミーティング。主に非アジア人のイニシアチブによって、急速に活動範囲を広げているこのグループは、この春学期を通じて東アジアの映画シリーズ、メンバーによるアジアでの体験や研究の報告会、potluck、ディナー等をやっていくということが非常に非民主的かつ、効果的に決定された。

大学院にはこの他にも生徒主体で活動しているグループがたくさんある。2月のワシントンDC旅行の企画・運営を行っているMaxwellisや、毎月大きなテーマを掲げてフリーディスカッションを行うDiscussion Forum、紛争について勉強するPARCなどは人数も多くとても活発。他にも、アフリカのスタディグループや、ラテンアメリカの映画鑑賞会を定期的に開催しているPLACAなどもとても存在感がある。

それに比べて、どうしても地味な存在であったEast Asia関連の活動。中国やベトナムなどの台頭によって世界的に最も注目されていると言って過言ではない地域なのに、そんな世界のすう勢に反してMaxwellでの生徒の活動は正直言って盛り上がりにかけていた。その理由は、かなり確信を持って言えるけど、特に日本、中国、台湾、そして韓国人などが、他の生徒に比べて個人の勉強に桁違いの比重を置いていることにあるのではないかと思う。

今学期は秋とはまた違う人たちと席を並べて授業に出ているわけだけど、中国や韓国からの大学院生は、ちらりと見えるノートからも、授業中の発言からも非常によく勉強していることが伝わってくる。もちろん当てはまらない人もいるけど、少なくとも僕の周囲の傾向として、そこまで多くは発言しないけど授業のトピックの核心を突くような質問を出すアジア人、日常的、時事的な問題にからめてくるのはいいけど、あまり考えてなさそうな、関係なさそうな発言・質問が多いアメリカ人といったイメージがあります。

ただ、そうは言ってもこの傾向からアジア人の”勤勉さ”を称賛できるわけではないと思う。学ぶってことは、単純に主に本を通じて既存の理論やアイデアの本質をつかむってことだけでは決してないはずだし。ある意味、教授の意図を全く汲み取っていないように感じる質問を出してくるアメリカ人によって、僕も含めてアジアで教育を受けてきた人たちが、問題の意図を予測してできるだけ出題者の意図に近い答えを出すこと、ある意味優等生になるための訓練に特化しすぎてきたのではないかと思わされる部分もあるのだ。「え、この流れでなんでその話出してくるの?」ってときにこそ。

今日、中国で英語教師をやってきたアメリカ人の生徒のプレゼンで、中国では小学生でもとてつもない量の宿題を毎日こなしていること、学生の自殺が多いことなどが挙げられていたけど、中国だけじゃなくてお隣の韓国も、そしてそれに比べたらまだ穏やかなのかもしれない日本も含めて、子供、そして親に教育面でプレッシャーをかけすぎな社会だってことは、否めない気が。

「夏休みに何をするんだい?」

「休み?夏は受験のために勉強だよ。」

という中国の小学生とのやりとりに驚いたというアメリカ人。入る学校次第で、子供の評判、親の評判が決まってしまうような雰囲気が衝撃的だったという。考えものだね。

話がだいぶ深刻になってしまったけど、今回言いたかったのはとりあえずEASWGのウェブマスターになりましたっていうこと。ウェブ経験の乏しさが気がかりだけど、今期は課外活動にも力入れていきたいです。学生らしいことしておきたいし。

まずはホームページのデザインを初歩から学びます。がんばろ!

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逃げろ!

なんだか忙しくなってきているような気がするこの頃。

今日で一応一週間の授業をまた終えたわけだけど、ここでもう一度気合いを入れなおさなければ。

前の学期の反省点は、学期の最初の週に夏の雰囲気を引きずり、ほとんど勉強しなかったことである。良い度胸というか、空気が読めていないというか。

そうすると、2週目に1週目のことを復習する時間を作ることになり、出遅れる。4週目あたりでようやく追いついたと思ったら、何かしらのイベントが訪れてペースを乱す。また遅れる。秋学期は、就活のこととかあったわけだが、とにかく後手後手に回った感があった。

そこで、今期は授業開始前からきっちり教授にコンタクトを取り、早めに教科書を読み始めた僕。そのはずだが、今日どうやらその貯金はゼロになった。わずか2週間で。

そして、今後取り組んでいかなきゃいけない課題を整理。

・夏、秋の交換留学、インターンシップの応募

・東アジアグループ(生徒たちによる自主勉強会orサークルみたいなもの)の活動の活発化。ミーティング、イベント企画、その他事務作業

・現代中国史の院生向けの補講へ毎週参加

・2月のワシントンDCへのOB・OG訪問旅行の前に、できるだけ勉強の貯金

あー、こう書いてみるとたいしたことない気がしてきた。ほんとたいしたことないね。はい。

さあ、明日の朝からまた一生懸命逃げますか!

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春学期

月曜日から、春学期の授業が始まった。かなり混雑している行き帰りのバス、とても混雑しているブックストア、そしてオーダーミスや売り切れでなかなか全部そろわない教科書。すべてが、全くいろんなことが未知数でびびっていた秋学期の最初を思い出させます。

今期の授業は全体的に少し重めになりそうな予感です。取るのは以下。

IRP/ANT 707 Culture in World Affairs

アルフォンソとピーターという二つの名前を使い分けるカストロ教授による授業。USAIDの研究プログラムで、エチオピア、ソマリアなどで長年フィールドワークを行っていたらしい。文化人類学のアプローチを中心に、社会学、政治学、歴史学のperspectiveも用いつつ、文化とは何か、なぜ文化が問題になるのかを考える。大学では、社会学を専攻し人類学なども履修していた僕なので、なんだか久しぶりに昔の友達に会うような気分。リーディングの内容は、これまでの授業になかった重厚感。

ECN 602 Survey of Macroeconomic theory

国際関係、Public administrationなど「professional degree」を志向する人向け(つまりPhDに進まない人向け)を標榜するマクロ経済学の授業。教えるのは、生徒たちの間で非常に評価が高い、元IMFのブラウン教授。レベルは「洗練された中級」らしく、マクロ経済の初学者は非常に苦しむだろうというありがたい予言をいただいた。ただ、最近ニュース記事を読んでいてよく分からない情報はほとんどマクロ経済の領域に含まれることを実感しているし、世の中に対する知識のピースを埋められるような気がして今期最も楽しみな授業。

HST615 Modern China

17世紀以降の近現代中国史を学ぶ、歴史の授業。教えるのは、中国人の教授もぞろぞろいるにも関わらずアメリカ人のカッチャー教授。教授いわく、「私が中国の歴史を研究して生活していくことを決めたとき、友達は非常に驚いていた。親なんて、ほとんど狼狽していた。」とのこと。今期のクラスは大学院の一番大きい講堂を使用し、過去最大規模。教授いわく、「中国のことを研究しているといってもだれも驚かない時代が本当に来た(喜)」という感じ。コースは中国の歴史的出来事の多面性を学ぶことに主眼が置かれていて、リーディングはほとんどが自伝か、小説。大学時代文学部に在籍していた僕にとっては、ここでも原点回帰な気分。

IRP/PPA 633 Evaluation of International Programs and Projects

国際機関やNGOによって実施されるプロジェクトの評価手法、手続きについて学ぶ授業。教えるのは、公には大学院の看板教授とされているIAEAをはじめ国連機関のオフィサーを歴任してきたマサイアソン教授。授業はデンバー大、ピッツバーグ大などにもオンライン配信され大がかりであるが、生徒の間では批判の声多数。それはきっと、教授からも授業の内容からも感じられるbureaucraticな雰囲気であることは間違いない。しかし、教授は当大学院で最も人気の高い「ジュネーブ・プログラム」(ジュネーブの国連機関で夏の間インターンをするプログラム)を率いており、彼とのコネが国連への就職を左右するといわれていることから重要人物であることには間違いない。あまり期待していないが、必修のため仕方がない。現時点の印象をいい意味で裏切ってくれることを願う。

こんな感じです。月曜から木曜日まで授業があって、金曜から日曜の休みを使って課題やいろんなタスクを片づけていくことになりそう。各授業から要求されるリーディングの総量は前期の比じゃなさそうだけど。

とりあえずペースをつかむまで体調に気をつけつつがんばります!

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不時着・・・

冬季集中講座も今日を持って終了。短期の授業だけに、秋学期以上になりふりかまわず勉強にのめり込んだ1月2日からの10日間。ロケットスタートを決めた2008年ですが、僕はようやく不時着できた模様です。

コースの全容は、教授のふざけてるのかネイティブも判断がつかないといううわさのハイテンショントークにひっぱられながら、ビジネス側からの視点、政策立案者からの視点をおりまぜたアジア一周疑似ツアー。一緒に授業を受講していた日本人の先輩も「この授業はとって良かった。ほんとに楽しかった。」と絶賛。僕も完全に同感でした。

ADBやUNESCAPで働く傍ら、タイ政府のアドバイザーを務めてきたというカナダ在住のハンガリー人の客員教授(笑)は、僕たち留学生に向かって

「僕にもきみたちの苦労は分かる。英語は僕にとってthird languageだからね。」

と、おそろしくなめらかなトークで語りかけてきた。こういう人って実際いるんだな・・・。

一緒に授業をとっていたクラスメートのゴランは、母国のクロアチア語に加えて英語、フランス語、スペイン語をパーフェクトに話す。そんな彼は、僕が在籍する国際関係学に加えてPublic Administrationと経済学の3つのマスター課程を同時にこなすtriple degree studentだということを今日知った。こういう人っているんだ・・・。

授業後、ここぞとばかりに日本人の先輩とインドネシア人の友達と一緒に久しぶりに寿司のバッフェを食べに行った。冬の間ずっとひまをしており、アパートから10秒の距離に銀行が二つもある彼女は、

「お金をおろす時間がなくてキャッシュはないの。Just pay for me!」

と発言。こういう人っているんだ、実際。

週末の二日間をはさみ、いよいよ来週月曜からは春学期の授業がスタート。さてさてどんなドラマが待ち受けているやら。主に、宿題の本の中に・・・。

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グループワーク

今日は土曜日なのに朝から来週のプレゼンのためのグループワークがあるということで、学校へ。

僕たちのグループのテーマはCeltic Tigerと呼ばれる90年代のアイルランドの急速な経済発展の要因として挙げられるFDI(Foreign Direct Investment)の増加の功罪を考え、今後の政策のrecommendationをするというもの。

アイルランドはThe Economist Intelligent Unitの調査で2005年に「世界最高の国」にランクされた。その理由は世界4位にまで高まった一人当たりGDP、低い非雇用率、政治的自由と安定した家庭やコミュニティライフが両立しているからだとか。

ほんの20年くらい前には、失業率は17%を超え一人当たりGDPはEEC諸国平均の6割程度、国家の財政もIMFの介入寸前だった。しかしアイルランドはバイオ、IT、エレクトロニクスなどの世界的なリーディングカンパニーを積極的に誘致することによって、経済的成功を遂げた。経済成長のほとんどの部分が特に米国に本拠を置く企業の受け入れによって説明されるらしい。ここで問題となるのが、もしこれらの企業がコスト競争力のなくなってしまったアイルランドでのオペレーションを止めて、賃金の安い東欧などに移動してしまったらどうなるのかということ。これらの企業をとどめるためには、あるいは長期的なリスクを減らすために国内産業の競争力を高めていくにはどうしたらいいのかということを考えています。

しかし、実際今日の話合いは実際のところものすごく非生産的だった。

「それは○○だと思う。」

「つまり▽▽だから、それは○○ね。」

「いや、だって▽▽は■■なわけだから、つまり○○だろ。」

という具合に、重要な部分については同じことをしゃべっているのに、それぞれのしゃべり方と考え方が独特すぎて、それぞれのフレームワークから全く抜け出せないのでぐるぐる回ってしまうのだ。

こういう話し合いはたくさん経験を持っているか、きちんとファシリテーションについて訓練を受けた人がいるとすごくやりやすいんだけど。

こういう議論を効果的に進めていくことは、今後僕のより深刻な課題になるかもしれないなぁと予感した土曜の昼下がりでした。

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Jet lagとreadingにまみれて

こちらは現在朝7時40分。インターネットの情報が正しければ、気温は現在-18℃です。相変わらずルームメイトや近所の人たちのいないアパート周辺は恐ろしいくらいに静まりかえっています。

昨日は、冬の短期集中授業の初日だった。スーツケースがシカゴで止まってしまったために、メインの課題をやらずに出席することになってしまったのでなかなか厳しかったけど、僕がこの授業に非常に興味を感じていることだけは再確認。あ、授業はBusiness & Government in Global Economyというタイトルで、アジアのケースを取り上げながら平等性を確保した経済発展のために、政府とプライベイトセクターがどのように関わりあっていけばいいのかを探る授業です。

昨日は夜8時に晩御飯を食べた後寝てしまい、0時半に目が覚めたので、それからずっと課題のケースを読んでいました。この授業は主にPublic administrationの生徒を対象としているだけあって、要求されているリーディングも(ケースだから当然だけど)僕がこれまで取っていた授業よりずっとプラクティカルな気がする。さっきまで読んでいたのは、タイ・バンコク市内のモノレール(Greenline)の建設・運営が民間の業者に委託されて開通に至るまでのさまざまな利害の調整や資金面でのトラブルを描いたものと、タイとシンガポールの通信セクターの民営化の過程を比較したもの。それに加えて、公と民の協調やInfrastructure financeについて論じた資料が他に3セット。これを1日でさらうとなると、すべてを消化することが不可能なのは目に見えています。はい。

完璧な時差ボケをひきずりながら、アジアの数限りない経済発展のissueにどっぷりの今後約一週間。あー、心配だ。特に僕の顔色が。

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新年、新学期

2週間ちょっとのバケーションを終えて、日本からシラキュースに戻ってきました。時差のせいでようやくさきほど人生で一番長かった元日が終了、そろそろ寝る時間です。

今日はフライトがキャンセルになったせいで、成田空港で6時間過ごしたり、シカゴで乗り換え時間が短くなったせいで僕のスーツケースがシカゴに一泊することになったり、どさくさにまぎれて明日の授業のために読んできた資料と友達からもらってずっとお気に入りだった筆箱(こっちの方がいたい)をなくしたり、わりとさんざんなスタートでした。飛行機の強すぎる冷房(!)のせいで体調も悪すぎ。しかし、昨年の夏初めて渡米したとき以上に日本を離れるのが苦しいくらい名残惜しかったのはなぜだろう。初詣とか行ったり、正月番組見たりしても良かったのかもなぁ。

まだほとんどの生徒がバケーションを楽しんでいるこの時期。ルームメイトもどこかへ旅行に行っているらしく、今夜は静寂に包まれたアパートで最近勉強のお供だったとあるピアノのインストものを聞きながら勉強。そしてようやく僕の戦場に戻ってきたことを実感しました。

明日からはもしかしたら春学期の中でも一番きついかもしれない2週間の短期授業のはじまり。結局読めなかった教科書がスーツケースに入っていたおかげで手元にないのでプレッシャーもひとしおですが、僕の興味もひとしおな授業なのでがんばります!

最後になったけど今年も一年、よろしくお願いします!おやすみー。

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秋学期の終わりに

バスの中でi-podの音楽を聴くことにも、リュックとラップトップの入ったバッグの2つを持ち歩くことにも、学校の地下にある自販機のヘーゼルナッツラテを1日に3杯飲むことにも慣れてきた秋学期の終わり。今週ですべての授業が終了し、残すは自習期間をはさんでのテスト・ペーパー提出期間のみ。僕は二つのファイナルが最後の授業で行われたので、残すは経済地理学のペーパー1つとなった。

学校から見えるビルの屋上部分には夜になると電飾がともるようになった。バスの電光表示にはクリスマスツリーと共に「HAPPY HOLIDAYS」と表示される特別仕様。昨夜友人とご飯を食べた中東料理の店では、ジングル・ベルが流れた。お店はどこもかしこもマライヤ・キャリー一辺倒。「恋人たちのクリスマス」って・・・アメリカでは家族と過ごすのが一般的とされているらしいし、この曲の存在によって日本の青少年たちの方がより切実にXmasへのプレッシャーを感じなければならない事態に陥っていることをマライヤは知っているのだろうか。

そんなクリスマスムードの高まりをしり目に、最近は連日深夜まで自習室でペーパーと格闘しています。テーマは「アジア地域の自動車産業」。

このペーパーは僕が当初イメージしていたもの以上に、僕にとって重要なものとなりつつある。それは、僕が国際市場と開発という二つの専攻を通じて探っていきたい方向性が、このペーパーを通してより明確になってきたように思うから。このことついては、ここ数日何度かきっちり書こうとトライしてみたのだが、どうやらペーパーの片手間のような状況で書くのは難しそうだ。だけど、僕が問題意識を持っている限り、そしてそれを今後の勉強を通してシェイプし続ける限り、それをうまく表現できるチャンスが来るだろう。考えなきゃならないissueは多すぎる、そしてまだまだ見えていない部分もたくさんある気がするけど、それが来なきゃまずいだろう。

深夜の学校はけっこう好きだ。風の通り道であるせいなのか、自習室の窓から見える雪はいつも左右からクロスするようにきれいに降っていて、自習室はなんとなく危機感を共有している少数の生徒たちの親密感のようなもので包まれている。これがどこまで続くのかとときおり思ってしまうような、参考文献とそれを読みながらときおり聴く映画のサウンドトラックに引き伸ばされた時間。気分はいつも奇妙に穏やか。

そんな毎日もどうやら明日が最後。日本にペーパーを持ちこさなきゃいけないということがなんとも歯がゆいけど、とにかく“地理的”には、明日秋学期を終え、あさって一時日本に帰国します。次の学期にはもう少しまともなことが書けますように。あと単純に書き続けられますように。では最後に僕が深夜1時のバスで聴く、お気に入りの一曲を。明日、そして3週間後またバスで。

REM “Man on the moon”

http://www.youtube.com/watch?v=bs4pTCqhTfY

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続・マイクロ

今日はついにMicroeconomicsのファイナルが終了。結果は・・・部分的に発表された解答とすり合わせてみると、これまでで一番まずそうだが。いかんせん、最後というだけあって計算ですっきりとした答えをもとめるよりは、debatableな要素満載の問題ばかりであった。それでもテスト直後になぜか一部の生徒たちから聞かれた「簡単だった」という声。僕は知っている。その感想が出てくる時点で

きみたちは(も)すでに死んでいる・・・。

この授業は、グループスタディを奨励していていつもテスト前の夜に教授がGroup Office Hourという勉強会を催していた。そこが事実上、最後の授業となったわけだが、そこで教授が言っていたこと。おそらく多少僕の解釈が混じっていることを承知で。

「モノポリーには供給曲線は存在しない。そして、世の中に完全競争が存在しないこと、現実の市場のすべてが完全競争とモノポリーの間の線上に位置することを考えれば、そもそも供給曲線というものなどない。私は供給という概念自体も疑わしいと思うが、少なくともそれを数式で表現できることはありえない。一方需要というものはどこの場所にも満ち溢れているもの。これはたしかに存在するものだが、それを数式で表現できることもありえない。ダイアグラムに視覚的に表すこともままならない。そこで、きみたちは、アイデアをできるだけ適切に言葉で表現する、描写することに努めなさい。それもできるだけ真摯に、経済学の言葉を使わずにね。」

まさに僕にうってつけだ。

「ドリブルこそチビの生きる道だぜ」って誰かが言ってたように。

国際関係っていう名のもとで扱う対象って(というか、おそらく自然科学も含めたすべての学問が扱うものごとは)はっきり言って混沌以外のなにものでもないと思う。僕は人間自身やその相互作用に分類されるようなものごとまで数式化しようっていう試みには単純にすごく惹かれるし、そういうアプローチにもときめく。ただ、それを言語でやるっていうのもいいかもしれない。ドリブルとパスの違いみたいなものかもなぁ。

そういう意味で、どんなに準備したとしても現実のものごとを経済学的に「描写」する問題が簡単なんていうことはありえない。それは、これまで学んできたはずのモデル自体の不完全性、そもそも世界のどこかで誰かがやっていること、その中でもニュースになっちゃうような面白いことに真摯に向き合おうっていう基本的なスタンスを著しく欠いているってことじゃないのか?

と言ってみたりする・・・。いや、これはテストのいいわけじゃなくて、僕の学問に対する敬意の表明です。そうに違いないよ、たぶん。

100laptop テストに出た$100ラップトップ(結果的には$188ドルまでしか下げられず)。MITのネグロポンテ教授が「発展途上国の子供たちの教育ため」にこのPCの開発プロジェクトを掲げて以降、インテル、マイクロソフトがこの簡易PC市場に参入。教授のプロジェクトはインテルの$200~300のラップトップの成功のおかげで影をひそめることに。そもそもどうして$100ドルにできると考えたのか、なぜ現実には$100ドルを実現できなかったのか、なぜチップメーカーであるインテルまでがこの市場に参入してきたのか、そしてインテルと教授のNFP firmの協力は、市場の効率性、公の利益の観点から見て何を意味するのか、という問題でした。

そうそう、そもそもテストのスコアにきっちりとしたスケールはない。教授がときめいたアイデアについてはフルスコアを超える点がつくのだ。この何やら子供ごころをくすぐるスタンスがとても好きでした。

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マイクロ

What Price the Moral High Ground?: Ethical Dilemmas in Competitive EnvironmentsBookWhat Price the Moral High Ground?: Ethical Dilemmas in Competitive Environments

著者:Robert H. Frank
販売元:Princeton Univ Pr
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夜どおし降り続けた雨が積もっていた雪を完全に流し去った今朝は、久しぶりにスニーカーで登校。しかし、荷物が重すぎてへこたれそうになったので、今日も最近かなりお近づきになりつつあるi-podで音楽を聴きながらごまかしごまかし教室まで歩いた。

朝8時からのMicroeconomicsは本日が最後の通常授業ということで、いつもの調子の教授の語りがいつもより20分早く切り上げられ、授業のevaluationを書いた。僕は個人的にMicroの教授はとても好きだったので、どうしても5(Excellent)ばかりになった。こういう評価が果たして良いのか、意味あるのか、そういうことも考えたが、どうせ他の生徒が批判もするだろうし、ぴんときた評価をすればいいやということに収まった。

「みなさんの成績を出すまで私も評価を見ることはできないから来年この授業をとる生徒たちのためにも正直に書くように」

という言葉は、僕にとっては「あー教授も成績表が出るんだなぁ。いっしょだなぁ。」という仲間意識を喚起させただけであった。本当にミクロ経済と、それを「教えること」への愛情がひしひしと感じられたチャーミングマン。実際Microの考え方はほんとうにおもしろかったしWall Street JournalやThe Economistのホットな記事をもとにした独特の難しいテストも、本当によくできていたと思う。より高度なMicroをとることはEconomicsの生徒ではない僕にとっては科目の制限的にも無理だと思うけど、アイデアは他の授業を通じてでも、本を通してでも深めていきたいなぁと思う。冒頭に貼ったのは授業中に教授が名前を連呼しすぎてすでに親しみすら感じるご近所のCornell Universityのエコノミスト、Robert Frankの著書。教科書はこの人の書いたものを使っていました。まずはひまを見つけてこの1冊を読むことから始めよう。

というか、その前にあさってファイナルあるけど・・・。

サンプル問題難しすぎ。ひどい。

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寒波到来

いつものように学校の自習室に向かった、本日土曜日の朝。まあ雪が降っているのは仕方ないとして、何かが違う。バス停で待っているときも、降りてから歩いているときも、いつもより耐えがたいのはなぜなんだろうと疑問に思って過ごした午前中。お昼にこれまたいつものように大学院から徒歩5分くらいのところにある中華料理屋まで歩いたのだが、完全に晴れているにもかかわらず身体を貫くような寒さ。

夕方インターネットで気温を調べてみたら、シラキュースの気温は本日最低-12℃、そして最高-6℃。それで最高って言っちゃっていいんですかっていう疑問は置いておくとして、相当納得のできる気温であった。でも、まだ今のところフリーザで言ったら第二形態くらいなのかもしれない。-30℃はめったにないそうだが、-20℃はいくっぽい。ガクガク・・・。

フードは何のためにあるか知っていますか?B-Boyやスケーターがたまにかっこつけてかぶるためにあるわけではないのです。アレはリアルにかぶらないとダメな環境のためにあるのです。僕は本日、関東では最も寒い時期も完全にカバーできる格好だったはずなのだがフードとマフラーを欠いていたため、危うく1学期目のファイナル前に氷の記念碑になるところでした。家についたときあまりの寒さに一人で爆笑したくらいです。ほんとに。

そんな極寒の中、自習室に朝からこもり続けて勉強した統計学のおかげで僕の頭は完全にオーバーヒート状態です。この環境で統計を一日13時間なんて、ほとんど囚人だと思う。

思い返せば、統計のコースは相当問題点ばかりだった気がする。教授は「授業で説明するよりは教科書読んだ方が早いでしょ」っていう雰囲気バリバリだし、とにかくアイデアにときめいたり感動することは一切なく、ただただめんどくさい課題のオンパレードといった感じで。きっと統計学の授業なんてjob-huntingで少しでも売り込めそうな材料を盛り込むためだけにやってるから駄目なんだろう。

それでもここまでみんなの文句を最小限に抑えてきた(あるいは一部の陰口に変えてきた)のは、教授が大学院の教授陣でだんとつに若く、スタイリッシュかつグラマーな美人であるという決定的要因であった。Midtermでは僕がどうしても分からなかった問いのヒントをテスト中にクールにさらっと教えてくれたし、特に留学生に配慮がある親切な人でもあるのだ。

あーしかし、ここまでやってもいまだに宿題が終わる見通しがつかないという現実は美人教授の妄想によっては動かないのだ。

ということで、そんなときこそ聴きたい音楽。氷点下12℃の世界でも、むしろそんな世界でこそ僕を聴覚に集中させることによって救ってくれることを知りました。

「この音を聴くたびに俺は何度でもよみがえる」・・・はず!

I am the resurrection

http://www.youtube.com/watch?v=eg9xKppB08c

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ラストスパート

Thanksgivingも最終日の夜。いやー、長かったような短すぎるような。とりあえず今日は久しぶりに満足できるレベルまで集中して勉強して帳尻を合わせようとしたのだが、それでも休み前の計画どおりにはいかず・・・。

しかし、これまでの勉強で次の学期に活かすための反省点だけは、十分出そろいました。

とにかく非常に基本的なこととして、気持ちよく勉強できる循環を確立しなきゃいけないなってようやく気付いた。(たぶん前も気づいていたはずだけど忘れていた。)

自習室で最も集中できる場所は、窓際の二つの席であり、そこをとるためには朝早めに家を出るべきであり、そうすると早寝早起きの循環ができて健康になり、なぜか筋肉とかもつきはじめて、人間関係とかとにかくすべてがうまくいくという感じで・・・。名づけて「進研ゼミから送られてくるマンガ」作戦。毎月のようにそれが送られてきていた小中学生のころから10年越しに、あのうさんくさくも魅力的だったサクセスストーリーを実現させるときが来たのだ。

もっと、まともな言い方をすると、僕は一日一日完全燃焼させて、毎晩満足感とともにさくっと眠りたいっていう単純なことなんだけど。

とにかく、今夜はルームメイトも帰宅して収まる部屋に収まり、いよいよラストスパートの体制が整った。ファイナルまであと一週間、そして最後のタームペーパーの提出日まで2週間。

まあ、なんとかなるし、なんとかする。

ということで、今夜はさくっと寝ておきます・・・。

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はてさて

来週に控えた経済地理学のプレゼンのため、アサインされたリーディングを読み終えたのだが、どうもいまいちプレゼンの方向性が見えてこない。僕の発表のテーマは「Transnational Corporation(多国籍企業)は場所をもたない企業の出現を意味するのか?」というもの。そもそものテーマにも多少問題がありそうな感じはするんだけど。

このテーマは他の生徒も希望を出していた関係で、教授が僕用に急ごしらえ的に3つの関連論文を選んでくれたのだが、この三つが完全に論じる対象やアプローチを異にしている感じ。これを20分のプレゼンにどうやってまとめたらいいのか・・・昨日は深夜まで粘ってみたが、論旨ひとつひとつ順番に説明する以外にやり方は思いつかなかった。

各論文の内容は以下の通り。

1.多国籍企業は、技術革新や経営理論の刷新によって、中央からの子会社へのコントロールを強めている傾向がある。国内に存在する大企業の多くが米国TNCの子会社であるカナダでは、子会社の独立した意思決定能力の低下、それによる地域性を無視した投資、解雇、ひいてはカナダの都市圏にいる法律家やコンサルタント、会計士などの市場縮小をまねき、大手企業からの援助で運営してきた大学等の衰退も懸念される。長期的にはこれらによって都市の衰退を招く可能性がある。

2.ベルリンの壁崩壊後のポーランドにおいて、多国籍企業の進出が集団や個人のうちに無言のうちに共有される職業観に与えた影響は、これまで十分に明らかにされず問題視されてこなかった。90年代初頭、多国籍企業はさまざまな方法でポーランドの労働者たちに企業文化を受け入れされる努力をし、利益の拡大を図ろうとしてきた。Volvoは、労働者たちを企業の「家族」の一員として扱い、経営側と労働者側の対話を意識的に促進し、溝を埋める形でそれを達成した。一方ABBは、企業文化を頒布させるためのコア・グループの育成に注力し、彼らを海外の企業に送って見学させたり、正規の訓練を受けさせ経済的なインセンティブを与えるというショック療法的なアプローチをとった結果、経営側が発信した価値と労働者側の理解の間にギャップが生じた。いずれの場合も、価値観のせめぎあいは個々の職場レベルで展開された。また一般的に、こういった過程で労働組合は旧共産主義的な価値を内包する組織として、経営側から疎外される傾向があった。現在、新たに出現してきた労働組合や社会運動によって、多国籍企業によって持ち込まれた職業観を相対化し、より包括的な議論を行うための土壌が形成されつつある。

3.多国籍企業の進出は、多くのアクターが関わる複雑なメカニズムを通して行われ、常に地域の政治的連合体によって積極的に修正されゆがめられる形で達成される。その意味において、多国籍企業の進出はGlobalからLocalへの単純なトップダウンではなく、LocalからGlobalへのボトムアップの活動が存在している。たとえば、北イングランドでは、地域開発機関が、特定の多国籍企業の進出を他の企業の利益を考慮した上で修正し、地方の利益へと転換を行うという調停役を行っている。また、こういった開発機関が特定の多国籍企業の進出を地域発展の旗印として利用し、さらなる進出を促すという手法はイングランドやアメリカでよくみられる。また投資銀行、監査法人、コンサルタントなども企業の投資判断、地域選定ににかかわる重要なアクターである。このように多国籍企業の進出のメカニズムは、多次元において多国籍企業の本来の意図、規範、利益の転換が行われていく非常に複雑なプロセスであり、地域によって質的に大きく異なるものである。

リフレッシュと備忘をかねて、こうやって日本語で書いてみたものの・・・なんだこれ。特に3の論文なんて正直ちゃんと理解できているのかどうかすら怪しい。とりあえず多面的な示唆にだけは富んでいるこれら3つの論文にどうやって一本筋を通してプレゼンすればいいのか。ああ、なんてfrustratingなんだ。

今学期も終盤に差し掛かり、周囲にはほんとにぎりぎりなスケジュールと精神状態でふんばっている人たちもいる。ファイナルペーパーの締め切りが来週に設定されている授業もあるみたいだし。結果的に僕の当初の意図とはかなりずれてしまっているこのプレゼンを早く終えて、ファイナルのためのリーディングを始めたいというのが本音だなぁ。

そんなこんなでイライラがピークを迎えつつあった昨日の夜、井上雄彦氏のホームページでBUZER BEATERが読めるということを発見!

http://www.itplanning.co.jp/bbimages/body.img/B0/FBEAT0.HTML

これまでストレス解消をわずか数冊のマンガに頼っており、マンガ飢餓的状態にあった僕。まあ、一気に読んだよね。しかし、どうしてこうも最高な気分にさせてくれるんだろう。

バスケとかしたいっす。こんな晴れた日曜の昼には。

でも同時にこんなときこそ思い出す安西先生。

あきらめたらそこで試合終了ですよ・・・。

ちくしょう。さあ今日も、一本行こうか!

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迫りくる将来

11月に入り、秋学期の授業もついに佳境に入ってきた雰囲気。ミクロ経済学の授業では、これまでdemand side, supply sideの基本的な理論をときどき行動経済学や進化経済学のトピックに触れながらもきっちりこなしてきた感じだったけど、ついに内容が教科書を完全に飛び出し始めた。寡占産業の理解のためにゲーム理論のリーディングをアサインされたはずなのに、授業でもっぱら扱うのは非営利団体の活動のミクロ経済学的分析。さすがにCitizenship and Public Affairsという名を冠する大学院でコアコースとなっているだけあって、やはりここでもテーマは「公共の利益」ということなんだろう。そもそもそれが何かということも含めて。

少なくとも、人文とか社会科学とかに興味を持ち、国際関係学というunmarketableな学問を選んだ自分にとって、それを考えることは一つの大きなテーマだ。卒業後の自分の仕事を考えることとともに。

「きみたちはこの教室に国際関係学修士プログラムの生徒として座っている。それは、多かれ少なかれきみたちがNot for profitについて考えようとしているということです。」

教授の何気ない一言にもなかなか考えさせられる。うーむ。

そうそう、今日は夏の語学学校の友達を集めたパーティがあった。おなじみの顔以外にも、あまり話す機会のなかった隣のクラス(正確には上のクラス)の子なども集まり、いろんな国の料理が食べられてとても雰囲気の良いパーティだった。そんな中で僕がミクロ経済学の授業で最近非常にお世話になっている師匠とも初めて飲む機会を得た。

彼はミクロ経済学のクラスで常にトップをキープし続けている公共政策プログラムの生徒。韓国の中央官庁からの派遣で、もともと経済統計を専門にしている人だからかなりのアドバンテージがあることは否めない。しかしいずれにせよ、聞くところによると韓国政府派遣の留学資格を得るのは恐ろしい競争率だということだし、勤勉さとお茶目さを兼ね備えた尊敬すべき人である。ちなみに奥さんまでその競争を勝ち抜き、同じ大学院の博士課程に在籍しているというから、本当に恐ろしい。

「きみはクラスメートたちよりずっとよくやっている。しかし、ときに必要以上に考えすぎる。あとはもっと勉強しなければだめだ。」

というのが彼の僕に対する口ぐせのような説教である。たまに考えすぎるくせにあまり勉強していないという指摘が非常に的を得ている気が。

そんな彼に今日はかるく職業について相談してみた。そしていつものようにからかわれつつも、思ったことは、どんな仕事をやるにせよそれをどれだけ続けるのかっていうことを考えておかなきゃっていうこと。そして、自分が職業を考える上で、やっぱり「公共性」と折り合いをつけることが重要なテーマなのかもしれないってこと。

ということで「たまに考えすぎる」部類に入るのかもしれない今日の自分。確実に来週にひかえたボストンの影響下にあります。

まあ、とりあえず今のところは寝ておくか・・・。

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思いのままに

日本にいてもそういう傾向はあったかもしれないが、ここ数カ月の僕の毎日の気分の変化は相当なものであると思う。とはいっても精神的に成長しましたとか、→的に変わっているわけではなく、妙に楽観的になったり妙に悲観的になったりすることが多すぎるということ。基本的には自分が楽観的な方でよかったなぁって思うことが圧倒的に多いけど。

とにかくこのブログの方向性についても、正直いろんな人から影響を受けている。特にちょっと時間があるときに米国の大学院やMBA留学生のブログを読ませていただいているためか、とにかく気持ちがゆれるゆれる。

「僕には公の空間に文章を載せる人間としてのprofessionalismが著しく欠けているんじゃないか?」

と思う時もあれば、

「リアルに気分的な部分をいろいろ書いた方が合ってるんじゃないか?」

とか

「とりあえずYoutubeの音楽へのリンクだけは貼り付けたい」

と思う時も・・・。

そんな中さっきまたNYCの法科大学院に通う人のブログを読んで、一つのしょうもなさそうな結論にたどりついた。それは、米国に留学している日本人の大学院生といえど、たぶん精神的な追い詰め具合とか、ライフスタイルとかもほんとに十人十色だということ。旅行や飲み会にかなり行っている人もいれば、週末もずっと図書館で過ごす人もいる。結局のところ、何にプライオリティを置くかっていうことでしかない。

おそらく、僕みたいな大学院ではじめて海外生活をしますっていう人の最大のジレンマは、「授業のための勉強」と「友達との遊び(会話)」って部分だと思う。大学院に勉強しにきているっていうのは大前提なわけだけど、座学に徹してたら日本でやっても同じかもしれない。逆に友達と遊ぶ、話すっていうことこそが一番貴重なことなんじゃないかって思う時が頻繁にある。僕の専攻なんて特に、国際関係なわけで。

それでも授業でまずい点数を取ったときなんかは、「あーもう絶対周りなんか見ない。俺の世界は自習室だ!」って一大決心するわけだけど。

あとやっぱり思うのは授業以外のアウトプットは少なくとも僕にはどうしても必要。授業で学んだことにせよ、他の部分で思ったことにせよ、これまで知らず知らずのうちにたくさんアウトプットしててそれによって自分の中で実感のあるものにできてる、内面化できてるってことをここ2か月で一番実感した。日常生活で日本人と話す機会はそんなにないし、放置したらほんとにインプットに傾きがちな生活だからなぁ。

結論として、今後のブログについてだけど、授業で勉強したり面白いなぁって思ったことを自分の言葉で置き換えてくってことを基本のスタンスにしたいけど、あいかわらず内容的に揺れ続けていくのがきっと僕のリアルです。そういうことにしてください。そして思いのままにできるだけ更新してきます。

さあ、そろそろ論文読もう。内容は、グローバリゼーション下における自治体政策・シティマネジメントの変化について。

最近は、論文読むのもけっこう楽しくなってきた。

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もう半分か

僕がとっているミクロ経済学の授業は、ファイナルがなくてMidtermを4回、ペーパー7個と小テスト3回で成績がでる仕組み。今朝二度目のMidtermが終わった。ということは、もうそろそろ秋学期も折り返し地点ってことかぁ。早い、早すぎる。

最近はだんだんとペースを作れていた気がしていたんだけど、結局昨日もほぼ徹夜の勉強に。この授業は、あいかわらず数学をほとんど使っていないんだけど、ミクロ経済学のアイデアを使ってリアルなことがらを説明するっていう徹底した姿勢によって、試験前は死ぬっていう構図になっているらしい。じゃあどうやって経済学を教わっているのかといったら、ダイアグラムをverballyに解釈できるようにすること、あるいはverballyに表現されている、たとえばニュース記事なんかの事例をダイアラムとしてラフスケッチできるようにする(それによって経済学的な合理性を検証する)っていうことなんだと思う。たしかに、こと社会科学が扱うような事象について「数値の厳密性」が本当に意味をなすケースっていうのはけっこう少ないような。

でもそう感じる反面、言葉で説明できることを視覚的に分かりやすく表現したものが図形ならば、数式っていうのもある意味一般的な言語より洗練された表記、思索の方法なんだなぁってことをよくよく感じる。言葉によってアイデアを組み立てるよりも、はるかに効率的に論理をまとめ上げて、break throughしていける領域が確実にあるってこと。そういう意味で、数学ができるひとっていうのは僕にとっていつからか、特殊言語を操れるクールな存在になっていたわけだけど、僕以外にもいわゆる文系の人たちが大人になってからこういうことを実感するケースってけっこう多いんだろうなぁって思う。

結局言いたいのは、僕がミクロ経済学にけっこう持ってかれていて、でも理解を深めていきたかったら、数式っていうツールなしではかなりきっついんだろうなぁっていうふつーのことです。せめて、受験のプレッシャーもなく何でも選択可能だった高校時代に、数Ⅲ・Cくらい取っておけばよかったとかね・・・笑。

あとミクロ経済の授業のいいところは、とにかく教授自身のひとがらです。僕が受講している中で、クラスの人数が一番多い授業なのに、すぐに名前を覚えてくれて校内で会ってもきっちり呼びかけてくれることとか。オフィスアワーの時間外も忙しそうなそぶりも見せず、かなり一生懸命教えてくれることとか。「他人の不幸と自分の不幸を差別しない人」の無差別曲線の事例を、「フラニーとゾーイー」って呼び続けることとか。あと、「昼寝の医学的な効能」を扱った新聞記事を集めてオフィスにスクラップしていることとか・・・。

というわけで問題の中間試験の手ごたえは・・・うーん。これからは特にがんばります!

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Hardworking

ようやくコンサルティング会社のコンペが終わり、溜息したら本当にすごい溜息が出そうな金曜の夜です。あー、とにかく終わった!

この二日間、僕は何かにとりつかれているかのようにミスを繰り返しました。

1つ目、開始時間を間違う。コンペのオリエンテーションは午後3:00からの開始だったのに、なぜか4:00からと勘違いしており、ミクロ経済学の宿題の分からないところを聞くために2時半くらいから教授の研究室の前で待機。1時間くらい待ったあと、教授からようやく宿題についてのヒントを得られてほっとした4時。よし、間に合うぞ!と思って行ったら、最初のオリエンテーションは余裕で終了していることが判明。非常に申し訳ない気持ちで、一番近くでディスカッションをはじめていたグループに入れてもらう。

2つ目、二日目も寝坊。ネクタイをきちんと締められるか自信がなかったため、いつもよりちょっと早めの6時20分にタイマーをセットしていたのが裏目に。何を勘違いしたのか、たぶんアラームを解除し、起きたら8時。二日目のオリエンテーションももう始まっている・・・。朝から冷や汗をかくというのは、本当にいやな経験だ。とりあえずちょっぱやで着替えてバスに飛び乗り8時40分に学校に到着。

メンバーから、昨日深夜まで続いたディスカッションが僕にとってEnglish overloadだったのだろうといわれ、(確実に苦笑の部類に入るけど)笑ってもらえたのが救い。

3つ目、宿題は早めに。結局、ヒントはもらったもののミクロ経済学の宿題に手をつけられなかった昨夜。そのせいで、本日のイベントの合間を縫ってせこせこと宿題をやるはめに。プレゼンの直前まで、なにやらグラフっぽいものを手書きで書いている僕を見て、グループのメンバーはさらなる苦笑。3時すぎに、最後のプレゼンを終えたあとは、またまた最後のレセプションに参加せずに自習室で宿題を仕上げる。終わったのは締切の4時ちょうど。ありえない。死ぬ。

しかし、そんな僕にかき回されながらもすばらしいテンションの高さでこの二日間を乗り切ったチームメンバーたち。結果、僕のチームは全体で3位入賞。わーい!

僕がチームに少しでも貢献できたのかという疑問は置いておくとして、彼らの仕事ぶりは本当にすばらしかった。そうそう、お題はざっくりまとめると

「テロからの安全を確保するために、アメリカに輸入されてくるコンテナの安全性を高める法案が通過する見込み。連邦政府のOTSは危険度の高いすべてのコンテナをスクリーンするための制度を3年後までに確立させることを要求されている。この制度にかかわるステークホルダーを考慮しながら、実行可能なプランを提案しなさい。」

という、ありえない内容。そもそも港湾とか、輸入のプラクティカルな側面についてちょっとでも知識がある人なんていない。そんな状況から、わずか2時間で現状を調べ上げ、既存の制度や輸入されてくるコンテナの量、その内訳、使えそうな技術についての情報(ウォルマートのRFIDとかまで)を集めて、それをもとにアイデアをまとめ上げていった。

結局深夜0時過ぎに、プレゼンの流れまですべて完成。

アメリカ人は怠惰なやつが多いというが、少なくともチームメンバーは恐ろしいハードワーカーたちだった。夕飯を食おうというそぶりなど一切見せず、水だけ飲み、ありえないハイテンションで深夜まで作業をつづける彼らを見て、本当に優秀な人たちなんだぁと心から実感。今日の昼、ファイナルに勝ち残ってからはさらなるお題が

「状況が変わり、来年末までに危険度にかかわらずすべてのコンテナ(年間数百万)をチェックできるシステムを確立しなくてはいけなくなりました。プランを考案しなさい。」

これに対応するために、わずか1時間ですべてのスライドを修正し、プレゼンの時間もぴったりにまとめたわがチーム。僕が常に考えざるを得なかったのは、「自分は日本語でも、限られた時間でここまでの作業ができるだろうか」ってこと。

そんなグループをぐいぐいひっぱったドリューの深夜の一言は忘れがたい思い出となった。

「風雲たけし城ってやつがアメリカで再放送されたんだが、あれは本当に日本で放送されていたのかい?あんなクレイジーな番組は他に見たことがないよ。実は、ずっと確認したかったんだ。」

そして、もう一つ忘れられないのは、みんな死にそうだった深夜に突然ラップトップから音楽を流し始めたニックの選曲。Sugarhill gangにDaft Punk、そして

New order, "REGRET"!

http://www.youtube.com/watch?v=xzNQMW7-9Mw&mode=related&search

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なにくそ

先週末あたりから口の中が痛みはじめた。とりあえず最初は虫歯かと思って、ネットでアメリカの留学生は虫歯にどう対処しているのかちょっと調べてみたら、基本的には歯の治療は保険ではカバーされないため15万くらいから、ちょっと神経いじったり歯に何かかぶせたりしたら30万くらいかかることもあるとか。でふつうの選択肢として、「虫歯になったら日本に帰って治療する」っていうのが挙げられていたんだけど・・・ありえない、マジで勘弁だ。

でもとりあえず鏡に映して見える範囲では歯に異常は見当たらないため、とりあえず鎮痛剤を飲みつつ、飯は痛くない右側で食うことに。そこで一番きついのは朝のシリアルだってことに最近気づいた。食物繊維がいっぱい入ってるブラン系のやつを食っていたんだけど、あれは口に対する負担がでかい。たぶん繊維が口の中の痛いとこに当たってる。この際、ヨーグルトとかに切り替えるかなぁ。

そんなこんなで決して良いとは言えないコンディションで10月に突入し、明日と明後日は僕がずっとプレッシャーを感じてきた授業とは関係のないコンペの日。民間のコンサルティング会社が主催で、有志の参加者のほとんどは同じ大学院のMPA(公共政策修士)の人たち。

内容としては、コンサルタントが公共部門の事業改革のケーススタディーを提供し、その後グループがそれぞれ与えられたケースの解決策を提示するため深夜0時までディスカッション。翌日は早朝からシニアコンサルタントたちにグループのアイデアをプレゼンするとかなんとか。つまり、とくに僕の苦手そうなものが凝縮された、いかにもきっつそうなイベントなのです。シカゴ大やカーネギーメロン大でも同じようなイベントをやっているみたいで、報告を読んでみたら「けなされることを楽しめない人は参加しない方がいい」って書いてあった。おい、僕はほめられて伸びるタイプだぞ。てかそもそもけなされることを本心から楽しめる人なんていないと思います。シチュエーションにもよると思うけど。おっと。

でもとりあえずここら辺からギアを一段階上げていかなきゃと思っている10月。このくらい、やってやらねば。あと、その前に宿題やらねば!

ぐは。

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Midtermひとつめ

このブログを読んでくれている(数少ない)かたがた、何度もレイアウトを変更していますが、どうかご容赦ください。試行錯誤中なんです。

今朝は大学院に入学してから初めてのMidterm examでした。教科はmicroeconomicsです。いやーきびしかった。

なんていっても、最近、スケジュールに追われる形になってしまっていたのがまずかった。先輩から聞いたありがたいアドバイス

「授業より常に一週間先のことをやっている状態にしときなさい」

っていうのは、これまでのところ僕の生活に全く反映されておらず、翌日の課題のために朝まで勉強し、帰ってきたら1-2時間寝て、結局次の日も朝まで勉強しなくてはならないという悪循環が形成されていたのです。

ということで、今朝8:00からのテストの勉強に手をつけたのは、昨夜7時。ミクロ経済学は個人的に内容を一番楽しめていた授業だったのでなんとかなるかなぁと思っていたら、予想よりなんとかなりませんでした。親切な教授から配布されたテストの例題6問(この中から2題出題すると宣言された)のうち、ようやく2題を解き終えたのが深夜2:00。このペースはあまりにもまずいけど、でも休憩とかを入れていたわけでもないのです。たぶん、読むのと書くのが圧倒的に遅いっていうのもあるけど、問題がふつうに難しかったせいです。

とにかく結局朝4時半までやって4/6問を終え、朝6時に起床して5/6まで終わらせてテストに臨んだのですが、まあ、出たよね。

最後までわからなかった1問が。

ということで、僕はすでに次の授業の生徒たちが入口で待機している中、最後の一人になってまでがんばって書いてみました。結果はどうか知らないけど、とりあえず僕ががんばったことは僕が終わるのをずっと待っていた教授には伝わったはずだ!と思う。

ということで今朝は授業後にひさびさにゆっくり散歩をしてやりました。この季節、シラキュースはとてもきれいです。

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まじめに授業再考

先週とあまり変わらないバタバタ加減でまた一週間が終わった。ふー。

とりあえず、授業の内容に関して難しいと思うことはあまりないけど、問題は課題の量。素でだんだんひどいことになってるぞ。

だいたい週に一回しかない授業の場合には、100ページ以上のリーディングを要求してくるし、それに加えてプラス何かの課題がある。いや、こう書いてみるとたいしたことない気がしてきたから、問題は僕のタイムマネジメントの悪さだ。

それは分かっているのだが、とりあえず科目を4つ→3つに減らすことを考えている。理由はたくさんあるけど、僕がとっているクラスのひとつ「国際機関&NGOマネジメント」は今後の自分の進路に結局irrelevantかもって思っているところがでかい。結局この授業で何を学ぶかといえば、国連組織を設計するときの考え方の「枠組み」、そしてペーパーの書き方。授業やそこで取り上げる本自体は最初思っていたより全然面白いのだが、僕がこの手の仕事をしたいかって言ったら結局答えはノーになる気がする。そして、各国連機関の事務局員を歴任してきたという教授のくせに(あるいはそのせいなのか)、これまでのマネジメントに対する決定的な批判の姿勢が欠けている気がするのも気になるとこではある。それでもなお、面白いことには変わらないんだけど。

単純に、面白いってことが授業をとる十分条件ではなくなっているかもしれないってことだな、きっと。

ところで、僕の今後の進路に関係あるのかっていうこれまでの話は置いておいて、ミクロ経済学はほんとに面白いです笑。

他の授業のリーディングの宿題については全くそうではないけど、昨夜はけっこう楽しみつつ朝までミクロ経済の課題をやるという斬新な体験をしました。

まだ開始後3週間の段階だし、基本的には元経済学部でない人を対象にした授業なので内容的には本当に原則にあたる考え方を利用して、最近のeventについてどこまで説明できるかっていうところなんだけど、問題を解いていると、高校の入試対策の数学の難しい証明問題をやらされてたときのなにくそーっていう気分を思い出す。絶対解いてやるっつのみたいな。

あと、最近きづいたのは、てっとり早く考え方を確認したくて、日本語で経済学の理論をググって読んでみても、結局英語より分かりづらいってこと。これはいろんな学問に言えることだと思うけど、翻訳の言葉選びが悪すぎる。効用、限界消費性向、異時的均衡・・・とにかくすべての言葉が直観的に理解できないように仕組まれているような。そして難しい言葉のくせに、そこまでたいしたことを言っていないところも問題だ。

僕がわりとすんなりと入っていけるのは教授の教え方や本がintuitiveなだけじゃない、英語のテキストがintuitiveなおかげだと。歴史的に学問の中心であり続けた欧米圏の学生たちって、何かを学ぼうってときに予想以上にアドバンテージがある気がするなぁ。

あー眠い。寝ます。

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Fall Semesterの授業

大学院も2週目後半、授業の雰囲気もだいたいつかめてきて、冬までの雰囲気もわかり始めてきました。

こちらにきてちょっとびっくりしたのは、授業のシラバスがとても明確で、最後の日まで毎週どんな内容を扱うのか、授業を受ける前に読まなくてはいけない本は何か、またFinalやMidtermといった大きなテストだけじゃなくて、小試験や短いレポートを提出する日程まですべて明記されているということ。少なくとも僕の学部時代の授業ではこんなことはなかったけど、大学院っていうのは日本もこんな感じなんだろうか。

今期は必修となっている2つの授業を含めて、計4つの授業を受講することに。内訳はSPSSを用いた統計、ミクロ経済学(この二つが必修)、そして経済地理学、国際公共機関・NGOマネジメントです。

一つの授業は約3時間。週2回、一時間半ずつに分けて授業を行うものと、3時間ぶっとおしでやる2種類があります。それ以外の時間は主に課題と予習・復習に費やされるわけだけど、朝から夕方まで授業があった語学学校時代と比べれば、自分でペースをコントロールできるという良さがあります。むしろそれが問題なのかもしれないけど・・・。

正直言って、統計学とミクロ経済の内容に関してはProfessional Degreeという性質(つまり博士課程に進む人を想定してないこと)のせいなのか、かなり基本的な部分からやってくれるようです。特にミクロについては僕は高校時代にやった微積分ですら何も覚えてないくらいなのですが、基本的には「ミクロ経済学的な合理的判断の枠組み」を習得することがコースの目的なので、今のところ中学数学以上のものも使っていないし、すごくintuitiveで楽しいです。課題の量は多いけど、その分教授は生徒に対してすごく熱意があって親切で、なおかつ多くの面白い事例を用いた授業をするということで、実際リアルに人気の授業。僕が科目登録をしようとしたときは、すでに25人くらいの枠がすべて埋まっていたのですが、直接お願いして入れてもらいました。

ま、それはいいとして、問題なのは別の授業。国際機関とNGOマネジメントです。アドバイザーいわく僕の大学院の目玉授業と言えるくらいの授業で、ネットやビデオをかつようしつつ大がかりではあるんだけど、とりあえずリーディングが多いわりに文献がつまらないことにやられて、すでに苦手意識が芽生え始めている。まだ一回しか授業を受けていないのに微妙だけど、インプットとアウトプットのバランスが悪そうだということと、勉強する側として一番楽しめるケーススタディの部分ですらなんか抽象的だっていうことがある。

ということで、リーディングの山になかなか手が出ないまま今日もまた夜が更けてきた。後手後手になる前に、なんとかしなくては!

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