趣味

今年を彩る10曲

今週はNY Times, BBCの中国版、Asia Week、Voice of America、そして香港のMing Paoへのアクセスが中国政府によってブロックされた模様。NY Timesには今朝の時点でまだアクセス不可能。ペーパーの最中でニュースをそれほどチェックする時間もなかったから別に問題はないんだけど、こういう形のネット検閲が果たして効果があるのかは疑わしい。一体何を隠したいのか気になるから、少なくとも僕は必ず後で内容をチェックすると思うし。でも、これは完全な推測だけどYoutubeにもどうやら検閲が入ってる模様で、今週はLoadingが格段に遅くなりました。音楽のストリーミングがいちいち止まることほど苛立つ状況はなかなかありません。

Why Music?
The Economist

タイミングよくこんな記事もありましたが、理由はともあれ僕は常に音楽とともに生活しています。ひとつだけきちんと受け入れたいのは、事実として音楽を聴くことはご飯を食べることとかと同様、効率いかんにかかわらず生活の中にあることが普通だってこと。僕はよく一人の時間に音楽を聴きすぎて自分の生産性のなさに幻滅することがあるんだけど、そういう感情で音楽の喜び自体を減じたくないなぁと最近よく思います。結局やるべきことはやらなきゃいつでもへこむわけだけどw。でも、音楽に夢中になるのはごく自然なことであるということをきっちり認めていきたいなと。

それにしても、今年はほんとにVan Morrisonばかり聴いていました。ワシントンDCにいたころテレビでStill on topのCMを見たときには彼のCDをTVコマーシャルで流せる国っていいなーって思ったものです。そしてこのブログに過剰に張り付けてきたことからもご察しの通り、Badly Drawn Boyも僕の生活に寄り添っていました。

というわけで、何かといろいろなランキングがあって楽しい年末。友人のこころにいばらくんの企画をもろにパクらせていただいて、今年なんだか個人的によく聴いたなぁという曲ベスト10を考えました。彼の影響で、フィッシュマンズ聴きながらペーパーを書くはめになり、また生産性が気になっていますがw。これを書きながらも思い出ぽろぽろです。

#10 Lily Allen - Mister Blue Sky

夏の朝、ワシントンでの出勤前に。でも、北京の白い空に対してこそささげたい。

#9 World Famous Supreme Team - World Famous

とあるミックスに入ってた曲。走りながら聞いてるけど、この曲が流れ出すと復活。

#8 The Verve - Sonnet

紅葉のボストンでこの曲を聴いてるとき、自分が途方もなく遠くにいる気がした。

#7 TLC - Waterfalls

夏。ワシントンのシティライフと、とけるような暑さに最高にマッチ。

#6 Nice & Smooth - Cake & Eat it too

シラキュース生活の終わりの時期に没頭。鮮やかな新緑にフィットしたメローチューン。

#5 Badly Drawn Boy - One plus one is one

中国留学直後、なぜか毎晩この曲。なんだろう、この感情。

#4 木村カエラ - リルラリルハ

心のユンケル。深夜にこの映像を見るために突然Youtubeを立ち上げるときの自分の顔は想像したくない。

#3 The Thrills - I came all this way

超スイート。いつまでもこんな季節の中に。

#2 The Clash - Four horsemen, I'm not down

思い出すシラキュースの雪と極寒。負けてたまるか、ちくしょう。

#1 Sara Bareilles - Bottle it up

雪解け、鼻をつく春の花のにおい、一方でいつまでも終わらないペーパー。そんな条件下でなぜか1日に20回くらい聞いた。たぶん、すでに恋。

というわけで、なんだか暑苦しい上に、ガーリーな趣味を持った自分を再発見しつつありますが、こんな僕を来年もどうぞよろしくお願いします。

今のところは、またペーパーに戻ります。

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遠くまで

最近、日経ビジネスに宗教人類学者の植島啓司さんの記事が二回ほど載った。

「何も選ばない生き方のすすめ」

「偶然のチカラを味方につける」

僕は旅人でもないし、ギャンブラーでもなければ、特定の宗教も今のところ信じていないし、将来的にはそりゃあ保険にも入るだろうけど、植島氏が語っていることの全体的な印象は、なんだか妙にしっくりきた。

宗教と科学は何が違うかといえば、反復可能性、実証可能性の問題に尽きます。科学では同じことが2度起こらないと証明になりません。しかし、宗教的なことがらは1回しか起こらない。仏陀の悟りもイエスの生涯も1度きりです。宗教はずっと“1回性”を問題にしている。だから宗教と科学は永遠に交わらない。

 なぜあのときにその人と出会ったのか。そんな出来事がなぜその場所で起きたのか。そうした問いに対して、科学は可能な範囲で説明できるだけで、本当のことは何もわからない。科学や理性は現実に対しつねに周回遅れのランナーなのです。

 どうせ1回しか生きられない人生なんですから、先頭を走るランナーにならなければおもしろくないでしょう? 誰だって100年も生きることはできないんですから。

僕はこの一年余り、それなりに忙しい生活するなかで、「何をすべきか」っていうことを、それを実際に実行できるできないを問わず、それなりに合理的に考えることに慣れてきた。

でも一方で、自分の人生観に関してはおそろしく場当たりな面がある。別に達観とか諦観とかじゃなく、僕はたとえば最初の職場やポジションにしろ「自分に与えられたものをとろう」っていう妙な覚悟がずっとあるし、ある意味流されて生きていくイメージが自分の中にしっかりと根付いている。

だからこそ、これまでの自分の経歴はレジュメのフォーマットに落とし込んだりするには全く不向きなつぎはぎだらけのものになったのかもしれないけど。でも一方で、自分の人生でほんとの後悔みたいなものはないって言いきれる。なぜなら、僕はそのときそのときに自分にいろんな行動を起こさせた”ただ一回のフィーリング”を、たぶんやりすぎなくらいにリスペクトしてきたから。

最近僕は「人生は一回きり」みたいな陳腐な表現にとても惹かれているんだけど、だからこそ精一杯がんばろうとかそういうことを意識しているわけでもない気がする。1回だけっていうのは、どちらかというと僕には気楽にひびく。それなら、どこまでも流されて自分が予想しなかった、設計の枠外の遠くまで行ってみたいって。少なくとも自分にとって、どこかに行きつくために一番大事なのは、意識的に何かを追い続けることより、偶然を、それによって自分に与えられたものを受け入れ続けることのような気がしている。

でも、老後のラフな設計だけはある。それは実際に歌うかどうかは別として、こんな歌を本気で歌えるおじいさんになること。正直これ見て何度も一人で泣いていましたw。

他界する3年前のベストアクトです。

Arthur Lee & Love

"Old Man"

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生きてるうちに頭をつかえ

タイトルは、小学校にも上がらないころに近所の年上の子に僕が言われた言葉らしい。名言として、うちの家庭ではもてはやされています。

小学校時代の記憶っていうのは恐ろしいくらいに薄い。保育園のころの記憶なんてほとんどないといっても過言ではないし、今となっては小学校4年生くらいまで結構怪しい。それでも強烈に印象に残っているのは、たぶん今の感覚で言ったら鬱って呼んでもいい小学校5年生の1か月くらい。当時スイミングスクールに通っていた僕は、泳いでいるときですらその考えから抜け出せず、帰ってドラゴンボールを見ても抜け出せず、親戚のおじさんからもらった特製のソースをかけて食べる高級ゼリーですら味を感じなかったことまで記憶している。その当時の自分を圧倒的に支配していたのは、死ぬのがこわすぎる、でもいつか死ぬっていう認識。

どんなに楽しくても、ほんとに退屈だったり辛かったりしても、自分は毎晩それを感じることができて感想を持つことができる。それがどんなに受け入れがたい感想でも。そして今こうやって考えているように、どんな毎日でも、自分は何かを感じ考えるという特権が許されている。それを通して、自分というものの存在を実感する。そのすべてがいつかしかるべきときが来て絶対に終わる。世界に対する唯一の目であるはずの自分が完全に消滅する。それが恐ろしくてしょうがなく、なんでみんなその恐ろしさを分からないのかと考えてさびしくなったのだと思う。(僕の動物占いは羊である。)どうやって立ち直ったのかはあまり覚えていないけど、その後、ダイの大冒険のクライマックスでポップが大魔王バーンに放ったセリフにびっくりしつつ、ものすごく感動したことは覚えている。きっちりネット上にありました笑。

5つか6つの時・・・だったかなぁ・・・
ある夜おれは「死」について考え出した 死んだらどうなるのか どこへ行くのか 考えれば考えるほど怖くなって・・・
夜中におれは泣き出した 親父たちがびっくりして飛び起きた
どうしても人は死んじゃうの!?どうしてずっと生きていられないの!?
わけがわからなくなっておれは泣きわめき続けた
そしたら母さんが、母さんが抱きしめてくれておれにこう言ってくれたんだ。
"人間は誰でもいつかは死ぬ、だから、だからみんな一生懸命に生きるのよ"って!!
あんたらみてえな雲の上の連中に比べたらおれたち人間の一生なんてどのみち一瞬だろう!!?
だからこそ結果が見えてたってもがきぬいてやる!!!一生懸命に生き抜いてやる!!!
残りの人生が50年だって5分だって同じ事だっ!!!

このあとメドローアか?!!

大学の付属校に通っていた高校時代。出会った友達が小学生のときに同じような経験をしていたことを知って自分をさらに安心させることになった。それはともかくとして。
僕の高校では3年生になると大学進学を意識した選択科目なるものを複数受講することができた。僕が選択したのは文学、経済、倫理、そして中国語であった。僕の好みは今もそれほど変わっていないようです。

その中でも倫理の授業は今でも強い印象が残っている。タルコフスキーのサクリファイスを見て、ノンフィクション作家の柳田邦男のサクリファイス―犠牲―を読んだ。そして、レポートは、なぜ人の命について考えなければならないのかということについて書いた覚えがある。細かいことについては忘れたけど、僕たちが「世界」という言葉を使って表現するものは結局僕たちそれぞれの中にしかないことが一つのテーマだった。毎日どこかに行き、何かを見て、何かを聴いて、においをかいで、触ったりして、本を読んで、あるいは寝ているときですらそんなことをしているような夢まで見て、あるいはそんなことが何一つできなくとも、生命がある限り僕たちはおそらく言葉によってはどうにも形作れないようなもの、現実にあこがれや憧憬や身体反応やいろんなものをいっしょくたにした内部世界を持つことができる。それは自分がいま見ているパソコンの画面も含めたこの"現実の"世界まで包括してしまっている。自分たちが世界という言葉を使う限り、それは僕たちが知覚する内部世界の一部でしかありえない。つまり、人の死は常に世界の終焉であり、それについて感想を覚えることもできない本当の無である。そういう意味で、人は世界そのもの、"豊饒さ"そのものであって、だからこそ尊いのだと。そういうことを書いた気がする。

だからなんだって?

最近ブログに何を書きたいのかわからなくなっていたけど、友人のブログを読んで触発されて何か載せたくなってしまい、いつか書いたメモを発見したので載せてしまいました。良かれ悪しかれ、こういうことをこんな風に考えることもいつからか自分の人生みたいなものを構成する一つになっていて、自分が何かを学びたいっていう感情もこれに関係してるところがあると思ったので。

これまで父親に言われたことの中で、最も心に残っていること。

すべての学問は自分とは何かを考えることを源泉としているし、目標にもしている。

これほど"勉強"なるものを肯定してくれる言葉はないと思います。そしてこのブログも肯定してしまおう。

親御さんともども、今後もどうぞよろしくお願いします。

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ドラマ

最近楽しみになっていたのが日本で最近までやっていたドラマ・Rookiesを見ることだった。

そもそも僕は大学時代2年間テレビ一切なしで過ごした経験もあるし、決してドラマを含めてテレビを観る方ではないので、比較してどこが良いとか言えるような材料も持っていないんだけど。とりあえず”ごくせん”を一回だけ見たときにはあまり面白いと思わなかったけど、これは面白かった。

たぶん、個人的に良かったのはいかにも少年ジャンプの直球王道のストーリーと、男子校的ノリなのかなぁ(僕は男子校出身者です)。全くの想像だけど、ビジュアルの面白さも含めて出演者の雰囲気が良くて、なんか現場楽しそうだなぁって感じがあった。川藤も予想以上のハマり役だったんじゃないかな。

なんでこんなことを書いているのかというと、僕はこの最終回を見て久しぶりに泣くほど感動したからですw。御子柴がほんとやばい。

ドラマを見たあと、見ていたのはどういう人で、見た後どういう気持ちになって一日を終えたのかなーって考えてしまった。直球勝負の学園ドラマ。主人公たちは”不良”。ましてや自分たちは不良だと言ってしまっている。夢にときめけ、明日にきらめけ。こんなドラマが訴求する力を持つのはいったいどんな人たちに対してなのか。てか、なぜ僕が持っていかれているのか。

たぶん、中学生や高校生でもとても素直な子は明日の部活にすげー気合入ったりするのかな。ものすごく素直な不良たちは、なんかやりたいこと探してみたりするかもしれない。少なくとも希望的には。

僕のような大学院の留学生とか、社会人については、それほど見ているとは思えないけど...。少なくとも僕はいったいこの感動を(このブログ以外の)何にぶつけたらいいのか。

今後の人生、もちろん9回裏ツーアウト満塁みたいな土壇場の大事な場面は何度も訪れるのだろうけど、気持ちのこもった自分のひと振りで何かが変わるっていうほど、その場面は分かりやすくはないかもしれない。もしかしたら仲間の期待を一身に背負って何かしなきゃいけない瞬間もあるかもしれないけど、仲間と目指すものはスポーツにおける勝利ほどピュアなものじゃないかもしれない。少なくとも、チアリーダーや応援団の歓声を浴びて勝負をできる日は今後ないだろうなぁw。

でも、全く月並みだけど、誰かを感動させられるようなことをやりたい、あるいは表舞台には立たなくても、自分の行いが誰かを喜ばせるってことに直接結び付かなくても、そういう動きの一部を担いたいっていうのは思う。それで、たぶんストレートな言葉を、心から発せられる大人でありたい、と。

そのために、どうしたらいいのか。素振りほど肉体的にきつくはないけど、素振りより一見高尚でめんどくさそうな何かを続けなきゃいけないかもしれない。

たぶん、僕くらいの年齢の学生や社会人にとって、大事な場面は多くの場合高校野球の一打席より長く、バッターボックスより孤独だと思う。一緒に”練習”できる仲間もそんなにいないかもしれない。それに打っても、誰も褒めてくれないかもしれない。あるいは、そんな場面はなかなか訪れない。あるいは訪れても気付かないまま過ぎ去ってしまうことだってあるかもしれない。でもきっと、この手のドラマから覚えるものは、学生時代に対するノスタルジーだけでも、スポーツとかその純粋さに対するあこがれだけでもなくて、なんか未来志向的なパワーを含んでる気がするのだ。

松坂大輔の座右の銘は、「目標が、その日その日を支配する」らしい。

こういうのたまらん。

そういえば数日前、初対面の方から、「なんとなく体育会系のノリがある」と指摘された僕。去年ボストンでも、初対面で一緒にご飯を食べた方から「体育会だった?」と聞かれた例があるんだけど。

僕、高校時代帰宅部バイト派で、大学は文学部ですw。

うーん、自分って未だによく分からん。

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Nothing special

Cimg1132_2 最近僕がもっぱら心がけているのは早寝早起きである。シラキュースにいたころは、これを心がけようと思っていたけど絶対にできなかった。でも朝の時間っていうのは何より大事。なぜって、素敵だからだ。僕はルームメイトの誰よりも早く起きて朝食の準備をしつつ、なんだか長い間味わうことのなかったような夏の朝の太陽と独特の香りを味わうのにはまっている。今日はルームメイトがまだ爆睡してるうちに、コーヒーや砂糖を買出しに行って、洗濯も朝済ませてしまい、本を読み進めたりしてかなり気持ちの良い日だった。こんなときは、その気持ちの良さをここに表明するに尽きる。

夕方は、クーラーをきかせてコーラを飲みながら、久しぶりにヘッドフォンなしで音楽を聴いた。僕は、自分のルームメイトたちが全く気を使わないので、僕も気を使う必要なんかないことをようやく悟ったのだ。そして気づいたのは、音楽はやっぱり空気を伝わせて聴くものだってこと。あと、リラックスして聴くべきだっていうこと。

i-pod全盛、ご近所からの苦情にも配慮しなきゃいけないせせこましいご時世だけど、やっぱり音楽たるもの、ときにご近所まで包み込んでしまうくらいの開放性を持って楽しむことが必要なんじゃないか。今はラップトップのお粗末なスピーカーで聞く以外に道はないけど、来月日本に一時帰国したときに、自分の部屋のステレオで聴くのがほんとに楽しみで仕方ないです。全然違うもんね。

ところで、このブログもついに記事数100件を突破しました!

これはもっとプロフェッショナルなブロガーの人たちにとってはたいしたことではないのかもしれませんが、もともと方向性を決めて始めたわけでもないし、今でも方向性が全く見えないこんなブログを続けられたことの99%は、見てくれているみなさんのおかげです。残りの1%は、僕の独白したい欲求のおかげですw。

最近、見てくれている人が増えて、僕もそれにやる気をもらっています。自分が楽しく書けるような何かを見つけられるような毎日を送りたいです。

ありがとう、そして今後もよろしくお願いします。

ということで今回もなぜか最近どはまりなBadly Drawn Boyを聞いておこう。

映像も含めて、ほんとにいいよこれ。

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リーダーシップは綱渡り

Leadership on the Line: Staying Alive Through the Dangers of Leading Book Leadership on the Line: Staying Alive Through the Dangers of Leading

著者:Ronald A. Heifetz,Marty Linsky
販売元:Harvard Business School Pr
Amazon.co.jpで詳細を確認する

秋学期の後半くらいから、ずっと読ませていただいていたいくつかのブログがある。その中で非常に楽しく読ませていただき、多くのインスピレーションと励ましをもらったいくつかのブログはHarvard Kennedy Schoolに通う日本人の方々のものだった。忙しい生活の中、丁寧に日々の知的興奮や感動を言葉にし、不特定の他者に伝えるというスタンスには非常に感銘を受けた。自分がアメリカの大学院で、公共政策にはそれなりに近い領域を勉強しているということもあるかもしれないけど、まったく違う状況、分野に身を置いている人もインスピレーションをもらえるようなすばらしいブログを書いていると思う。ここで特定はしませんが、興味がある人はぜひググってみてください。

そんなわけでKennedy Schoolってやっぱりすごく面白そうな学校だなと思ったことから、この本を手にしました。KSGで最も人気があるといわれるリーダーシップの授業で教鞭をとられているハイフェッツ教授の本。どうやらこの翻訳も出ているのかな。

さらになんで自分がこの本を手にとったのかっていうのを考えてみると、アカデミックな関心として組織や社会のダイナミクスに興味があるっていうこともそうだし、もしかしたら人生で最後になるかもしれない夏休み、仕事を始める前に自分の人生のやり方を考えるうえで材料が欲しかったっていう素直な気持ちもある。でも、もしかしたらリーダーシップという言葉自体にアレルギーを感じる人もいるかもしれない。少なくとも本で読むものじゃないんじゃないかっていう主張についてはある意味的を得ていると思う。でも、とにかくアレルギーを感じる人は、それがなぜなのかをまず考えてみるべきではないだろうか。(有名な大学の教授が語る)リーダーっていうアイデアから優越意識を感じとってそれが鼻につくとか、単純に自己啓発的なにおいに対する拒否反応を覚えるとか。あるいはイニシアチブをとろうっていう姿勢に偽善を感じるとか。自分に何かを喚起するだけのステータスや権威がないからそんなものは必要ないとか。あるいはそんな気分じゃないとか。ほかにやりたいことが山ほどあるというのはある意味もっともですがw。

多少強引ではあるけど、それがなぜなのかっていうのを考えることは、ハイフェッツ氏が語る“リーダーシップ”を考えることにもつながる。あるいは拒否反応は、広義のリーダーシップについてもしかしたらよく考えていることの証明なのかもしれない。

この本では、前半にリーダーシップをとることは常に非常に危険な行為であることが語られる。そこには本当にたくさんの落とし穴がある。リーダーシップをとろうとするかどうかにとどまらず、人は自然にcomfortable zoneにとどまろうとする。何か変化が必要であると感じても、それは”適応的な”、根本的な変化ではなくて、技術的な変化であるととらえがち。経験的にもそうだし、心理学的にもそうみたいだけど、人はたとえ何かを失うことで客観的に良い将来が得られたとしても、失うこと自体、持っている何かを手放すこと自体がほんとにこわいし、嫌なのだ。適応的な変化を促すことは、さまざまな形の抵抗にでくわすことである。事例とか細かい点は残念ながら省くけど、そういう抵抗の中で、リーダーシップをとる人は、自分の掲げるアジェンダに対する批判を自分自身に対する批判と混同したり、自分がとる役割自体に同一化してしまったりして文字どおりリーダーシップっていうロープから落ちてしまう。とりわけ重大なテーマを掲げるリーダーは「暗殺」という形の抵抗に出くわすことだってある。キング牧師がそうであったように。そこでもっとも大事なことのひとつが、変化に伴い多くの人が感じるであろう”痛み”を知ること。人々の怒りの原因をじっと見つめられること。そして多くの人が、自分の周囲の人ですらが自分に背を向けたそのときに、心を麻痺させずオープンにすること。

こう言ってしまうと社会変革のような大きなことのみがリーダーシップであるように思えるかもしれない。でもハイフェッツのリーダーシップというのは、僕が理解したところでは、特定の権威がある人のものでも、特定の資質を持った人のものでもなく、社会のどこかで他者に何かをあげようとしようとする、すべての人のためのものだ。あげようとする何かは、もちろんお金っていうわけじゃないし、何かを与えるっていうその行為自体、“慈善的な”限られた人たちによるものじゃない。

リーダーシップをとることが危険なら、なぜそれをするのか?っていう終盤の議論にその点がよく表れている。ハイフェッツ氏は、Mitch Albomの回顧録、“Tuesdays with Morrie”を引用する。

"You know what gives you satisfaction?"

"What?" responds Albom.

"Offering others what you have to give."

"You sound like a Boy Scout," Albom observes, and that starts Morris.

"I don't mean money, Mitch. I mean your time. You concern. Your storytelling. It's not so hard."

ハイフェッツ氏によれば、過去数千年、文明が複雑化する中で人に提示されたチャレンジは、自分たちのloyalityの範囲を拡大すること、つまり家族や集落や部族、(現代であれば国境まで)を超えて誠実であろうとする対象を拡大することであった。この意味において、人間の営みは、愛とつながりの実験であるという。人は人間の多様性を学び、それを受け入れ、多様性を楽しむと共に、より多くのメンバーがともに豊かな生活を送れるコミュニティを作ろうとしてきた。人にとって成功とは、周囲の人たちからの愛に報いられるもの。言い換えれば、成功とはその人が愛する人たちとのつながりを再体験すること。

この意味においては、たとえば自分で会社を作って利益を上げようみたいな一見利益追求的な行為と、ボランティアをしようみたいな慈善的行為の境界は薄いと思う。なぜなら、自分が身を置くコミュニティを、(作り)、拡大し、その中で多くの他者とともにより豊かに生きていこうとするっていう点で、ふたつの行為は同じだから。もっと日常的な事例でいったら、(小学生みたいな事例だけど、)友達関係の中で蔭口はやめようって言うことだって立派なリーダーシップだし、それが“危険”を招くことは多くの人が経験的に知っていることだと思う。往々にして「蔭口はやめよう」っていうアジェンダではなくて、それを言った個人に対して、ときにその人の資質に対して攻撃が向けられがちなことも。

自分がこれから先生きていく中で、自分を見失うような出来事はたぶんたくさんあると思う。そもそも自分がいま見えているのかも怪しいし。ハイフェッツ氏は、人間は現代の複雑さの中で生きていくようにはそもそも出来ていないから、“サンクチュアリ”-自分と自分の役割を引き離せる環境―を日常生活の中で確保しなくちゃいけないって言う。そして自分の役割と、自分自身をできるだけ混同せず、自身にアンカーしろと。あるいは今後、長期的に見たらこの本に立ち戻ることそれ自体が自分のサンクチュアリになるのかもしれない。

なによりも、この本を価値あるものにしているのは、本当に真摯な言葉選びと、そこから感じられる筆者の慈愛に満ちた人柄である。メッセージはこうだ。

We have written this book out of admiration and respect for you and your passion...

May you enjoy with a full heart the fruits of your labor.

The world needs you.

最前線のリーダーシップ Book 最前線のリーダーシップ

著者:マーティ・リンスキー,ロナルド・A・ハイフェッツ
販売元:ファーストプレス
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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On the road

僕の趣味は、音楽を聴くこと以外に、おそらくニュース記事を読むこと、特定のブログを読むことが挙げられると思う。趣味と言うにはおそらく堅すぎるものなのだろうけど、とにかくそれらは僕の価値観における「趣味」の範囲を実際に侵食している気がするのだ。

そしてこのブログを書くことも、「留学日記」のような今の位置づけを越えて、本当の意味での僕の趣味になればいいなと今は思う。このブログは何か考えを表明するための自分にとっての練習とか、もっとプラクティカルに位置付けたら何カ月か先に必ず訪れる就職活動のための自己分析のツールとかにも当たるのかもしれないけど、僕は自分の考えを表現すること、問題意識や価値観をオープンな空間に投げ入れて人の目にさらすっていう行為を自分の一部にしたいような気がする。

Culture in World Affairsのカストロ教授は、毎週のなんとも全体をつかみにくい難解なリーディングに対してレスポンスのペーパーを書くことを求めている。言い回しのぎこちなさや議論の分かりにくさに対して厳しく赤をつける彼いわく、将来Cultural differenceというものにどんな形であれ直面していくはずの僕たちはまず「Good communicator」でなければならないのだ。

なんとも抽象的な話になってきたけど、こういうことを書くのは最近、いろんな人と話をしたりすることだけじゃなくて、勉強を通じて取り入れている多くの考えや、ニュースやブログを通じて得ている情報が、僕の世界観だけじゃなくて人生観を少しずつ更新しているような気がするからである。

毎日受け入れている、あるいは発信していることがちょっとずつ自分の中のある考え方をreshapeしていく。これは、学生の身分である自分に当てはまるだけじゃなくて、現在働いている人もそうだと思う。学問の領域で、あるいは職場で、個人によって日々直面する問題は違うし、それを解決するために必要な情報も違う。そしてそういう毎日の中で蓄積していく情報は、結果的に自分の本質に食い込むようなphilosophyにもなりかねないのかもしれないって思う。

ここで僕が強調したいのは、僕だったら、「国際関係を学ぶ学生」としての自分と、「私生活の自分」。そして現在働いている人だったら「私生活の自分」、そして「職業人としての自分」という境界のあいまいさ。

こういう考え方を新鮮に感じるのは、自分がある意味知識というものは自分に「くっつけていくもの」で、ある意味で「不可侵な自分」みたいな前提を持ってきたからなのかな。

こんなことをつらつらと考えてみる春休み半ばの夜。

まだまだGood communicatorへの道は遠そうですな。この分だと。

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教養って

今日は、読めずにたまっていたメールマガジンを消化していたところ、いろいろ思うところがあった。考えたことは、「教養」について。

日経ビジネスに、ロシアについての記事があった。現在30代後半から40代のロシア人は、世界で最も優秀な人材がそろっていると言われているらしい。それは、ソビエト連邦時代の教育の遺産とのこと。資本主義特有の近視眼的な知識を要求されることなく、良質な教育者のもとで徹底して「教養」を身につけたその年代の人たちは、何をする上でも重要な思考能力が非常に高いとのこと。それと対照的に、ソビエト連邦崩壊後のロシアは、改革の流れに飛び乗ってわずかの間に大金持ちになった人たちが尊敬されるようになり、他の職業の給料の急上昇に比べて教師の賃金が停滞したため教育者の質の低下とともに、若年層の人材不足が叫ばれている。

Wikipediaには教養の意味のしめくくりに「品位と人格高めようとする心構えが重要」とある。また「価値観があまりにも多様化した現在の日本では、教養という言葉も死語になりつつあるのかもしれない」らしい。

うーむ。そこで自分のことについて。

本を通じてでも、ネットを通じてでも、僕の心にずっと残っていく言葉なり考え方なりは確かに存在する。そして僕はこの2、3年くらい何らかの知識にずっと飢えていることを自覚している気がするのだ。

だけど、果たして僕が求めている知識は、いったいいつのためのものなのか。就活のためのものなのか、友人に話すためのものなのか、(将来的に)恋人に話すためのものなのか、誰かを助けるためのものなのか、仕事で使っていくものなのか、あるいは生涯考え続けていく対象としての知識なのか。

日々身につけたい知識は本当に山ほどある。"だけど時間という制約があるから"、僕はそれなりに、その知識の時間的耐久性を考えながら、バランスを取ろうとしている。ニュースを通じて世の中の流れを知りたいし、新書を通じて新しく出てきたアイデアにも触れてみたい、また教科書みたいなものを通じて理論を体系的に学びたいし、小説を通じて自分の中の世界を増やしたい、あるいは思想や歴史書も読んでみたいって。

でもきっと、ほんとうは時間とか自分が置かれている状況なんていう概念を飛び越して学ぶ姿勢こそが、教養を求める姿勢なのではないのかなぁ。自分が生まれてくる前や、死んだあとのことも全く無意識に対象としていくような学びのあり方を。

だからこそ、学ぶ権利が保障されている若者に、大人は教養を得ることを勧めるんじゃないかと。小学生や中学生のときなんて、自分が永遠に学生であるような気でいたような気がするし。

それで何がいいたいのかというと、僕は少なくともスタンスとして教養を求めたいっていうこと。それがきっと、これまで何となく考えていた自分が学ぶ対象とスケジュールとの間に距離を置きたいっていうことなのかもしれない。

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いろんなところを夢見て

ペーパーが終わり、わずか1日半の勉強で臨んだとある資格試験も予想通りの手ごたえのなさで終了し、気が抜けた毎日に突入。最近は、夕方4時と夜10時に眠気のビッグウェーブがやってくるので、ときにはそれに身を任せて眠っていますが、どれだけ寝ても眠いのはなぜだろう。とにかく、全体的にはこれぞ休暇といった感じのゆったりした冬休みを過ごしています。

最近特に楽しいのは、テレビでニュースを見ること。朝8時からの「特ダネ」はどういうわけか日本に帰ったらもっとも見たい番組のひとつだったので、毎日朝食を食べながら、小倉さんちょっと太ったんじゃないかなぁと思いつつ、佐世保の銃乱射事件の経過をチェックしていました。

あともう一つ、夜10時からBS1でやっている「今日の世界」は僕が好きな番組のひとつです。世界のニュースを一時間半かけて特集をまじえつつさらってくれるので、どこの国のニュースだって興味があるという僕みたいな人にとってはおあつらえむきの番組です。

そういえば、今アジアは選挙の季節だね。韓国の大統領選では前ソウル市長のリ・ミョンバク氏が圧倒的支持を得て勝利し10年ぶりに保守政権が誕生した。明日開票を迎えるというタイではクーデターで政権を追われたタクシン前首相の国民の力党が多数の支持を集めているとのこと。この二つの選挙で共通している面白い点は、リーダーに汚職の疑惑があるにも関わらず格差の是正、経済発展の恩恵を求める低所得層の圧倒的な支持を集めている点(タクシン氏は党が勝利しても公職に就く意思はないようだけど)。特に韓国のドキュメンタリーでは、ソウルの街に高所得者が住む高層マンションとバラックが混在している様子が映し出されており、日本とは比にならないくらい富の分配が機能していない国なんだなぁという印象を受けた。そういえば、米国に留学している韓国人留学生たちの羽振りのよさはマジでありえない。

そうそう、昨日の「今日の世界」では、僕がなぜかここ数年あこがれている街、フランスのストラスブールのクリスマスの模様も放送された。ドイツとフランスの国境にあり、二つの国の間で何度も国籍を変えてきた街。旧市街にある世界遺産のカセドラルは、やっぱり最高に美しい。それに加えてクリスマスツリー発祥の地と呼ばれていることも判明し、僕のこの街に対する原因不明のあこがれはさらに深まったのでした。

昨年の夏、パリを訪れたときにストラスブール行きの電車を見に東駅に行ったことを思い出す。

そういえば、あのとき、若者に思いっきり絡まれて、ホテルまで早歩きしたなぁって・・・。

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ストラスブールのカセドラル(大聖堂)

この街にはできたら近い将来ぜひ一度行ってみたい。

たとえそれまでに何度絡まれようとも。

Kraftwerk "Tour de France"

http://www.youtube.com/watch?v=sQz-CZvkY8k

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フィーリングー

火曜日の夕方。自習室で勉強しようとしたのだが、どうにも気が進まない。そこで、とりあえず場所を変えようと思い、そそくさと大学院の校舎の入り口へ向かっていると夏の語学学校でライティングを教えてくれていた先生を発見。彼は、同じMaxwell SchoolのPolitical Science博士課程後期にいる人なのだが、なかなか遭遇する機会がなかったので、ここぞとばかりに遠くから声をかけてみた。すると

「これから一杯ひっかけにいかないか?俺がおごるよ。」

というありがたいお誘いをいただいたので快諾。学校の近くでは一番イケてると思われるバー、「フェーガンズ」にて夕方4時からビールを飲むことに。Midtermも終わったことだしと自分に言い聞かせつつ、ひさしぶりにさわやかに晴れ渡った明るい空の元、地元シラキュース産だというビールを飲む。

彼は夏の学校の先生の中でも、一番気楽なノリがあって人気があった先生。ニューハンプシャー出身で、いかにも東部的なクリアな英語を話す。ライティングの授業では、僕がシラキュース到着前に行ったNYCについて書いたエッセイを「ミスや英語の文章としての完成度の問題はあるけど、とてもいい雰囲気がある」とほめてくれた。語学学校の卒業式の日には、彼の家に多くの生徒が集まって最後のバーベキューパーティを深夜までやった。でも、これまで一対一でゆっくり話をすることはなかったのだ。

これまで知らなかったけど、見た目の若さに反して、彼はすでに38歳で、これまでカリフォルニアでいろんな仕事を転々としてきたらしい。一番長く続いたのは、電気技師だったとか。なんでPolitical ScienceのPhDをとることにしたの?って聞いたら、

「大学を出てから十数年間いろんな仕事を転々としてきたけど、社会自体について、労働者としての自分について、考え続けることをやめられなかったからだ」

みたいなことを言っていた。彼の話を全部わかったわけではないけど、そういうフィーリングは僕が漠然と抱いていた予感みたいなものと似ている部分があったので、すごく共感。僕はどこに行っても、こういう考え方をする人に素直に親近感を感じてしまう傾向があるのだ。

そのままついつい調子に乗って、秋らしいさわやかな空のもと2杯、3杯、4杯・・・。ホテルニューハンプシャーの話をしたり、バーで流れていたThe Whoについての話から発展して、彼がPaul Wellerの熱烈なファンだということが判明して盛り上がったり、ひさびさに酔っぱらうまで飲んで、なつかしいフィーリングを思い出した貴重な時間でした。

そんな彼の名言。

「僕にとっては何より自分の魂が健康であることが大事なんだ」

うーん、しかと胸に刻んでおこう。

The Style Council "My Ever Changing Moods"

http://www.youtube.com/watch?v=fqWL2VGypZs

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