1月18日。まだ薄暗い8時頃目覚めると、ものすごい頭痛。昨日ちょっとだけビールを飲んだのがまずかったのかもしれない。はっきり言ってそのままでは歩けそうにもないくらいの悪寒と頭痛だったし、顔色は寝台でできたらしいにきびと併せて最悪だったんだけど、実のところ僕には時間がなかった。20日に北京から東京へ飛ぶ便がfixで予約してあったため、丸一日ラサを回れるのはこの日だけという強行日程だったからである。持参していた風邪薬とバファリンを飲み、気合で朝食に繰り出すことに。
※ラサは約3650m。富士山よりちょっとだけ低いくらいの標高です。富士山の頂上で一日中歩き回ったりお酒を飲んだりすることを考えてくださいw。何かの間違いで走ったりなんかしたら多分病院行きです。当り前のことですが、高山病の対策としては、ちゃんと高山病用の薬を持っていった方が良いです。特に若い男性は重くなりやすいそう。それに飲酒、喫煙は確実に事態を悪くします。高山病対策としてはなるべく大量の水を飲むことです。僕は小学校のころから3000m級の山登りにそれなりに行かされていたため知識はあったはずなのですが、逆に根拠のない自信もあり、チベット出発前と滞在中は対策を思い出すことも全くありませんでした。高いところはほんとに見くびらない方が良いみたいですw。
朝9時のジョカン前はわりと静かである。この時期は観光客が圧倒的に少なく、巡礼者が大部分を占めるし、なんせチベットの朝は遅い。一方で、実際のところ高地のわりにラサの気温は低くない。北京から来た僕らにとっては、まるで春のような陽気である。(日中はだいたい10℃ちょっと。夜は-7,8℃まで下がることもあるらしいが、実際滞在中はそこまで下がっていないと思う。)朝食は、地球の歩き方にも載っているネパール料理、西欧料理のレストランで80年代ディスコミュージックを思わせる独特のチベットポップスを聴きながら、トーストと卵をいただいて20元。そして多分チベットファンの父親のために、ポストカードを購入。この時点で、バファリンのおかげか頭痛はかなり軽くなった。
午前10時、ビャンバと合流してポタラ宮へ。
1959年のチベット”解放”、そしてダライラマとチベット政府亡命以来、主なき宮殿であり、そして1994年から世界遺産登録されているラサのシンボル的な観光地。low seasonである冬はお客さんの半分以上が巡礼者で、数もそれほど多くないので1時間の時間制限もないし、前日に予約を入れる必要もないそうだ。きついのは紅宮に入るまでの350段の階段。ゆっくり進まないと、また頭痛が。こんなところで修業なさっている僧侶はやはりすごいと感心。
僕がポタラ宮で最も気になったのは、歴代ダライラマの棺と、マンダラであった。チベットでとれるという金やトルコ石などがふんだんに使われた棺は、超豪華で、まさにダライ・ラマの権力を象徴しているかのよう。それ以上に気になったマンダラは
、チベット仏教の世界観の象徴。円形になった涅槃(nirvana)の淵にある地獄。そこには動物や人間がいる。仏教の世界観では、僕らは”世界”のはじっこの地獄で生きているのだ。こういうmicrocosmってなぜか昔から好き。それに、昔の人が”地獄で、ほんとうの世界のはじっこで生きている”っていう風に考え出した経緯って本当に興味深いと思う。宗教についても今後少しずつ知識を深めたいな。各部屋では、巡礼者がロウソクに油を注ぎ、貧しそうな身なりにもかかわらず毎回お賽銭をはたいていた。僕もダライラマの帰還を願って、なぜか持っていた1USドル札を投入。
ポタラ宮観光が終わると、
近くのバザールを少しぶらついた後、ビャンバと別れ、昼食へ。ここも、地球の歩き方に載っていて英語のメニューがあるところ。店員もちょっと英語をしゃべるけど、時期が時期とあって客は自分たち以外全員地元の方。食べたのは、ヤク肉が入ったチャーハンと、バター茶、そしてヤク肉の餃子。チャーハンは文句なくおいしく食べられる。バター茶と餃子はわりと臭みがあったけど、僕は少なくともそのときにはおいしく平らげた。(あとで少し気持ち悪くなった。)これらを食べたあとで、さらに体調が回復。
やっぱり土地に適応するには土地のものを食べるに限ります。
午後は完全自由行動だったので、ひとまずゲルグ派の大僧院である、セラゴンパに行くことに。ジョカン付近から、タクシーでだいたい20元弱。
セラゴンパは、白い建物が青い空に映える美しいお寺だった。
入場料は学割で25元。ガイドブックによると、ここでは午後問答修業が行われているということだったが、僕らはそれを見ることができなかった。週末だからかなーと思っていたんだけど、後でわかったことによれば、去年3月の暴動以降、ラサ全体で僧侶の数が激減したとのこと。多くのものは故郷へ帰って行った、あるいは中央政府によって帰らされたのだ。今ではセラゴンパの僧の数が少なすぎるため、平日でも以前のような問答修業を見ることはできないらしい。暴動の爪痕がここにも。
そのあと、僕らはさらにタクシーに乗り、ダライラマの夏の離宮であるノルブリンカへ行った。セラとは違ってここは学割もきかず60元もとられた。 入場料のわりに、僕らが回った広大な敷地の一部には少なくとも、手入れが行き届いているとはまったくいえず、橋がくさって朽ち果てていたり池にはたくさんのごみが捨てられていた。ここも世界遺産の一部になっているいるけど、僕が見た範囲内では正直おすすめできない。セラの方がずっと良い。僕らはここでアヒルが氷の上からこけて池の中に落ちるのを見たり、アメリカでのクラスメートの近況について話したりした。気づくと、時計はすでに夕方の5時。一度ホテルに戻って休憩をとることに。
少し休んだあと、またもやジョカン周囲のバザールを散策。日曜の夕方ということもあってか、バザールは大盛況。アルベルトは道端で売っていたお茶を買い、僕はトルコ石(たぶん偽物)が鞘に使用されている不思議な形のナイフに魅せられていたけど、多分飛行機に持ち込めないだろうという冷静な判断をして買わなかった。どこをどんな風に歩いたのか全然覚えてないけど、僕らはそのあと、ムスリムがたくさん住んでいる一帯へ行き着いた。
チベット仏教の聖地であるラサにもムスリムがいるのだ。そこにはモスクがあり、その前を屠殺したばかりと言った雰囲気のヤクの肉の巨大な塊と骨がトラックで運ばれていった。何とも異様な光景である。
僕らはその後、北京東路沿いにある、かなり洒落たカフェ・レストランにて夕食をとった。僕はナシゴレンを、アルベルトはヤクのハンバーガーを食べた。店内にはチベット滞在中らしい欧米人が数人いた。4,5人だけだったけど、この時期のラサ市内でこれだけの欧米人を見るのは珍しいからたまり場みたいになっているところだと思う。僕らが訪れた範囲では、とにかく欧米人を見ることが少なかったのだ。おそらく暴動以降、外国人旅行客のチベット訪問の条件が厳しくなって、代理店とガイドを立てなくてはいけなくなったことがバックパッカーを遠ざけているのではないかと僕は推測した。
夕食後ホテルでシャワーを浴び、僕らは適当に中国のテレビ番組を見ながら寝るまでの時間を過ごした。トレンディドラマの中国語が分からなかったので、アルベルトが適当に英語でセリフをつけた。恋愛ドラマのはずがレストランでの食中毒問題にまで(アルベルトの中で)発展し、あまりのめちゃくちゃな展開に爆笑。そして夜11時くらいに就寝。高地での観光って本当に体力使います。寝る時にはまた頭痛と悪寒が少しずつ戻ってきていた。
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