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2008年11月

遠くまで

最近、日経ビジネスに宗教人類学者の植島啓司さんの記事が二回ほど載った。

「何も選ばない生き方のすすめ」

「偶然のチカラを味方につける」

僕は旅人でもないし、ギャンブラーでもなければ、特定の宗教も今のところ信じていないし、将来的にはそりゃあ保険にも入るだろうけど、植島氏が語っていることの全体的な印象は、なんだか妙にしっくりきた。

宗教と科学は何が違うかといえば、反復可能性、実証可能性の問題に尽きます。科学では同じことが2度起こらないと証明になりません。しかし、宗教的なことがらは1回しか起こらない。仏陀の悟りもイエスの生涯も1度きりです。宗教はずっと“1回性”を問題にしている。だから宗教と科学は永遠に交わらない。

 なぜあのときにその人と出会ったのか。そんな出来事がなぜその場所で起きたのか。そうした問いに対して、科学は可能な範囲で説明できるだけで、本当のことは何もわからない。科学や理性は現実に対しつねに周回遅れのランナーなのです。

 どうせ1回しか生きられない人生なんですから、先頭を走るランナーにならなければおもしろくないでしょう? 誰だって100年も生きることはできないんですから。

僕はこの一年余り、それなりに忙しい生活するなかで、「何をすべきか」っていうことを、それを実際に実行できるできないを問わず、それなりに合理的に考えることに慣れてきた。

でも一方で、自分の人生観に関してはおそろしく場当たりな面がある。別に達観とか諦観とかじゃなく、僕はたとえば最初の職場やポジションにしろ「自分に与えられたものをとろう」っていう妙な覚悟がずっとあるし、ある意味流されて生きていくイメージが自分の中にしっかりと根付いている。

だからこそ、これまでの自分の経歴はレジュメのフォーマットに落とし込んだりするには全く不向きなつぎはぎだらけのものになったのかもしれないけど。でも一方で、自分の人生でほんとの後悔みたいなものはないって言いきれる。なぜなら、僕はそのときそのときに自分にいろんな行動を起こさせた”ただ一回のフィーリング”を、たぶんやりすぎなくらいにリスペクトしてきたから。

最近僕は「人生は一回きり」みたいな陳腐な表現にとても惹かれているんだけど、だからこそ精一杯がんばろうとかそういうことを意識しているわけでもない気がする。1回だけっていうのは、どちらかというと僕には気楽にひびく。それなら、どこまでも流されて自分が予想しなかった、設計の枠外の遠くまで行ってみたいって。少なくとも自分にとって、どこかに行きつくために一番大事なのは、意識的に何かを追い続けることより、偶然を、それによって自分に与えられたものを受け入れ続けることのような気がしている。

でも、老後のラフな設計だけはある。それは実際に歌うかどうかは別として、こんな歌を本気で歌えるおじいさんになること。正直これ見て何度も一人で泣いていましたw。

他界する3年前のベストアクトです。

Arthur Lee & Love

"Old Man"

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男/女

奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋は悲しき
猿丸大夫 (百人一首)

和歌の世界では、鹿の哀しい声は「妻問いの声」とされているとのこと。平安時代の男性方は、秋に鹿の鳴く声に女性に対する思いや独り身のさびしさを重ねたのだとか。

この和歌によって僕は個人的な思いのたけを表そうとしているわけではきっとない。あるレクチャーを聞いて、ふとこの歌を思い出したのだ。

きのうはHarvard Kennedy Schoolの教授で、清華大学公共管理学院の客員教授でもあるTony Saich教授の講演に参加した。包括的で深い洞察が面白かったこの講義でもっとも気になったのは、中国社会の潜在的リスクとされる大きな問題の一つとして、「男女比の不均衡」を指摘していた点。これは実のところけっこうよく言われていることなんだけど、Harvardの先生が"wife sharing"とかそういう言葉を発すると、とたんにセンセーショナルに聞こえるのは僕の耳だけではないだろう。

「男が多すぎ!」男女比、世界1偏った国に―中国

現在、中国の男性は女性より3700万人多く、なかでも0歳から15歳までは男子の方が女子より1700万人多いことが判明。「1人っ子」なら男の子を生 みたいという夫婦は都会よりも農村部で多く、産婦人科で妊娠中の胎児の性別を診てもらい、女とわかったら人工中絶を受けるケースが後を絶たない。

上記が中国で実際に起こっている状況。じゃあなぜこの男女比のアンバランスが起きたのか。

政治的な要因として、80年代、90年代の一人っ子政策の厳格な実施が主要因として挙げられる。それに加えて重要なのが社会保障制度の不備。Saich教授は中国の社会保障制度について、自主独立を強調した毛沢東時代の遺産を受け継いでおり、さらに現在はコミューンではなく、家族単位での自主独立を促す疑似儒教の推進によって特徴づけられると言った。これはつまり、改革開放の過程で福祉制度が収縮する中で、家族全員で助け合って生活をしていくことが政治的に美化され、国家へ生活の援助を求めることが不徳であるとされたっていうこと。家族だけでなんとか生活を行っていくためには、そして子供が一人しかもてないなら、一般的により稼ぎの大きい仕事を得ることができ、嫁いでいくこともない男子をもうけた方が得。男性が女性より3700万人も多いっていう状況は、個人が既存の制度のもとで、経済的合理性に基づいた判断を積み重ねていった結果なのだ。

でも、明らかに不自然なこの状況は社会的不安を招く可能性がある。より具体的に、Saich教授はスワッピングなどの横行、地下風俗産業の拡大などモラル面での破たんと地下産業の発展による治安の悪化を挙げていた。

潜在的なリスクはそれに留まらない。MITのDuflo教授のこの記事はそれを考える上でとっても面白い。

Esther Duflo "Too many boys…"

記事によれば、アメリカ西部開拓時代の"frontier town" mentality(当然のごとく開拓の前線において女性は少なかった)が暴力へ向かう傾向があったように、同世代の女性を欠いた中国の一人っ子世代において犯罪件数の上昇が見て取れるという。ベトナムの退役軍人に対する長期調査で、攻撃性・暴力性を喚起する男性ホルモン・テストステロンの分泌が結婚すると下がり、離婚すると上がるという結果が出たっていうのも面白い。

実際、中国においては歴史的に一定の年齢以上で未婚の男性は蔑まれる文化があり、妻を得ることができない、(つまりおそらくはもともと社会的地位がそれほど高くない)男性たちに対する社会的プレッシャーが大きく、ならず者的な行動に向かわせる圧力が強いのではないかという懸念もある。ちなみに、4万人を動員し、中国近代史に残る大きな反乱となった1851年の捻軍起義(Nien Rebellion)は、当地における男女比のアンバランスが潜在的な要因だったっていうのは、春学期のKutcher教授の授業で学んだこと。

(この論文に詳細あり。A Surplus of Men, A Deficit of Peace: Security and Sex Ratios in Asia's Largest States  )

以前日経ビジネスで、結婚すると男性は一般的に仕事の効率が上がるとかいう記事があった気がするけど、それもまんざらじゃないのかもしれない。たぶん平安時代の鹿だってパートナーが見つからないときに鳴くだけじゃなくて、角とかぶつけたりしてたんじゃないかなw。

これについてはまたあとで詳しく書くけど、The Bottom BillionのPaul Collierは、最貧国に生きる人たちに最も必要なものは、未来は必ず良くなるという「希望」だと何度も強調している。 未来に対する絶望は人々を紛争に陥れてしまうのだと。ちょっと強引だけど、自分は生涯異性を手に入れることができないっていう絶望も、未来への不信を形作ることには違いない。想像するにもしきれない貧困より、男女のマッチングの問題で考えてみると社会の発展と破壊のメカニズムってよりリアルに感じられます。

実際のところ、個人的な安定への道は全く見えていないけどw。

それはきっと、たぶん、もうちょっと先の話ということで。

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情報の渦の中のここ

最近ブログの更新が滞っています。というのも、偶然の再会があってそれに夢中になっていたり、それに醒めるとタイミング良く日本から北京まで大学時代の友達が遊びに来てくれたり、中国語勉強熱がうまく再燃して空き時間に集中して単語を覚えようとしていたりと、ここに書いてきたような国際関係や政治経済の文脈とはかけ離れたところに自分の関心がさらわれていたからです。これだけ僕のthinkingとしての勉強の内容から心が離れたのはいったいどれだけ久しぶりのことなのかすでに思い出せないくらいですが、少しずつ元の軌道に戻していかなきゃいけないという思いに駆られている月曜日の夜です。

実際のところ10月に僕のラップトップがクラッシュしてすべてのデータが失われて以降、勝手にメールが送られてくるNYTimes以外のリソースをあまりチェックできていませんでした。今年の5月まで過ごしたシラキュースでは、朝飯を作るときから夜体操をするときまでずっと時間を見つけてはpodcastでニュースに浸り続けていたことを考えると、かなりの怠慢です。もちろん、シラキュース時代と違って現在は語学の勉強の関係で一日の拘束時間が長いっていう言い訳はあるんだけど...。

でも、国際関係っていうgeneralisticな領域を学ぶものとして、あるいはあとわずかで社会に出て国際ビジネスあるいは開発の領域に関わっていくものとして、日々の情勢を追っていくことは暗黙のアサインメントであり、”趣味”以上に日常に食い込んだものでなくちゃいけないという考えに至りました。ここでもう一度心のふんどしを締めなおさなくちゃいけないなと。

そこで、日常生活の中でできるだけ、今日から社会人になった後もチェックしていきたいリソースを整理しようと、放置していたi-tunesのpodcastやブラウザのブックマークを整理したりしていました。せっかくなので、その中で特に面白そうなもの、便利なものを紹介しておきます。ここに挙げるリソースは(残念ながら)今回はぜんぶ英語です。

1. Foreign Policy Magazine - Morning Brief (E-mail ニュースレター)
http://blog.foreignpolicy.com/Morning_Brief
1日の主要な世界のニュースを基本的にワンセンテンスでまとめたニュースサマリー。時間がないときでもさらっと眺められる優れもの。僕はE-mailでこれが届くようにしており、実際これまでの当ブログのニュースに関する記事も、このMorning Briefにかなり依存してきました。それぞれのニュースにはリンクが貼ってあって、元記事に飛んで深く読むこともできるし、これだけは最低限毎日確認していきたいと思っている一番基本的な情報源です。しかも、ユーモアを欠いていないところがとっても重要。たとえば本日のAsia欄で気になったのは、コレ。

The title of the new Guns & Roses album, Chinese Democracy, is causing problems for Chinese fans of the band.

Citiのベイルアウトっていう一大事件の陰にこういうネタがあると、とてもほほえましく思えます。こういうのがあると、ブログの更新頻度も上がりますわ。

2. Bloomberg on the Economy with Tom Keene (Podcast)
http://www.bloomberg.com/tvradio/podcast/ontheeconomy.html

マクスウェルでmacroeconomicsを教えていただいたブラウン教授いわく、最も面白い経済ニュースpodcast。毎回、著名な学者や、金融機関のアナリスト、政治家を招いてアメリカを中心とした世界情勢についてディープな洞察が展開される。実際僕はマクロ経済については基本的なことしか学んでいないし、金融についても素人同然なのでマネーの回には言ってることがよく分からないことが多々あるけど、総じてほんとに面白いです。話題書については著者を招いてのレビューもあるし、季節的な話題も取り扱ってるくるところがツボ。例えば、アメリカ独立記念日前には、NYCのMacy'sやDCのモールで打ち上げられる大量の花火がどこからどういうプロセスを通じてやってくるのかっていう話が取り上げられてたのをよく覚えています。答えは中国沿岸部に点在する小さな花火工場からでした。

3. China Daily (ニュースペーパーweb版)

http://www.chinadaily.com.cn/
中国に留学して中国の勉強をしているにも関わらず、ご当地の時事問題にあまり触れてこなかった理由の一つは、ここのウェブサイトの表示速度が圧倒的に遅くて、チェックするのが大変だからですw。でも、シラキュース大清華大留学プログラム担当のTong教授も、公共管理学院の高名なHu Angang教授も中国のことについて学びたければ最低ここのニュースだけはチェックしろと口を酸っぱくしていますので、なるべくチェックしていきたいです。
一方で、ここのニュースに依存しなきゃならないのは、自分が中国語をまだ満足に読めないからってことも大いにあると思う。中国では、ウェブで政府の影響が最小限に抑えられた草の根の議論が展開されてるっていうのは周知の事実だし、中国語が読めるようになったらいろんなブログも発見していきたいです。

4. RGE Monitor (ニュース分析サイト)
http://www.rgemonitor.com/index.php
金融危機の勃発によって、世界中からひっぱりだこになっているという危機予言者の一人、NYU Stern School教授のNouriel Roubiniがチェアを務める経済ニュースの分析サイト。Economistによって経済関係のウェブサイトで1位にランクされたらしい。特に金融に詳しい方には本当に読み応えがあると思われるRoubiniのブログが掲載されています。それだけじゃなくて、最新の経済ニュースについての専門家の様々なオピニオンをソースのリンクつきで簡潔にリストアップしているのがすごい。危機のさなか、金融機関やコンサル就職を目指している友人が日々必ずチェックしているウェブサイトということで勧めてもらいました。Roubiniの記事が気合いが入りすぎていて分からないところいっぱいでも、彼があまりに悲観的なせいで将来が心配になっても、その友人と違ってEconomicsのマスター取得予定もなければ将来金融機関とかで働くつもりは別になかったとしても、がんばってできるだけ読んでいきたいという気持ちでいます。

ひとまず、このへんかな。
個人的には一番読みやすいNY Timesに偏りがちだけど、日本のものも含めて各種のメジャーなニュースペーパーもできる限りチェックしていきたいです。あと面白いブログとかpodcast等あったら日本語、英語問わず教えてください!

そんなわけで、また毎日少しだけ情報の渦に自分をうずめていくことにします。

ひとまず、今日のところはおやすみなさいzzz。

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語学の道

季節はめぐり、今週はすでに中国語の各講座の中間テスト。それに加えて水曜日は中国の都市化についてのプレゼン、今日はHu Angang教授の授業のグループワークの一環として、中国の労働市場の分裂についてのペーパーの提出、さらには同日午後にColumbia大から社会政策の権威であるWilliam H. Simon教授がCui教授の授業のゲストスピーカーとして来たりなんなりで、あわただしいことこの上ありませんでした。正直、この学期の授業を一つでもとりこぼしたら卒業時期が延びてしまう自分にとって、単位がつかない中国語の中間テストの勉強のために一点とか二点を多く取るために勉強する余裕はないわけで。

それでも一番プレッシャーと今後の実用性を今感じているのは中国語学習だったりする。特に中国に来てからよくmultilingualの人に出会っていて、彼らが使用可能言語を指折り数えているのと対面すると、やっぱり”国際人”になるための道はまだまだ長く険しいって思うと同時に、日本人だって、23歳で初めて海外に住んだ自分にだって、やってやれないことはないのではないかという気になる。ボストンでは、英語、フランス語、中国語を流ちょうに話す日本人にお会いしたし、中国語班には英語、中国語、韓国語をハイレベルに話す日本人の人もいる。当り前のように5ヶ国語くらいしゃべってくるヨーロッパ知識階級のようにはいかないかもしれないけど、それでも、母国語以外でコミュニケーションをとることの面白さを一度知ったなら、あとはどれだけ語学学習の時間がとれるかっていう問題だけでしかないように思う。僕のほとんど進歩していないかのように思われる中国語も、要は時間の問題だ。そうに違いない。

それに今日は英語圏に留学もしたことないのにほとんどパーフェクトな英語をしゃべる中国人学生とご飯を食べて非常にインスパイアされた。彼の専攻はフランス語で、そっちも完璧。なぜフランス語を専攻したの?って聞いたら、「英語は中学生のときから学校で7年も勉強して普通に使えるようになっていたから、大学では他の言語をやってみたかっただけ」との回答。北京で会ったロシア人たちもそういうノリで普通に英語をしゃべってた。ドイツとか北ヨーロッパ諸国の人たちもまさにそういう感じだろう。最近、いろんな国籍の人に日本に旅行した話を聞かされたけど、彼らの話で心に残ったのは日本って観光地としてかなり評判良いっていうことと同時に、教育水準が一般的に高いと言われている日本人が一切英語をしゃべれないことに驚いたという評価。既存の英語教育は、日本人全員にどれだけ無駄な力を投じさせているのだろうかとしみじみ感じます。

ということで、multilingualへの妄想を徹底的に膨らませた後は、こつこつと中国語の基礎単語を復習しつつ明日のテストに備えます。語学習得への道って、実際のところ自分が喋れている様をどれだけリアルに妄想できるかっていうところで決まるのではないかとつくづく思う最近です。晩安!

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Yes, we can

このブログでもさんざん話題にさせていただいてきた米大統領選挙が終幕。結果、バラク・オバマ氏が圧勝で第44代アメリカ大統領になることが決定!!

きのうは勝利演説の行われたシカゴや、アメリカ国内だけでなく世界中が歓喜に包まれた日になったことは間違いない。父親の出身地であるケニアは、翌日を国民の休日にしちゃったほどの熱狂らしい。こちら中国の清華大学公共管理学院においても、なぜかアメリカ国籍をもたない方々が昨夜大規模に祝杯をあげたらしく、今日は個人的な休日を設けてしまった生徒たちの空席が目につきましたw。このあたり、僕は大統領選を身近なものとして本気で語り、精神的アタッチメントを寄せてきた国際関係、公共政策プログラムの学生たちの愛嬌がよくあらわれていると思いますw。

新聞だけじゃなく、各種雑誌やいろんなブログに目を通されている方々は、オバマ政権の当面の課題や、まさにアメリカ大統領選の歴史にはっきりと刻まれるであろう2年間の長き戦いの経過について様々な分析を今後しばらくの間目にすることになると思います。僕もその辺は今後きっちり追っていきたいです。ということで今回は、気になったところをちょっとだけ。

いまさらとりあげるのも気がひけますが、やっぱりオバマ氏の勝利を形作ったと思われる経歴について。ケニア人の父とアメリカ人の母を持ち、ハワイで生まれ育ったこと、インドネシアで初等教育を受けたことなどなどいろいろ話題性はあるんですが、僕が注目したいのは職歴。彼が「民衆の感覚が分からないエリート」というレッテルをマケイン陣営から張られてきたことを思い出すと不思議な気分になる。

コロンビア大卒(政治学、国際関係学)→
コンサルティング会社等で短期間勤務→
高給を捨て、シカゴの南側にある全米有数の犯罪地区となっている黒人居住区を救うためにソーシャルワーカーに転身→
4年後、地域の貧困を撲滅することは叶わず、社会に根本的な、大きな変化を起こすためにハーバード・ロースクールへ入学、JD取得→
連邦裁判所での要職の誘いを断り、変革を起こすため再びシカゴへ。シカゴ大教授として教鞭をとる傍ら、弁護士事務所に勤務。貧困撲滅の草の根活動に従事し、弁護士として頭角を現す。
→政界へ

出身大学などの名前だけで見る限り、確かにエリート色はないとは言い切れないけれど、彼が歩んできた道はアメリカにおける一般的なエリートの図からも程遠いのではないかと思う。彼の職歴に見られるのは、一貫した貧困問題に対する問題意識、ローカル性と現場主義。低中所得層を優遇する税制や皆保険の公約は、こういう確固とした経験的基盤を持ってるんだね。いまさら僕が指摘するまでもないけど。

強引に日本に当てはめるとしたら、早稲田大学政治学部を卒業したあと、東北・仙台あたりの貧困対策をしているNPOで働いて、その後東京大学ロースクールを経て弁護士試験に合格。また仙台に戻って東北大学で講師として働きながら、弁護士として地域の貧困問題に積極的に取り組みつつ、衆議院選挙に出馬、当選、その後首相へ...みたいな流れになるのかなw。元NPO職員とか、アカデミアとして首相に上り詰めるキャリアパスなんて日本では想像もつかないだろうな。人種格差とか、ゲットーとかが社会問題として歴然と存在してきたアメリカの社会的背景とか政治制度の大きな違いを無視してるけど。

でも、日本において首相になった、あるいはなれる可能性があるような有力政治家たちって、経歴が一般人にとって一切リアルではないと思いませんか。ウィキペディアで何人か見てみるとほんとに実感できるけど、そもそも多くが世襲政治家だし、生まれたときから政治家への道がレールとしてしっかり敷かれているようで、なんだか政界を志す生々しい原体験とか問題意識みたいなものが一切見えてこないです。たとえば麻生さん、射撃家ってなんですか。このへんも終身雇用的、硬直的な日本の人生観の端っこを象徴しているものなのかもしれません。

記録的な投票率の高さ、インターネットを通じてお金を持たない若者や低所得者たちから少しずつ集まって過去最高額となったオバマ陣営の活動資金...オバマ氏の勝利が、この大統領選がもたらしたものは、何より多くのアメリカ人に自らリーダーを選ぶことを促し、実際に選ばせたことだと思う。この大統領選がいかにアメリカ人たちにとって重大だったか、そして身近であったかを考えると、僕はYes, we canっていう言葉にあまりに素直に鳥肌を立ててしまう。自分たちは、自らそう望めば、変わることができる。社会を自らが望む方向に変えていくことができる。こんな感覚を日本に生きるどれほどの人が今持っているんだろうか。この言葉をリアルに受け止められる人がどれだけいるんだろうか。

国をマクロに、そして擬人的に見るならば、今ほどアメリカが弱っている時期はないと思う。アメリカの民主主義はイラク問題で国際社会における権威を失墜し、世界最強と言われた金融機関が破綻と救済の波にのまれて、黄金時代の象徴であるGMは合併に動き、市場原理重視の自由主義経済は懐疑の目で見られている。だけど、大統領選はある側面でアメリカの本当の強さをあらわにしたと思う。人々の反省と意志によって推進されていく、あくなき変革。歴史的な逆風の中で、この国の唯一至高の価値である民主主義が息を吹き返しはじめているのだと信じたい。

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長い夜

ボストンキャリアフォーラムに参加するため5日間の旅行を終えてまた北京に戻ってきた。就職活動それ自体についても、1年後のイメージについても、あるいは大部分を社会人として過ごしていく今後の人生についても多くを考えさせられた時間だった。そういう意味で、強行日程ゆえのdisadvantageはあったとはいえ、やっぱり実りの多いものだったことには間違いありません。

ボストンでは時差ボケに対処できずに非常に苦しんだけど、北京に帰ってきたらまた同様の状態に陥って、今朝は深夜0時からいろんな本に手を出しつつ少し読むたびに寝ることを試みて、それでも寝れず、朝5時にこのブログを書くことに至っている。日本に一時帰国してからシラキュースに戻った冬も同様だったけど、僕はどうやら時差にうまく対処できる人ではないようだ。こんな僕に、「海外で、いろんな地域や文化に触れられる仕事」が合っているのかどうかは定かではない。

しかし、ほんとに自分のやり場に困ってしまうような夜なんてほんとに久しぶり。不安や興奮で眠れない夜はあったはずだけど、それにしてもこんなに長く感じる夜はここ2年くらいなかった。むしろ、いつもちゃんと寝るには短すぎると思ってたw。でもそんな夜を過ごす間にこそ、普段は思い至らないようなことまで考えを及ばせている気がする。ボストンでは、そんな夜を使って持参していた小説を久しぶりにどっぷり読んだ。遠藤周作の「深い河」。

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僕はインドには行ったことがないし、それに匹敵するような貧しい地域にも実際に身をおいたことがない気がするんだけど。でも、これを読んで思ったのは、自分がやりたいのはたぶんこの小説に出てくるベナレスのような、あるいはヒンドゥーの世界みたいに、生の人間の在り方を鮮やかに感じられるような場所に自分の身をさらしておきたいってことのような気がした。だからこそ正直な気持ちとして、自分は日本でもアメリカでもなく、途上国で働いてみたいって思ってきたし、企業選びもはっきり言って途上国で働けるチャンスが多いかどうかってところがキーだったのだと思う。もちろん先進国に身をおいたら、生の人間を感じられないかといったらそんなことはないんだけど。

それに自分のこの考えにももう一つの軸がある。っていうのは、私的利益の追求を前提としない公的部門や非営利セクターより、ある意味欲と欲のぶつかり合いみたいな場に塗れることができる民間企業で働くことに惹かれてたってこと。その中で自分がこれまで考えてきた世界とか社会とかそういうめんどくさいことを引きずりながら、どうやって立ち回っていけるのか見てみたかった。

このへんをシンプルに考えてみると、主体であるとともに対象である自分と、集団としての他の人たちみたいなある意味グロテスクな僕の世界観があらわになってくるんだけど。結局、僕の興味関心の一つの軸ってずっとそこにあったような気がする。大学で社会学を選んだことも、社会で起こっていることを見るのがすごく好きなことも、おそらくこうやってブログを書くことが好きなことさえ。

話が孤独な朝方的になってきたけどw、それにしても小説ってやっぱりすごいです。1年あまり、ほんとに課題として割り当てられてきたものしか読んでこなかったし、政治や経済書、それに学術論文にまみれてきた自分としては、全く違った次元でものを考える大きな刺激になります。やっぱり小説を読んでくことは今後も外せないっす。

ということで、こちらはもう6時になってしまったけどもう30分くらい寝ることにトライしてみたいと思います。大統領選の経過をさっきから何度もチェックしようとしてるんだけど、まだ今しばらくは大勢も決まらないみたいだし。結果はあと数時間後か。

ゴー、オバマ、ゴー!

それでは、おやすみなさいw。

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