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生きてるうちに頭をつかえ

タイトルは、小学校にも上がらないころに近所の年上の子に僕が言われた言葉らしい。名言として、うちの家庭ではもてはやされています。

小学校時代の記憶っていうのは恐ろしいくらいに薄い。保育園のころの記憶なんてほとんどないといっても過言ではないし、今となっては小学校4年生くらいまで結構怪しい。それでも強烈に印象に残っているのは、たぶん今の感覚で言ったら鬱って呼んでもいい小学校5年生の1か月くらい。当時スイミングスクールに通っていた僕は、泳いでいるときですらその考えから抜け出せず、帰ってドラゴンボールを見ても抜け出せず、親戚のおじさんからもらった特製のソースをかけて食べる高級ゼリーですら味を感じなかったことまで記憶している。その当時の自分を圧倒的に支配していたのは、死ぬのがこわすぎる、でもいつか死ぬっていう認識。

どんなに楽しくても、ほんとに退屈だったり辛かったりしても、自分は毎晩それを感じることができて感想を持つことができる。それがどんなに受け入れがたい感想でも。そして今こうやって考えているように、どんな毎日でも、自分は何かを感じ考えるという特権が許されている。それを通して、自分というものの存在を実感する。そのすべてがいつかしかるべきときが来て絶対に終わる。世界に対する唯一の目であるはずの自分が完全に消滅する。それが恐ろしくてしょうがなく、なんでみんなその恐ろしさを分からないのかと考えてさびしくなったのだと思う。(僕の動物占いは羊である。)どうやって立ち直ったのかはあまり覚えていないけど、その後、ダイの大冒険のクライマックスでポップが大魔王バーンに放ったセリフにびっくりしつつ、ものすごく感動したことは覚えている。きっちりネット上にありました笑。

5つか6つの時・・・だったかなぁ・・・
ある夜おれは「死」について考え出した 死んだらどうなるのか どこへ行くのか 考えれば考えるほど怖くなって・・・
夜中におれは泣き出した 親父たちがびっくりして飛び起きた
どうしても人は死んじゃうの!?どうしてずっと生きていられないの!?
わけがわからなくなっておれは泣きわめき続けた
そしたら母さんが、母さんが抱きしめてくれておれにこう言ってくれたんだ。
"人間は誰でもいつかは死ぬ、だから、だからみんな一生懸命に生きるのよ"って!!
あんたらみてえな雲の上の連中に比べたらおれたち人間の一生なんてどのみち一瞬だろう!!?
だからこそ結果が見えてたってもがきぬいてやる!!!一生懸命に生き抜いてやる!!!
残りの人生が50年だって5分だって同じ事だっ!!!

このあとメドローアか?!!

大学の付属校に通っていた高校時代。出会った友達が小学生のときに同じような経験をしていたことを知って自分をさらに安心させることになった。それはともかくとして。
僕の高校では3年生になると大学進学を意識した選択科目なるものを複数受講することができた。僕が選択したのは文学、経済、倫理、そして中国語であった。僕の好みは今もそれほど変わっていないようです。

その中でも倫理の授業は今でも強い印象が残っている。タルコフスキーのサクリファイスを見て、ノンフィクション作家の柳田邦男のサクリファイス―犠牲―を読んだ。そして、レポートは、なぜ人の命について考えなければならないのかということについて書いた覚えがある。細かいことについては忘れたけど、僕たちが「世界」という言葉を使って表現するものは結局僕たちそれぞれの中にしかないことが一つのテーマだった。毎日どこかに行き、何かを見て、何かを聴いて、においをかいで、触ったりして、本を読んで、あるいは寝ているときですらそんなことをしているような夢まで見て、あるいはそんなことが何一つできなくとも、生命がある限り僕たちはおそらく言葉によってはどうにも形作れないようなもの、現実にあこがれや憧憬や身体反応やいろんなものをいっしょくたにした内部世界を持つことができる。それは自分がいま見ているパソコンの画面も含めたこの"現実の"世界まで包括してしまっている。自分たちが世界という言葉を使う限り、それは僕たちが知覚する内部世界の一部でしかありえない。つまり、人の死は常に世界の終焉であり、それについて感想を覚えることもできない本当の無である。そういう意味で、人は世界そのもの、"豊饒さ"そのものであって、だからこそ尊いのだと。そういうことを書いた気がする。

だからなんだって?

最近ブログに何を書きたいのかわからなくなっていたけど、友人のブログを読んで触発されて何か載せたくなってしまい、いつか書いたメモを発見したので載せてしまいました。良かれ悪しかれ、こういうことをこんな風に考えることもいつからか自分の人生みたいなものを構成する一つになっていて、自分が何かを学びたいっていう感情もこれに関係してるところがあると思ったので。

これまで父親に言われたことの中で、最も心に残っていること。

すべての学問は自分とは何かを考えることを源泉としているし、目標にもしている。

これほど"勉強"なるものを肯定してくれる言葉はないと思います。そしてこのブログも肯定してしまおう。

親御さんともども、今後もどうぞよろしくお願いします。

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コメント

 子どもの頃の記憶ってだいぶ薄いよね。憶えていることはいくつか見つかっても、今となっては何を考えていたかとかすっかりわからずじまいで、ただトラウマ的なシーンだけが頭に残っている。どうせ何も考えていなかったんだろうけれど。
 今回の記事を読む限り、qinmuほど死についてぼくは考えてこなかったな。あんまり死ぬことについて怖くないんだ。痛いのとかみんなと離れてしまうというのは寂しいし悲しいから嫌だけれど、死そのものについては、そうなったらそれを受け入れるしかないっていうか。。つまり、よく考えていないゲーム脳なんだな笑
 でもポップのセリフはほんとそのとおりだと思うよ。ぼくはダイの大冒険で一番好きなキャラはポップだ。彼のあのだらしない感じが人間くさくて、メドローア覚えたときは嬉しかったなあ。

投稿: ここいば | 2008年9月17日 (水) 12時28分

子供のころってほんとそうだよね。言葉なしにただ漠然とやばいみたいな。言葉についてはひたすら考えてきたサメの人みたいな人の方がよく考えていると思うけど、何かを形容できればできるほど楽になれる側面もあるのかなぁとは思う。やっぱ25年近く生きてきてスケジュール的にはきつくなってきてる気がするけど、精神面では少しずつ楽になってきたような気はするからさー。そういう過程が自分をidentifyするってことなのかもしれないけど。
死については今はあんまりこわくないような気がする。っていうか真剣に考えないことに慣れたような感じだなぁ。高校のころくらいまではそういうこと一生懸命考えてると沈んでいくようなやばい感覚があって、それにちょっとハマってた気さえするけど。今はほんとの目の前につらそうなことも楽しそうなことも盛りだくさんだしさw。
ポップの人間臭さはあのマンガの最も魅力的な要素だと思うな!そしてメドローアのかっこよさもw。

投稿: qinmu | 2008年9月21日 (日) 15時31分

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